第二話『止まない豪雨を気にしない』
春の木漏れ日も、桜の花も、ザンザカと振る雨には手も足も出ない。
窓は勿論締め切って、カーテンも閉められている。それでもパチパチと風と一緒に当たる雨が少しだけ心地良かった。時雨さんも、どうやら眠気よりもその豪雨の音が勝ったのだろう。この前のように眠気に負けそうな素振りが見えない。
俺は終業時間を凝視しながら、折り畳み傘でこの状況をどうにか出来るだろうかと思っているうちに、チャイムが鳴る。
終業の合図が鳴ってすぐに担任が簡単な挨拶をしに来て、俺らは帰途につくことを許された。
そして、自由になった途端にカーテン側に集まるクラスメイト達、開かれたカーテンの向こうでは、今年一番と言ってもいいくらいの大雨が窓に当たっていた。時雨さんは立ち上がらずとも、興味ありげに首を動かして、外を眺めている。
桜もこの雨には耐えられまい。風情もここまでかと思うと少し寂しくなる。
「雨、強いなぁ……」
ポツリと呟く時雨さんが、ガサゴソとスクールバッグの中身を弄った後、こちらに振り向き、諦めたようにもう一度呟く。
「雨、強いね?」
おそらくは、十中八九傘を忘れたのであろう。時雨さんはどうも物事を気にしない傾向がある。
「天気予報、見なかった?」
「あー……私、朝のテレビは占い派だからね、チャンネル操作が忙しくてそれどころじゃない」
それでも視界に天気予報くらい目に入るだろうけれど、ひたすらに占いをしている番組を探しているならまぁ、見ていても頭に入らないらしい。
というか、占い派とはなんだろう。
「一番良い占い結果を見るのが、マイブーム。ま、信用はしないんだけどね」
信用しないのにマイブームという辺り、何とも腑に落ちないが、彼女の不思議な所の一つなのだろう。
「今日の射手座はね、一位だったの。だから、良いことがあるのかもしれないね」
射手座ということは……射手座って何月生まれだっただろうか。
妙に気になってスマートフォンで調べていると、彼女はスクっと立ち上がる。
「あれ、傘持ってるの?」
明らかにさっきまでの彼女の仕草は傘を持っていない人のソレだったけれど、帰ろうとするという事は何らかの準備があったのか。それとも借りる宛があったのだろうか。
「んーん? 傘は無いよ。だから走る」
彼女は立ったままストレッチを始めている。クラスメイトの視線が一瞬彼女に集まるが、彼女はそれを気にせずに、身体を動かす。
――なんというか、音が無いだけの、ラジオ体操のような気がした。
何とも健気というか、素っ頓狂な彼女の動作を見かねて、俺は自分の折り畳み傘を渡そうとする。
「時雨さん。良かったらこれ使って良いよ? 俺、学校の傘立てにもう一本あるし」
俺の提案を聞いて、時雨さんは少しだけ考えるように、ラジオ体操のポーズのまま止まった。
ラジオ体操第二に入りかけた所で止めて良かった。止める場所によってはあられもない格好にさせる所だ。
「んー、いや。私は私の限界に挑戦してくる」
そう言って、彼女はカッコ良さそうな事を言って、少し不敵に笑う。
確かに、確かにその佇まいはクールに見えるのだが、やろうとしている事は豪雨に突っ込むというなんとも馬鹿げた行為でしかない。
「限界というか……無茶では?」
「いいの、借りを作るのも私の性分じゃないしね? ふふん」
まだ時雨さん劇場は続いている。そのクールキャラが素なのかギャグなのか。
掴みどころが難しい。だけれどそれを言うのは野暮だと思い、俺は傘を鞄にしまった。
俺は時雨さんとは逆に、雨だろうとなんだろうと基本的に、使う予定の無い折り畳み傘を持っている。
用心に越したことは無い。雨が降っている日は普通の傘を持ってきてそれを使うし、突然の雨なら折り畳み傘を使う。二段構えの布陣だ。気にして損をする事もない。
それに、こういう時の為にも使えると踏んでいたのだけれど、時雨さんの場合は違ったらしい。
「じゃあ……行ってくる……ッ!」
格好つけたままの彼女は、いつのまにかラジオ体操第二も終え、教室から颯爽と出ていった。
というか、よく音のないラジオ体操をやり終えられたな。指示が命だろ、あれって。
人もまばらになっていく教室の中、俺は傘が無いらしいカップルに、忌々しい気持ちを押さえながら折り畳み傘を渡して、なんとなくあの後の時雨さんがどうなるのかを窓越しに眺めていた。
彼女の姿が玄関前に映る。そうして彼女は何かを呟いてから、豪雨の中へと駆け出した。
――しかし、走るのがとても遅い。
あれだけ格好つけていたのに、本当に遅い。風が彼女の細い身体を吹き飛ばしそうだ。
ラジオ体操は運動の前にするものというよりも、健康の為にするものだと改めて思い知る。
だけれど、彼女の表情は、遠くからもしっかりと分かるくらいに、楽しそうだった。
「まぁ、時雨さんがそれなら、いいんだけどさ」
誰もいない教室で一人呟きながら、俺は玄関口へと降りる。
俺が今朝使っていたビニール傘は、玄関口の傘立てに刺さっているはず――だったが、まんまと誰かに持ち出されていた。強い言葉で言えば窃盗だけれど、まぁ高校生活ではこのくらいの事は良くある。
しかしそのせいで、俺も豪雨の中を走らねばいけなくなってしまった。
「あぁ……俺は格好良くも何ともなく、普通に帰りたいだけなんだけどなぁ……」
鞄を頭の上に掲げて、俺が走っていると、そのうちに時雨さんに追いついた。
この人の足はどれだけ遅いのだ。帰り道が一緒なのは知らなかったけれど、彼女だという事はその後ろ姿ですぐに気付いた。
「あれ? 糸杉くんだ。……傘は?」
「折り畳み傘は貸して、持ってきた傘はパクられてたよ」
彼女の走るスピードに併走しながら、俺は溜息をつく。俺の現状が面白かったのか、彼女は少しだけ笑って、豪雨を全身で浴びていた。
「どうせお風呂に入るんだから、まぁいいんじゃない? 頭の上に鞄置いてたら、濡れちゃうよ?」
事実、時雨さんは頭の上にスクールバッグを置かず、最低限それに雨がかからないようにしているようだった。
「そこらへんは気にするんだ……」
「だって、髪と一緒に教科書も乾かすのはめんどいしね」
そう言って笑う彼女の顔に、俺は何となく納得させられた気がして、妙な悔しさを覚えながら、頭の上に掲げていたスクールバッグを背中にかけた。
「まぁ、それもそうなんだけど、傘は持ってこようよ」
「ラッキーアイテムなら良かったかもしれないね」
そんな事を言いながら、二人で豪雨の中を走る。時雨さんはあまり見ない無邪気な顔で笑っていた。
きっと結局の所、どうあれ彼女は、こんな止まない豪雨であっても気にしない。




