第十二話『筆者の気持ちを気にしない』
プリントを前から後ろへ回すというのも、この歳まで続くと妙な慣れを感じる。ただ、ふと思い返すと照れのようなものがないでもない。前の席が女子だと言うのは、なんとも時々緊張してしまう年頃なのだ。
たとえ、元気が取り柄のハムスターライクな与田さんであっても、まぁ時折少し手が触れそうになるのが少し気まずい。
それが誰だからというわけでもない。ただ何となく、気恥ずかしくなるのだ。
「ん、この前の小テストだって、あれ糸杉くん……お主やるな……っ!」
与田さんがプリントをこちらに渡しながら、俺のテスト用紙の点数をバッチリと見ている。
流石に緊張も何もなく、俺は国語の小テストを手に取る。点数は平均点よりかはずっと高い。要はやるねと言われるのも納得出来る程度の点数ではあったけれど、あくまで小テストだ。
与田さんはどうだったのだろうと覗こうとして、野暮だと考え直し、自分が間違えている設問を読み直す。
よくある漢字ミス、これで点数を落とすのが自分らしい。何となくで答えられる作者の気持ちよりも暗記一本の漢字にやられるのはいつも分かっているにしても、また一つまた一つと、難読な漢字が増えていく気がする。そもそも少しズルい気がする。胡乱なんて言葉、一体どこで使うのだろうか。
胡散臭いというヒントが付けられているけれど、なら胡散臭いと言えばいいじゃないかと思ったりもする。決して分からなくて悔しいわけではない。確かに教科書に難読漢字として載ってははいた気がする。
テスト返却と同時にチャイムが鳴り、トタタと時雨さんが俺達の元へやってくる。
「どうだった?」
綺麗な答案と少しだけクシャリとした答案が、与田さんの上に並ぶ。
点数は、与田さんの名誉の為に言わないでおこう。しかし時雨さんはイメージ通りに高得点だ。この人は授業中寝たりしている割に、妙にテストの点数が高い。近い席だった頃に何度か自慢された記憶がある。
しかし、不思議な事に俺と時雨さんの点数は同じだった。
「面白い事もあるもんだね」
「わ、二人とも94点だ」
実際、本当に面白い事が起きている。点数は同じなのに、ミスしている設問はお互い全くの別。
俺は漢字の凡ミスで、そうして時雨さんは作者の気持ちを答え損ねていた。
与田さんは――沈黙を守っているのならば、何もいうまい。
「よだかちゃん、答案をクシャっとしても点数は変わらないよ」
しかし長年の友人は厳しい。点数の所だけが丁度見えないように握られている。
「だって国語苦手なんだよう。しぐちゃんはいいよね、好きな事が授業に出るんだもん」
「んー、でも作者の気持ちは分からないよ? 私、この問題好きじゃないんだよねぇ」
確かに、人の気持ちを推し量るというのは、時雨さんっぽくないとは思うものの、自分で言う程だろうかとも思う。
「だってさ。そんなの作者しかわかんないのに。勝手に決めたら失礼だよ」
ただ、その理由は突拍子で、なんとも子供らしいというか、逆に哲学的なような、不思議な抵抗だった。
「まぁ、推測とかで何とか……」
「うーん、じゃあ糸杉くん、私の気持ちを答えよ」
明確な抵抗に、少し困る。さては時雨さんは俺の答案で作者の気持ちを答えているのを見たらしい。
悔しいというのも、なんだか自慢げな気がする。
悲しいという程の事でもないと思うし、だからって楽しいだの嬉しいだという事も無いだろう。
普通に小テストのどの問題よりも難問だった。
「んー……点数お揃いだね、とか」
「んなっ、まぁお揃いだけども。お揃いは嬉しい事かもしれないけども、そういう事じゃなくてさ」
この前はお揃いの制汗スプレーでご満悦だったような気もするけれど、どうやら今日はそういう事では無いらしい。女心と秋の空というには、未だ真夏の太陽が燦々と輝いている。
「なんだろ、与田さん元気だしてよ、とか?」
「……それもある」
確かに、小テストにしてはへこみ気味の与田さんも少し気になるが、結局答えはなんなんだろうと俺は自分と時雨さんと、ついでに与田さんの解答を並べて見る。
「ふふ、糸杉くん。胡乱だね」
胡散臭いと言えばそうかもしれないが、実際に使われるという例が、まさかこんなにすぐ来るだなんて思いもしていなかった。
「うーん、時雨さんがどう思ってるかは、時雨さんしか知らないしなぁ……」
「うん、正解。答えられない、でしょ?」
なんとも言えない正解を得てしまった。確かに言い得ている事ではあるのだけれど、なんだか腑に落ちない。
「しぐちゃん、それはずるくなーい?」
俺の言葉を与田さんが代弁してくれた。だがしかし、時雨さんはハッキリと作者の気持ちを勝手に答えるなんて失礼だと言っていたのだから、俺は一本食わされたという事になる。
「ずるくないよ。ヒントもあげたし。ほら、糸杉くんも女の子の解答をジロジロ見ないの」
時雨さんは俺の解答用紙だけを残して、自分たちの解答用紙を机から省く。
「しかし、作者の気持ちは分からないにしても、時雨さんの気持ちは今そこにいるんだから教えてくれたら分かるんじゃないの?」
「あーっと……そう、かも?」
時雨さんが困り顔で与田さんを見ているが、与田さんもどうやら俺の味方のようだ。
「答えを教えてくださいな、しぐちゃん先生!」
テストの点数の事はもう答案と一緒に、頭の中で握りつぶしたらしい与田さんが時雨さんに追撃する。
「んー……つまり、小テストの結果なんて些細な事だよ、ね? 糸杉くん」
「考えさせてそれはどうだろう。急に胡乱な感じがするよね」
俺も珍しく与田さん側についてみる。
「むー……胡散臭いなんて言いがかりだと思うなあ」
「じゃあ、そうだな、次は俺の気持ちは答えよ」
少しだけ、時雨さんは難しい顔のまま、こちらを見つめて、答案用紙をじっと見る。
「……分かんないな。やっぱり分からない。難しいよ、人の気持ちって」
「正解は……意地悪してごめんねってヤツ。ほら、与田さんも謝ろ。点数は人を語らないよ」
与田さんを促すと、答案の点数の部分が少しだけ開いた気がした。
「ま、それもそっか! 確かに眠いなって思いながら書いてたかもしれないしねー」
「ん、そうそう。でもまぁ……糸杉くんに意地悪言われるのも初めてだし、それはそれでなんか……」
確かに俺もつい軽口でからかってしまったけれど、果たしてどうして小テストでこんな事になっているのだろうか。
「なんか……?」
「さて、私は何を考えているでしょう」
「もうやめない?!」
そうして、結局の所誰が何を考えているかなんてことを気にしたり気にしなかったり。
ただしまぁ、時雨さんはやはり筆者の気持ちは気にしないらしい、俺達の気持ちは、少し気にするみたいだけれど。




