夏の夜の神隠し ―海神の島―(前)
砂浜に吹きつける潮風が、焼けた肌に心地よく感じられた。
大学のサークル合宿、参加者は7人。ここは観光地から少し外れた、静かな入江のある町。
「うっひょー! 最高の天気じゃん!」
木島航太がTシャツを脱ぎ捨て、波打ち際を走る。
「やめなよー、子どもじゃないんだから」
中村春香が笑ってタオルを振る。
その後ろでは、三浦翼がサングラス越しに空を見上げ、吉田智也は浜辺でスマホをいじっている。
杉本雅也はコンロの組み立てに夢中。
山内理沙は日陰で帽子をかぶりながら、焼けたくないと文句を言っていた。
そして、誰よりも静かな存在――伊藤萌絵は、海辺に背を向けて一冊の文庫本を読んでいた。
「またホラー?」
春香が彼女の背後から覗き込んだ。
「うん……この辺の話が載ってるんだ」
萌絵が本から顔を上げ、目を細めて沖を指さす。
「ほら、あそこ。ちょっと沖に浮かんでる小さな島、見えるでしょ?」
皆が一斉に視線を向ける。
穏やかな水面の先に、ぽつりと緑の塊が浮かんでいた。
こんもりとした木々に囲まれた、小さな無人島。
「あそこには、昔から神社があったんだって。
でも、今では誰も近づかない。……“新月の前後には、絶対に行ってはいけない”って言い伝えがあるの」
「なになに? なんで?」
「海神様が眠っているんだって。新月の夜には目を覚まして、島を訪れる人間を……連れていくって」
「……怖っ。でもなんか、ワクワクするなあ」
その時だった。
「俺、行ってみよっかな」
航太が突然、水面を見つめながら言った。
「は?」
「だってあそこ、そんな遠くないじゃん。泳いで行けるって」
「やめなよ、本気?」
理沙が慌てて止めようとするが、航太はすでに水に足を入れていた。
「大丈夫だって! 運動部なめんなよ〜!」
「こらこら、マジでやめとけって! 航太!」
智也が叫んだが、彼は水飛沫をあげてどんどん沖へ向かって泳ぎだした。
「え〜、どうする? 置いてかれるのもアレじゃない?」
翼が笑いながらボート貸し場の方を指差す。
「貸しボートあるし、ちょっと追いかけてみよっか?」
春香の一言に、杉本、理沙、智也、翼も流されるように動き始める。
萌絵だけが、じっと海を見ていた。
「……本当に、行くの?」
だがその声は誰にも届かず、やがて5人を乗せたボートが、帆を立てずに静かに海へ出た。
波は静かだった。
風も穏やかだった。
なのに、萌絵の胸の中だけは、妙なざわつきが収まらなかった。
「……あの島には、“近づいてはいけない”んだよ」
誰もいない浜辺に、彼女の小さな声だけが残された。