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番外編:過去からのシグナル


「プロジェクト・フェニックス」は、成功裏に幕を閉じた。稼働を開始した次世代型自動倉庫システムは、クライアントである山田浩二の会社に、計画以上の効率性と利益をもたらし始めていた。プロジェクトに関わった多くの人々が安堵の息をつき、祝杯を挙げ、そしてそれぞれの日常へと戻っていく。


しかし、クライアント側の責任者として、誰よりも厳しい要求を突きつけ、プロジェクトを推進してきた山田浩二自身の心は、成功の美酒に酔いしれることもなく、どこか晴れない霧の中にあった。本社ビルの役員フロアにある自室の窓から、夕暮れに染まる街並みを眺めながら、彼は手に持った成功報告書を無感情に見つめていた。数字の上では、文句のつけようのない成果だ。上層部からの評価も高い。だが、彼の胸の内には、達成感とは違う、ざらついた何かが沈殿していた。


今回のプロジェクトで、彼は対岸の協力会社、特にあの若きPLCプログラマー、新田誠とそのチームが見せた情熱と、困難な状況下での驚くべき結束力を目の当たりにした。徹夜も厭わず問題解決に没頭する姿、部署や立場の違いを越えて協力し合う姿、そしてリーダーである篠田玲子の冷静かつ的確な判断力。それは、彼が遠い昔に失い、そして心の奥底で渇望していたものによく似ていた。


(あの若造…新田とか言ったか…なかなか、骨のある奴だったな…)


厳しい言葉を投げつけ、無理難題を押し付けた自覚はある。だが、彼らは決して折れなかった。むしろ、その逆境をバネにするかのように、予想以上の解決策を捻り出し、最終的には見事にシステムを完成させた。その姿は、山田の脳裏に、忘れかけていた記憶の断片を呼び覚ます。情熱に燃え、理想を追い求め、そして…守るべきものを守れなかった、若き日の自分の姿を。


ふぅ、と長い溜息をつき、山田はデスクの椅子に深く身を沈めた。目を閉じると、過去の光景が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。


【回想:十数年前】


当時の山田は、まだ三十代半ば。今の役員然とした姿とは違い、現場に近い技術部門のプロジェクトリーダーとして、油の乗り切った時期だった。新しい技術への好奇心は旺盛で、困難なプロジェクトであればあるほど燃える、典型的な技術屋気質。口は今ほど悪くはなかったが、仕事に対する厳しさと情熱は人一倍で、部下たちを引っ張り、時に厳しく、時に熱く指導していた。


そんな彼のチームに、一人の有望な若者が配属されてきた。佐々木稔ささき みのる。大学で電子工学を学び、優秀な成績で入社してきた、真面目で意欲的な青年だった。少し内気なところはあったが、技術に対する探求心は強く、山田の指導をスポンジのように吸収していった。山田は、そんな佐々木に、かつての自分自身の姿を重ね、特に目をかけていた。


「佐々木、ここの回路設計だが、もっと効率的な方法があるはずだ。もう一度、データシートを読み込んで、別の角度からアプローチしてみろ」

「はい!やってみます!」

「よし、その意気だ。分からないことがあれば、いつでも俺に聞け。ただし、まずは自分でとことん考え抜けよ」


山田は、佐々木を単なる部下としてではなく、将来を嘱望される技術者として、そして共に未来を切り開く仲間として育てようとしていた。佐々木もまた、厳しいながらも常に的確な指導を与えてくれる山田を、心から尊敬し、慕っていた。二人の間には、確かな師弟関係が築かれていた。


その頃、山田と佐々木が中心となって取り組んでいたのが、社運を賭けた新製品開発プロジェクトだった。それは、従来の製品ラインナップとは一線を画す、革新的な技術を用いた野心的な試み。成功すれば莫大な利益が見込めるが、技術的なハードルは極めて高く、失敗のリスクも大きかった。


