第十話『晴れも雨も気にしない』
いつの間にか梅雨入りして、いつの間にか終わりかけて、夏の気配が近づいてくる。
ジメっとした空気もそこまで好きではないけれど、それ以上にシトシトと未練がましく降っている雨の、なんとも言えない名残惜しそうな感じが、少し気になる。いっそ大雨なら気持ちも良いのだけれど、と思いながら、俺はもう遠い窓際の元自分の席を眺めた。外は曇り模様。
休み時間とはいっても、なんだかどんよりしたムードが漂っている。だけれど目の前の二人は相変わらず、いつものテンション感だった。
強いて言えば時雨さんが、グテーっと与田さんの机に横から顔と手を乗せて脱力していた。
「なんだかやる気出ないなー」
「しーちゃんはいつもそんな感じじゃない? やる気出てる感じのイメージ無いよ?」
確かに、彼女は基本的にクールっぽいのだが、知れば知る程なんというか、温度差があるという方が正しいような気がしてきた。どこかクールに達観しているように見えて、基本姿勢はどちらかというと冷やされていない氷枕みたいな、奇妙な温度感を感じる。
「失敬な……いつもじゃないよ。今日はさ、体育があるからー……」
そういえば時雨さんは運動神経があまりいい方では無かったような気がする。
「それでも外じゃないだけよくなあい? 雨のお陰で中になったし、きっと楽だよ」
与田さんのフォローも相まって、少しだけ時雨さんは復活したようで、こちらに顔を向ける。
「糸杉くんもちょっとだけテンション、低い?」
「まぁ、連日雨だからね……晴れの日が良いって程じゃなくても、こうジワジワ削られていく感じはあるかな」
「そっかぁ。私は雨、嫌いじゃないんだよね」
確かにいつかの大雨の時に時雨さんがはしゃぎ気味だったのは、割と鮮明な記憶として残っている。
「雨だから悲しいとか、晴れだから嬉しいとか、良くいうじゃない? 言いたい事は分かるんだけど、なんだか分かんないんだよね」
「まぁ、実際体育は中でやるみたいだし、外でやるよりはハードじゃないかも?」
時雨さんは、与田さんの机に頭を置いたまま、何となく肯定するようにトントンと頭で机を小突いた。
「そうそう。晴れて欲しい日もあるし、今日みたいに雨の日が良い時もある。雨だから嬉しかったり、晴れだから悲しかったり。逆もそう。だからなんか、天気って好きなんだ。気まぐれで可愛い」
天気を可愛いという感性は流石に独特だと思うけれど、言いたい事は分かる。
晴れが正しい、雨が正しくないなんて事は決して無い。雨乞いなんて言葉もあるくらいだし、ケースバイケースを考えてるのは、なんとも時雨さんらしい。
「しーちゃんは相変わらずなんか、色々考えるよねぇ」
与田さんが時雨さんの頭をポンポンと軽く撫でるように叩きながら、小さく微笑んでいる。
「んー、考えてるわけじゃないんだけどね。なんか、そういうものだなって感じるだけ。あんまし自分でも分からないんだけどね」
「まぁ、分からなくても言葉に出来てるだけ時雨さんは偉いんじゃないかなって俺は思うけどね。俺はこのジメっとした空気、どうにも滅入っちゃうし」
「そうだねぇ、ジメっととしてる。だからよだかちゃんの机は乾いてて気持ち良いんだよね。それもまたちょっと嬉しかったり、糸杉くんも一緒にやる?」
時雨さんが、少しだけ自分の頭を横にずらす。与田さんの目が一瞬こちらに向いて、本当にやらないよね? の目つきに変わる。
俺は無言で首を横に振った後、やるわけないでしょの視線を送った。
代わりに、俺も自分の机に顔を突っ伏して、少しだけ机の冷たさを肌で感じた。
「ほらー、結構これはこれで気持ち良いと思わない?」
時雨さんの言葉は確かにそうではあったけれど、顔を突っ伏したものだから、返答しても声が上手く伝わらない気がして、心の中で肯定しながら、顔を上げた。
すると、思ったより近くに時雨さんの顔がある。
パチリとしたまつ毛、飾り気の無いヘアピンで分けられた前髪、そうして、丸いけれど芯の通った瞳が、少し綺麗だなと思った。格好自体は、だらしないけれど、やっぱり時雨さんは見た目だけならしっかりと凛々しい人だ。
その実、こんなだらしない格好をしているから面白かったりもするのだけれど。
「っと、ごめん」
俺は短いながらも近距離で顔をじっと見つめていた事に気づいて、焦りながら顔を上げる。
時雨さんは不思議そうにこちらを見ていたが、与田さんは楽しそうに俺達を観察しているようだった。
「与田さん、何?」
「いやー、しーちゃんに良いお友達が出来て良かったなってさぁ」
与田さんは嬉しそうな感じが半分、茶化してる感じが半分という雰囲気で、楽しそうに笑う。
「お友達、かー。うん、良いお友達が出来て良かったよね。ね?」
時雨さんが純粋そうな視線を俺に送る。なんというか、少し照れるが、俺は頷く。
「まぁ、まぁそうだね。友達って言ってくれるのは嬉しいよ。あと与田さん、与田さんの言葉を借りれば俺と与田さんも友達じゃ……?」
「それはそう! 本当にそう! でもま、しーちゃんはあんまり人に懐かないからねぇ」
確かに、あまり想像は出来ない。実際時折時雨さんが与田さん以外のクラスメイトと話しているのが耳に入ってきたりするけれど、与田さんのように懐いている気はしない。
ただ、与田さんの言葉を真に受けるなら、時雨さんは俺にも懐いているという事になりそうなものだけれど。それはどうなのだろうと考える。
時雨さんは不思議な人だし、話していて何となく気にしてしまう事は多い。
だけれども、彼女は俺と違って気にしない人だという事は分かっている。
気にする僕と、気にしない彼女。
この関係性は、俺からすると経験が無いもので、やっぱりいつまでも未知数の物だよなと思ったりしている。
「そこらへんは……ノーコメントで」
「んー、私もノーコメントかなぁ」
懐くという意味が、そこそこ男女間で使うと強い言葉になるっていうのは、共通認識のようで少し安心した。俺と時雨さんのジトっとした目が、与田さんに突き刺さる。
「うへ、ごめんごめん。ちょっと調子に乗りました。でもさ、まぁ友達なのは間違いないよ。私たち。そうだよね?」
「うん、お友達。それはほんとの事」
「まぁ……そう言ってもらえるのは俺も嬉しい限りだよ」
どうしても、少しだけ及び腰になるのは、なんだか少しだけ距離を取っていないと、この関係が崩れてしまう気がするから。
だけれど、壊れてしまう事を気にしているのは、きっと俺だけなのだろうと思いながら、改めて俺は、窓の外を見た。
「雨……まだ続くかな」
「そのうち止むよ。止まない雨は無いって、誰かが言ってたしね。私が梅雨に直談判してこようか? 私も雨だし、聞いてくれるかもよ?」
そんな冗談を交わしながら、静かな雨の音の中、ゆっくりと時間は進む。
気にする僕と、気にしない彼女。
もしかすると、時雨さんは、梅雨を友達か何かだと思っているのかもしれない。
だから、彼女はこのジメっとした梅雨も、晴れも雨も気にしない。




