漁火と青年
一話 森野と凪
佐久間凪。中学ニ年生。
僕は引きこもりだ。
両親は呑気に一週間旅行に出掛けている。
中学一年の時に虐めに遭い、それ以来引きこもりっている。
シャワーとトイレ以外は部屋にずっといた。
自分で死ぬ勇気はない。いっそ誰か殺してくれ。
7月。夏になったことさえも分からないまま過ごしていたある日の夜。
寝ている僕の部屋のカーテンの方からガチャっという音がした。
反射的に起き上がるとカーテンの隙間から差し込む月明かりで相手の男が見えた。
黒いパーカーのフードを深く被っている。
強盗だ。強盗が僕の部屋にいる。
凪「誰?」
森野「ちっ、起きやがったか」
強盗はナイフを青年に向ける。
森野「見つかっちまったなら仕方ないな、悪く思うなよ」
凪は黙ったまま殺されるのを待った。
なぜこの青年は動揺しないんだ?ナイフを向けられているんだぞ?
凪は森野の目を真っ直ぐに見ている。
その手は震えていた。
だめだ、やっぱり殺せない・・・。
凪「どうしたの?僕を殺さないの?」
森野「盗みは何度か働いたが人を殺したことがないんだ」
凪「僕を殺さないと僕はあなたを通報するよ」
森野「君は・・・俺に殺されたいのか?」
凪「うん」
脅しているのはナイフを持っている俺ではなくこの青年なのではないのか。
彼の視線がそう言っている。
凪「ねぇ、殺さないなら僕をここから連れ出して」
二話 7日間
青年に強盗をさせたくはないと思っていたが次第に金は底を尽きた。
野宿をする。
煮干しを美味しそうに食べる青年は魚が好きらしい。
森野「俺の分も食え」
凪「え、でもそれあなたのでしょ?」
森野「俺はいいんだ、あまり腹は減っていない」
本音だった。
仕事を辞めてから食欲が無くなっていったのだ。
そんなことよりもこの青年にうまい魚料理を食わしてやりたいと思った。
不思議だ。ほんの3日前まで俺はこの青年の部屋に強盗に入り、ナイフを向けたというのに。
こんな服も髪もボロボロのままではなく、綺麗にして魚料理屋に連れて行ってやりたいと思ってしまった。
別れた女房との間にはこの青年と同じくらいの息子がいる。
前髪がやたら長くて顎の下にほくろがあるところまで似ている。
丘の上に来た時。
遠くの漁火を見ていた青年が目をキラキラさせながら俺に聞いてきた。
凪「強盗さん、あれは何ていうの?」
森野「その呼び方何とかならないか?俺は森野だ、森野茂昭」
そういえば君の名前は?」
凪「僕は佐久間凪」
森野「凪か、あれはな漁火っていうんだ」
凪「いさび?」
森野「ああ、夜間、魚を集める為に漁船で焚くかがり火のことだ」
まさかこんなものに興味を示すとはな・・・意外な発見だ。
漁火を眺める青年の瞳は漁火よりずっとキラキラと輝いていた。
もう過去のことなのに自分がやっていた仕事に少しだけ誇らしさを感じてしまう。
青年は近くで見てみたいと言った。
その願いを叶えてやりたくなった。
頭を撫でてやると青年は照れくさそうに口角を上げた。
てっきり振り払われると想像していたが・・・。
今まで愛情をあまり受けて来なかったのだろうか?
反応からして暴力を受けている風では無さそうだが
直接的な暴力でなくとも心が傷付くようなことは何かしら言われてきたのかもしれない。
青年を見てなんとなくそう思った。
三話 約束
7日後の朝。
俺は凪を家に送り届けた。
凪を送り届ける時、両親がちょうど帰って来ているところだった。
玄関でお土産の話をしているのが聞こえる。
母「あら、凪、珍しい出かけていたのね」
父「そちらの人は?」
凪「あー、えーと」
俺は凪の言葉が出る前に言葉を発していた。
まさか俺に拉致されたていたとも知らずに呑気な両親だな。
森野「俺はこんなことを言える立場じゃねぇが・・・自分の子どもが苦しんでる時に親だけで旅行に行くのはどうかと思うぜ」
母「え?」
父「な、何を言い出すんだ?ちょっと!」
森野はそれだけ言うと二人の話も聞かずにその場から去ろうとした。
しかし、凪に服の裾を掴まれた。
森野「ん?」
凪は離れがたいと言っているような表情をしていた。
森野「大丈夫だ、しばらく姿を消すだけだ」
凪は森野がこれから自首をすると分かっていた。
二人で過ごした7日間が彼をそうさせた。
そして、それは凪にとっても同じだった。
凪は今、死にたいと思っていない。
凪「今度、漁火を見せて欲しい」
それはまた会いに来て欲しいという彼なりの合図だった。
森野「ああ、分かった、その約束、必ず果たそう、
それとその時は俺のお気に入りの店でとびっきり美味い魚料理を腹一杯食わせてやる」
凪はこくこくと強く頷くと裾を掴んでいた手を離した。
森野「じゃあな」
両親にあの人は誰だと聞かれ、凪は僕の友達と答えたのだった。
四話 再会
それから一年後の夏。
俺は凪に会いに行った。
幸い、自首したことで刑期は一年で済み、人も殺していなかったのでテレビや新聞には載らなかった。
そうでなければ会いに来たりはしない。
凪「強盗さん」
森野「俺はもう強盗じゃない!」
ヒソヒソ声で返す。
青年はヒソヒソ声ではなかったが、元々声が小さいのでまぁ問題はないのだが。
森野「久しぶりだな、元気だったか?」
凪「分からない、あんまり外出ないし」
森野「分からない、か、でも、あんまりってことは多少出ているんだろう?」
凪「うん」
俺はお気に入りだった店に凪を連れて行った。
海から近く、漁師をやっていた頃によく通っていた新鮮な魚が美味い店だ。
凪「美味しい」
森野「フッ、そうか、上手いか、そりゃあ良かった」
青年が店員の女の子の方を見るや否や、急にここで働きたいと言い出した時は驚いた。
やっぱり年頃の男の子なんだなと思った。
しかし、理由はその女の子ではなく、その子が立っていた横の壁に貼ってあるバイト募集中の、賄いありの賄いありの部分だけだった。
それを聞いて大笑いしたのを10年経った今でもずっと忘れることはない。