「このプロジェクトが成功すれば、我が社の未来は大きく変わる。だが、失敗は許されない。絶対に成功させるぞ、佐々木!」

「はい、山田さん!」


山田の檄に応え、チームは一丸となって開発に取り組んだ。しかし、プロジェクトは最初から困難の連続だった。予期せぬ技術的な壁に次々とぶつかり、試作品は思うような性能を出せない。競合他社の動向も気になり、上層部からは「進捗はどうなっているんだ」「本当に実現できるのか」というプレッシャーが日増しに強まっていった。


山田と佐々木は、文字通り寝食を忘れ、開発に没頭した。研究室に泊まり込み、仮眠を取りながらデバッグと改良を繰り返す日々。疲労はピークに達していたが、若き日の山田には、まだそれを乗り越えるだけの情熱と体力があった。そして、隣には、同じ目標に向かって必死に食らいついてくる佐々木の姿があった。それが、山田にとって大きな支えとなっていた。


「山田さん、ここのパラメータ、もう少し追い込めそうです!」

「よし、やってみろ! 俺はこっちのインターフェース部分を見直す!」


苦闘の末、ようやく試作品の性能が目標値に近づき、プロジェクトに光明が見え始めたかに思えた、その矢先だった。決定的な「失敗」は、ある日、突然訪れた。


最終評価試験に向けたストレステストの最中、試作品が異常発熱を起こし、基幹部品の一部が焼損するという、致命的なトラブルが発生したのだ。原因究明が行われ、その結果、佐々木が担当していた電源回路の設計に、特定の負荷条件下での保護機能の考慮漏れがあったことが判明した。経験豊富な技術者であれば気づけたかもしれない、しかし、若手の佐々木にとっては見落としがちな、微妙な設計ミスだった。


プロジェクトの遅延は避けられない。それどころか、焼損した部品の再調達には時間がかかり、プロジェクト自体の存続すら危ぶまれる事態となった。上層部は激怒し、責任の所在を厳しく追及し始めた。矢面に立たされたのは、直接の原因となった回路を設計した、佐々木だった。


「佐々木君、君の設計ミスが原因で、会社にどれだけの損害が出たと思っているんだ!」

役員会議室で、佐々木は上司たちから厳しい詰問を受けていた。彼は、青ざめた顔で俯き、震える声で「申し訳…ありません…」と繰り返すばかりだった。


その場に同席していた山田は、腸が煮えくり返る思いだった。確かに、直接の原因は佐々木の設計ミスかもしれない。だが、その設計を最終的に承認したのは自分だ。若手のミスを事前にチェックしきれなかった、プロジェクトリーダーである自分の責任でもあるはずだ。それに、過酷なスケジュールとプレッシャーの中で、誰もが疲弊していた。ミスが起こりやすい状況を作り出していたのは、会社全体の問題でもあるはずだ。


「お待ちください!」山田は、声を張り上げた。「今回の件、直接の原因は佐々木の設計にあったかもしれませんが、その設計を承認し、最終的なGOサインを出したのは、プロジェクトリーダーである私です。全責任は私にあります!」


「山田君、君が彼を庇いたい気持ちは分かるがね…」

「庇っているのではありません! 事実です! 若手の経験不足を見抜けず、適切なレビューができなかった私の監督不行き届きです! 佐々木一人に責任を押し付けるのは筋が通りません!」


山田は必死に訴えた。技術的な観点からも、今回のトラブルは複合的な要因が絡んでおり、佐々木のミスだけが全てではないことを説明しようとした。しかし、一度「犯人」を見つけ、責任を押し付けようとする組織の力学は、山田一人の抵抗で覆せるほど甘くはなかった。上層部は、山田の言葉に耳を貸そうとせず、あくまで佐々木の責任を追及する姿勢を崩さなかった。


結局、プロジェクトは大幅な計画見直しを余儀なくされ、事実上の「失敗」と認定された。佐々木に対する正式な処分は、山田の抵抗もあってか、比較的軽いものに留まった。しかし、彼の心は、責任の重圧と、信頼していた上司や会社に対する失望感で、深く傷ついていた。


「山田さん…すみませんでした…俺のせいで…」

憔悴しきった顔で謝罪する佐々木に、山田はかける言葉も見つからなかった。「お前のせいじゃない」と言ってやりたかった。だが、結果的に彼を守りきれなかった自分が、そんなことを言う資格があるのだろうか。山田は、ただただ自分の無力さを噛みしめるしかなかった。


