ライン攻略法とはなんぞや
「僕:こんばんは、カレンさん」
「僕:実は相談事があるのですが、ラインで話すのもアレなので南中学園の門の前待ち合わせで会って話しませんか?」
「僕:時間は今週末金曜日のカレンさんの下校時間に合わせたいと思うのですが、どうでしょう」
僕は横田先輩の目の前でそう、文章を打った。横田先輩には口頭で内容を伝えてある。先輩は黙って頷いた。
夕闇の中、潮の満ち引きの音がする。僕はどこからともなく聞こえる鳥たちの鳴き声に耳をすませながらラインの返信を待った。
「カレン:こんばんは、カレンです」
通知が鳴り、白い桃アイコンが文章を発した。僕はその画面を黙って見ている。
「カレン:??」
「カレン:わかりました。よろしくお願いします」
「僕:ありがとうございます。おやすみなさい」
僕はそれだけを送ってライン画面を閉じた。その後、先輩からは口頭でライン攻略法を聞き、僕はスマホにメモを残した。そして、男たちは闇に消えていったのである。
僕は翌日から攻略法を元にカリンさんへのアタックを開始した。アタック、とは体のいい言葉であり、実態は猛アピールであった。ただの短文しか送っていないのだが、その短文に意味を込め意味を込め、誤字脱字のないように何度も確認してから送っている。しかし、肝心のカリンさんからの返信は遅かった。
「返信が遅すぎる!」
木枯らしが吹く高校の一年二組の教室に突如として男子高校生の悲鳴にも似た声が響いた。大半の男子高校生は机に突っ伏しているか寝ているかだが、発した声の先を聞いた何人かの生徒がポツリと「またか」とだけ言った。そう、何を隠そう僕がその声を発したのだ。
そんな折、ラインが鳴った。通知欄を見るとレモンアイコンが表示されている。僕はなんとなく嫌な予感がした。もしかして檸檬さんは全てに勘付いたのではないか…。額に汗が流れる、ような気がした。僕は横田先輩から教わった通り、即既読することは避けた。そしてわざと数分待ち、ライン画面を確認した。
「檸檬:こんにちは」
「檸檬:ちょっと話あるんだけど、放課後ファミレス来てくれない?」
僕はラインの文字数をざっと確認して、横田先輩に習った通りに文字数を調整した。
「僕:こんにちは」
「僕:商店街前のだよね? 十八時過ぎに着けるようにしますね」
そして、さっと文字を打った後、次に送られる文章に既読を付けないようにライン画面を閉じた。
完璧である。誰が何と言おうとこれは完璧なライン攻略法である。問題なのはなぜか檸檬さんに対してラインは完璧なのに、カリンさんに対してはただ待つしかできないのである。その事実に面食らいながら僕は静かにライン通知を待った。ピンクの桃アイコンからの通知、その通知が届かないことには話が進まないのである。攻略法もクソもないのである。
僕はヤキモキしながらスマホ画面を膝の上に置いて授業を受けた。通知が鳴れば振動ですぐに気付けるようにするためだ。スマホの画面には南中学園の学園祭の写真が待ち受けに設定してある。この夏、行われた学園祭で撮った写真だ。写真を見るたび、桃咲カリンさんが画面端に映っている学園祭風景の写真を幾度となく待ち受けに設定しようかと悩んだことか。実際にはいつもの男友達の写真を待ち受けにしてあるが、それでも、時たま写真フォルダを見てしまう。
そんなことを考えつつ授業を受けているものだから、授業などうわの空であった。ほんの些細な振動にも気づき、スマホ画面に何度も目をやってしまう。鳴った!と思ったら鳴っていなかった時など日常茶飯事である。これはまさにファントムバイブレーションシンドロームである。
その時、通知が鳴った。膝に振動が走る。これは本当の振動だ。そう思って首が捻じ曲がるのではないかという速度で膝の上を瞬時に見る。通知にはレモンアイコンが表示されていた。
僕はなんとも言えない気持ちになった。心の中で「なんだよ、檸檬かよ」と思ってしまう。しかしそこは漢、何も言わずに静かに横田先輩からのライン攻略法に準える。数分待ったのち、ラインを起動した。
「檸檬:ありがと」
僕は黙ってスタンプを送り、授業に向き直った。
「…で、話というのは?」
僕は目の前で大きめのフルーツパフェを食べている中部中心高校の女子学生を見ていた。食べながら話すものだから口がモゴモゴ言っている。食べ終わってから話しなさい。思わず僕はそう言ってしまう。
大口を開けつつ、いちごとオレンジが乗った生クリームを頬張る女子学生、その子は檸檬さんだった。檸檬らしくレモン食べろよ、と言いたくなる。本人に伝えたところ、レモンは好きだけど、食べるのは嫌なの。だそうだ。
口を開けば決まって出てくる単語はいつも同じであった。
「横田くんってなんでいつもああなのかな…」
「横田くんはだから…」
「横田くんがね」
