茨の道
カリンさんを西丘駅のロータリーで見送った後、僕は夜の街を歩く。クリスマスイヴまであと二日。白塗りの車に乗ったカリンさんが後部座席の窓から手を振ってくれた。僕も手を振りかえす。車はイチョウ並木の坂道を登っていった。
僕は思ってしまう。もう制限時間付き、タイムリミット付きの恋のゲームはクリアしてしまったのではないかと。いくらこの後二人が文化祭でイチャイチャしようが、誰もそこは楽しみにしていないだろう。僕自身も恋の結末という名のHAPPYENDは誰に伝えるべくもなく記憶の中に留めておきたい。
物語は完遂した。まあ、まだ告白はしてないけれど。してないけれど、これはどう考えても両想いと言っても差し支えない。だってカリンちゃんと二時間も喫茶店にいたんだもん。想いを伝えたも同然である。
ニヤニヤしながら夜道を歩いていた僕に、いきなり何者かがぶつかってきた。
「…おぉ?」
僕は崩れた体勢を整え、星がまたたく良い気分の夜にどいつがぶつかってんだよ、と一言浴びせようとした。
「…遅いじゃん」
そこには、檸檬さんが立っていた。僕はまさかの展開すぎて一瞬言葉を失う。僕はゆっくりと言葉を吐いた。
「…遅くなってもいいなら、って言ったからね」
僕のセリフに目を丸くしたのか、檸檬さんはふふっと笑った。
「夜ご飯食べてないでしょ? ファミレス行こ」
僕は黙って頷いて、檸檬さんと肩を並べて商店街に向かって歩いて行った。
ファミレスに着いた僕は何を食べようかな、とメニュー表を見た。流石ファミレス、羽休め喫茶と比べてリーズナブルである。チラッとテーブルの下で財布を確認する。流石に財布にはほとんど札と銭は残っていなかった。
「檸檬さんは何にする?」
檸檬さんにメニュー表を渡す。檸檬さんはメニュー表を見たのか見てないのかよくわからないが、間髪を入れずに「パンケーキ」と言ってきた。
「夜ご飯でしょ? また甘いもの食べるの?」
「うるさい、食べたいものを注文するの」
ふーんと思いながらオーダーのチャイムを鳴らす。僕も食べたいもの注文するか。そう思ってメニュー表を再度確認する。スパゲッティにハンバーグ、オムライスにピザにステーキなど種類は豊富であった。どれも食べたいので涎が出そうになる。
「私を待たせたから、当然払ってよね」
「え⁉︎」
たまには割り勘にしてよ、と思った矢先にオーダーを取りにきたウェイトレスの女の子がテーブルまでいそいそとやって来た。
「ご注文は何にいたしましょう」
僕はさらにメニュー表をチラチラと見る。無論、値段を確認するためだ。
「パンケーキ一つ。ジャムは大盛りで」
「かりこまりました」
おい、ジャムって確かオプションだったぞ。僕はメニュー表を閉じて「珈琲一つ」と言ってウェイトレスの女の子を見た。ウェイトレスの女の子はどこかで見たことがある女の人だった。
「ご注文を確認します。パンケーキ一つ、ジャムを大盛りで追加。あとは珈琲を一つ。以上でよろしかったでしょうか」
僕はこの女の子は誰だろう?と訝しげに名札を見た。名札にはひらがなで「かりん」と書いてあった。
「以上で、大丈夫です!」
僕は絶句した。檸檬さんは元気にそう言った。僕は檸檬さんを一度見る。そしてウェイトレスのかりんさんを見た。
「か、カリンさん…?」
かりんさんの表情には先ほど羽休め喫茶で見た微笑はなかった。その代わり、とてもにっこりとしていた。
「楽しんでくださいね!!」
そう言って彼女は踵を返していった。残された僕はメニュー表をパタっとテーブルに置いて、ひとり首を垂れた。そんな馬鹿な! というか、そもそも働いているなんて知らなかった…! 絶対ファミレスにいるはずないと思っていた。数十分前に車に乗って帰って行ったではないか。まさかそこから出勤していたなんて…!
混迷の最中にいた僕に、遠くからカチカチと時計が鳴る音が聞こえてくる。どうやら僕の制限時間付きの恋の時計の針がまた動き出してしまったようだ。
僕はかりんさんの誤解を解きたかった。確かに今は檸檬さんといるが、本命はもちろん貴方で、檸檬さんには横田先輩との別れ話の事の顛末を聞きに来ただけなのだ…! そしてその恋の相談に乗るだけなのだ…!
檸檬さんを薄目で見る。檸檬さんは「どうしたの?」という顔をしている。そりゃそうだ、檸檬さんが企んでいるはずがない。檸檬さんが好きだったのは横田先輩で、僕が好きなのはカリンさんで、でもかりんさんに僕はどう映っていたのだろうかと反芻すると、どう考えても本命は貴方ではありませんと言っているようにしか映っていないではないか。
「あぁ……」
僕はまた首を垂れた。そこにウェイトレスの女の子がパンケーキと珈琲をそれぞれ一つずつ持ってくる。名札を確認するが、ウェイトレスさんは間違いなく「かりん」さんではなかった。
「パンケーキ、たーべようっと」
檸檬さんはそう言って大盛りの苺ジャムをパンケーキにゆっくりと垂らしていく。ホカホカのパンケーキの湯気が上から垂れるジャムによって霧散する。とても、美味しそうだった。
僕は目の前にあるファミレスイチ安い珈琲を見る。珈琲からも湯気が立ち昇っていた。啜った珈琲の味には苦味があり、先ほど羽休め喫茶で淹れてくれた珈琲とは全然違っていた。
「それで聞いてよ。横田くんがさあ……」
檸檬さんがパンケーキを頬張りながら横田先輩の話をし出す。内容はほとんど耳に入ってこなかったが、要約すると大半が横田先輩に対する愚痴話であった。僕はファミレスから見える窓の外に目をやる。窓から見える商店街は、いつもより暗く閑散として見えた。