そして、その数週間後。佐々木は、誰にも相談することなく、会社に辞表を提出した。


「一身上の都合で、退職させていただきます。これまで、本当にありがとうございました」

最後に挨拶に来た佐々木の目は、どこか虚ろだった。山田は、引き止める言葉も、励ます言葉も、何も言えなかった。ただ、黙って彼の背中を見送ることしかできなかった。


可愛がっていた部下を守れなかった。自分の理想や情熱だけでは、巨大な組織の論理や、冷徹な現実の前では無力だった。その事実は、山田の心に、消えることのない深い傷と、トラウマを刻み付けた。


(もう二度と、あんな思いはしたくない。部下にあんな顔をさせたくない)


その日から、山田の中で何かが決定的に変わった。技術への情熱や理想よりも、まず「結果」を出すこと。プロジェクトを絶対に「失敗」させないこと。そのためには、時に非情とも思える判断を下し、部下や協力会社に厳しい要求を突きつけることも厭わない。それが、結果的に彼らを守ることに繋がるのだと、自分に言い聞かせるようになった。


納期絶対。仕様達成絶対。プロセスよりも結果。リスクは徹底的に排除する。かつての情熱的な技術者・山田浩二は、その仮面の下に本来の自分を封印し、冷徹な結果主義者へと変貌を遂げていったのだ。それが、彼なりの、過去の失敗から学んだ「正しさ」だった。


【現在】


長い回想から、山田はゆっくりと意識を現実に戻した。窓の外は、既に夜の帳が下り、ビルの灯りが宝石のように瞬いている。デスクの上に置かれたままの「プロジェクト・フェニックス」の成功報告書が、空虚に目に映った。


(結局、俺は何も変わっていないのかもしれないな…)


今回のプロジェクトでも、新田たちに対して、昔の自分なら決してしなかったであろう、厳しい態度を取り続けた。彼らの情熱や努力を認めようとせず、ただただ結果だけを求めた。それもまた、根底には、あの佐々木を守れなかった後悔があったからだ。失敗のリスクを少しでも減らすために、彼らにプレッシャーを与え続けた。


だが、それで本当に良かったのだろうか? あの時の自分の行動は、本当に「正しかった」のだろうか? 部下を守るために結果にこだわる、という自分の信条は、果たして…。長年抱えてきた問いが、再び重くのしかかる。答えは、見つからないままだった。


その時、静寂を破って、デスクの内線電話が鳴った。ディスプレイには「非通知」の文字。普段なら無視するところだが、なぜかその時の山田は、無性にその電話に出なければならないような気がした。訝しみながらも、受話器を取る。


「…はい、山田です」


『……あ、あの…山田、さん…でしょうか?』


電話の向こうから聞こえてきたのは、少し掠れた、しかし聞き覚えのある声だった。山田の心臓が、どくん、と大きく跳ねた。まさか。


「…佐々木か…?」


『…はい! ご無沙汰しております、佐々木稔です! あの、突然すみません!』


十数年ぶりに聞く、かつての部下の声。山田は、驚きと、言いようのない緊張感で、受話器を握る手に力が入った。何を言われるのだろうか。今更、何の用なのだろうか。恨み言か? いや、そんなはずは…。


『あの、山田さん、お忙しいところ大変恐縮なんですが…実は、この度、結婚することになりまして…』


「け、結婚!? そうか、それは…おめでとう!」予想外の報告に、山田の声が上ずる。


『ありがとうございます! それで…大変申し上げにくいのですが…もし、もしよろしければ、山田さんに、結婚式の仲人を…お願いできないでしょうか…?』


「な、仲人…? 俺が…?」山田は、耳を疑った。なぜ、自分なのだ? プロジェクトを失敗させ、会社を追われる原因を作った(と佐々木は思っているかもしれない)自分に、人生の晴れ舞台の、そんな大役を?