「横田くんがそういえば!」
「横田くんってさぁ…」
話を聞けば横田先輩の話しかしてこない。僕はにが虫を噛み潰したような顔をしながらファミレスで一番安い珈琲を啜る。なぜなら檸檬さんの会計は僕持ちにされてしまったからだ。理由を聞けば、こんな美少女とお茶できるなんてお金払って当然でしょ、ということらしい。僕は満更でもない気持ちになる。結構高いんだよ、このフルーツパフェ。財布の中の千円札がレジに吸い込まれるように飛んでいくのが目に見えている。しかし、彼氏がいるだけあって檸檬さんは確かに可愛いんだよなあ…と思ってしまう。だがしかし、断固として意中の相手はカリンさんだということはしっかり明記しておきたい。
僕は珈琲を啜りながら檸檬さんの与太話を聞いている。話を総括すると、最近横田先輩が私に振り向いてくれない、のだそうだ。なんでその話を僕にするのかがよくわからなかったが、檸檬さんが言うに、中高で話をするとすぐに噂話になり、仲が拗れる原因になるからだ。でもかといって話をぶっちゃけないと気が済まない。詰まるところサンドバック的な立ち位置に僕がいるということらしい。僕はまたも満更でもない気持ちになった。金は飛ぶし、与太話は聞かされるし散々だが、こうでもしないと女子学生と話をする機会などあの荒涼とした学校にはないのだ。ここは甘んじて受けるとしよう。
ところがどっこい、一度話を聞いてしまったのが運の尽き、僕はこうしてほとんど毎日、放課後にファミレスに来ては檸檬さんの横田くん与太話に耳を傾けつつ、財布の中の札をすり減らす日々を送ることになってしまった。話の9割は横田くんについてであり、残りの1割については自身、檸檬さんのことであった。つまりは話し相手が欲しかったのだろう。僕はだんだんとうわの空で話を聞くことを覚えてきてしまった。
話を聞きながらファミレスの窓から見える風景を眺める。窓の外には商店街を右往左往している中高生の姿があった。両手に大きめの紙袋を持っているかと思えば、緑やら赤やらに塗装された段ボールを持っていたりと中高生たちはおおわらわだ。僕は、文化祭もそろそろか…、とひとりごちた。
しかし、ひとりでごちても檸檬さんに話は拾ってはもらえない。檸檬さんは檸檬さんで弾丸のように言葉を浴びせつつフルーツパフェを頬張る。相変わらず美味しそうに食べるな…。僕も拾ってもらえないのにも慣れてきてしまい、静かに珈琲を啜るしか無かった。
「カリン:ごめんね、忙しかったの」
スマホにピンクの桃アイコンが鳴ったのはファミレスで檸檬さんと別れた後のことであった。僕は驚きと嬉しさのあまり即効でラインを起動してしまう。カリンさんは忙しかったようだ。きっとそうだろう、学業や演技の稽古に忙しいのだろう、想像に難くない。そんな忙しい時にも関わらず、天使が僕のラインに降臨してくれたのだ。僕はありがたく文字をスマホに走らせる。
「僕:謝ることはないよ。夜も遅いし、帰り気をつけてね」
僕はそう打って誤字脱字のないことをしっかりと確認し、送信ボタンをタップした。そして送信したライン画面を見る。カリンさんは忙しいのだろう、既読にならない。僕はだんだんとライン攻略法ってなんだったんだろう? という気持ちになる己を抑えられずにいた。
しかし、時間というものは誰がなんと言おうと過ぎ去っていくものである。金曜日の放課後の時間に差し掛かり、僕はいそいそと坂道を下って白鳥の門まで来ていた。そして、門の近くにある電信柱の影にひっそりと身を隠したのである。
「僕:配置に着きました」
「横田:いつでもオッケー」
横田先輩は白鳥の門から微妙に外れた位置、詰まるところ僕の反対側に身を潜めていた。この人たち、何やっているんだろう。登下校する南中学園女子生徒から白い目をされているかもしれないが、今はそんなことは問題にはならない。僕はスマホ画面に文字を走らせつつ、カレンさんを呼び出した。
電信柱の影に身を隠しながら校舎の奥から白鳥が舞い降りてくるのが見える。僕は門の反対側にいる先輩に目配せをした。先輩も頷く。
カレンさんが門の正面に来て、どこかにいるかもしれない僕を探している中、さっと横田先輩がカレンさんの前に現れた。
「えっ?横田くん?」
驚くカレンさんの声。それ以上は聞くまい。僕は門を後ろに静かに背を向けた。後方で横田先輩とカレンさんの笑い声が聞こえる。僕は満更でもない気持ちで、その場を後にした。
その帰り道、僕は誰かの視線を感じて、思わず通学路を振り返った。暗闇の中、真っ白の制服が見えたような気がしたが、夕闇の通学路は閑散としていて、そこには誰もいなかった。僕は気のせいかと思い直して帰宅の途を急いだ。
その夜は風が強く、スマホの振動が分からなかったのかもしれない。通知欄には確かにピンクの桃アイコンが表示されていた。