『はい…どうしても、山田さんにお願いしたくて…。ご迷惑なのは重々承知なのですが…』佐々木の声は、真剣だった。


山田は、言葉を失った。混乱する頭で、必死に言葉を探す。「いや、しかし、俺なんかが…君をあんな目に合わせた俺が、そんな大役…」


『山田さん』佐々木の声が、少し強くなった。『あの時のこと、俺、ずっと感謝してるんです』


「…感謝…?」


『はい。あの頃、俺は未熟で、大きなミスを犯して、プロジェクトを滅茶苦茶にしてしまいました。当然、責任を取らされると思ってました。でも、山田さんは、最後まで俺を庇って、守ろうとしてくれたじゃないですか。役員たちの前で、俺の代わりに頭を下げて、責任は自分にあるって、必死に訴えてくれた。あの時の山田さんの姿、俺、一生忘れられません』


山田は、息を飲んだ。佐々木は、そう思っていてくれたのか。


『結局、俺は会社を辞めてしまいましたけど…あの時、山田さんが矢面に立ってくれたおかげで、俺は完全に潰されずに済んだんです。もし、あのまま俺一人が全ての責任を負わされていたら、きっと立ち直れなかったと思います。技術者としても、人間としても、再起できなかったかもしれない』


佐々木の言葉が、山田の心の奥深くに、温かく、そして強く響いていく。


『会社を辞めた後、俺、別の会社で、もう一度ゼロから技術者としてやり直したんです。大変なこともたくさんありましたけど、そのたびに、山田さんの言葉や、あの時の必死な姿を思い出して、踏ん張ることができました。山田さんから学んだ、技術に対する真摯な姿勢、諦めない心…それが、今の俺を作ってくれたんです。だから、俺の新しい門出に、どうしても山田さんに立ち会ってほしくて…』


気づくと、山田の頬を、熱いものが伝っていた。涙だった。長年、心の奥底に澱のように溜まっていた、後悔と罪悪感。部下を守れなかったという、消えることのない痛み。それが、佐々木の予想もしなかった感謝の言葉によって、ゆっくりと溶かされていくのを感じた。


守れなかったと思っていた。自分の行動は、結局、彼を会社から追い出す結果になったのだと、そう思い続けてきた。だが、違ったのだ。自分の必死の抵抗は、無駄ではなかった。彼の心に、確かに届いていたのだ。そして、彼のその後の人生の糧に、少しでもなっていたのだ。


(俺は…間違っていなかったのかもしれない…)


あの時の自分の行動は、結果としてプロジェクトを成功に導けず、部下を会社に留めることもできなかった。だが、人間として、上司として、守るべきものを守ろうとした自分の選択は、決して間違いではなかったのだ。山田は、十数年の時を経て、ようやく、過去の自分自身を許すことができた気がした。


「…佐々木…」山田は、涙で震える声を、必死で整えた。「ありがとう…そう言ってくれて…。仲人…か。俺で、本当によければ…喜んで、務めさせてもらうよ」


『! ほんとですか!? ありがとうございます、山田さん!』電話の向こうで、佐々木の心からの喜びが伝わってきた。


その後、結婚式の詳細などを打ち合わせ、電話を切った。山田は、まだ少し震える手で受話器を置いた。頬を伝った涙を、無造作に手の甲で拭う。


ふと、再び窓の外に目をやった。先ほどまでとは、少しだけ景色が違って見えた。街の灯りが、どこか温かく、希望の色を帯びているように感じられる。


「プロジェクト・フェニックス」の成功報告書が、まだデスクの上に置かれている。あの若者たちが見せた情熱とチームワーク。そして、かつての部下からの、予想もしなかった感謝の言葉。それらが、山田の中でゆっくりと繋がり、新しい意味を持ち始めていた。


結果だけが全てではない。プロセスの中で生まれる信頼や絆、そして困難に立ち向かう情熱もまた、かけがえのない価値を持つのかもしれない。そして、人を守ろうとする真摯な思いは、たとえすぐには形にならなくても、いつか必ず相手に届くのだ。


山田は、椅子から立ち上がり、大きく一つ、深呼吸をした。長年の呪縛から解き放たれた心は、驚くほど軽やかだった。過去の自分を許し、未来に向かって、もう一度、少しだけ素直な気持ちで歩き出せるかもしれない。そんな予感が、彼の胸に静かに満ちてきていた。

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