男たちの画策
あの日から僕はカリンさんとラインをする仲になっていた。と言っても一往復しかしていないのだが。
僕はカリンさんと送り合ったラインの内容を見返した。僕からライン交換したその日中に「こんばんは、ライン交換ありがとう。よろしく」と送り、カリンさんからも「うん、よろしくね」とだけ返ってきているラインである。
このラインからどうやってクリスマスイヴに文化祭に行こうと誘うか、そのことに頭を悩ませていた。登下校する通学路からいつの間にか降り積もったカエデの落ち葉たちが消えていた。おそらく街の人々が掃除してくれているのだろう。
このままでは文化祭のチラシを渡してラインを交換しただけである。そもそもカリンさんに彼氏がいるのかどうかもわかっていない。そのため、誘ったとしても彼女は他の男子と一緒に文化祭を回る可能性すらある。自分の知らないところで彼女が他の男子とつるんでいるのは見たくなかった。手でも繋がれて、僕に向けてくれていた笑顔以上の顔を、いるかどうかもわからない彼氏に向けているのではないかと思うと居ても立ってもいられなくなるのだ。
僕は登校中に何度もライン画面を見ながらゆっくりと息を吐いた。吐いた息が白くなり、虚空に立ち昇って消えていく。いつもの通学路、いつも通る道に南中学園の白い塀と校舎が見える。その校舎を見るたびに、僕はなんとかして彼女をものにしたいという気持ちだけが胸を焦がすのを感じた。これは焦りというやつだ。クリスマスイヴまで残り2週間を切り、ここからが本番という最中、デジタル機器越しに彼女の気持ちを探らないといけない。彼女と直接会っている時でさえ難しいのに、文字でしか彼女の気持ちを察することができない。その事実に歯痒さを感じた。
「カリンさんになんてライン送ればいいんだと思う?」
僕は休憩時間中に北高の校舎裏で中谷に声をかけた。中谷は咥えタバコに火を付けながら、「んあ?」という声を上げて空を見上げた。空は快晴であり、空気が澄み切っていた。
「そりゃ取り留めもない話題でいいんじゃね?」
「取り留めもない話題って?」
僕が思わず中谷の言葉をリフレインする。
「おはよう、とか、こんにちは、とかそんなんじゃね?」
中谷はそう言ってまたカチッカチッとライターに着火させる。それだと会話が続かないだろ、という思いをグッと堪えて短澤を見た。短澤は小さく「俺もそんなもんだと思う」とだけ言ってコーンポタージュの空き缶にタバコの灰を落とした。
「俺も女の子とラインしたことないからな……」
中谷はなんとも言えない表情をしつつポツリとそう言った。短澤は短澤で何も言わず、腕組みをしている。
「長代、お前はどう思う?」
僕は校舎に寄りかかるようにして立っている長代に話を振った。長代の丸眼鏡の瞳の奥が少し曇るのが見てとれた。
「ラインっすか…、そういうのを具体的に取り上げたアニメや漫画ってそんなにないんすよ。だから俺もわからないっす……」
それは、そうだろうなと思ってしまった。そして三人の友人たちの話を反芻した。
ただの挨拶に過ぎない言葉、おはよう。こんにちは。その言葉を発することで何かのキッカケにはなるのだろう。だがそこからどうラインを続ければいいのだろう。どんな話題を振ればいいのだろう。友人の三人には別段ラインの女友達もいなさそうだ。その事実を責めるわけではない。ただ、北高生徒たちはあまりにも女慣れをしている生徒が少な過ぎて、教えを乞うことすらできない。僕だってラインをゲットできたはいいものの、普段は女性と言えば母親くらいとしかラインをしていない。母親としているような取り留めもない話題をいきなり好きな、意中の子にしてもいいのだろうか。それともネット記事を漁ってライン攻略法なるものを勉強した方がいいのだろうか。
僕はそんなことを考えながらスマホを握りしめていた。その日は気分が乗らず、タバコには火を付けなかった。ただ、ライン画面を見返しているうちに一つの解に辿り着いた。何も北高生徒だけに教えを乞わなくても良いはずだ。僕にはライン友達に既に彼女をものにしている男が一人登録されているではないか。その彼に話を聞けばいいではないか。
その日の昼休み、僕は思い立って横田先輩にラインを送ることにした。校舎の窓から見える街を眺める。見下ろす街は、とても静かで、それでいて僕という人間を謙虚な気持ちにさせた。どうしてそう感じたのだろう。考えるとおそらく、刻々と色を変えていく草木や、散りゆく葉の姿が生と死を示しているからかもしれない。
「僕:桃咲カレンさんの連絡先をゲットしたので、相談したいことがあります。急ですが、今日の夜どこかで集まりませんか? できるだけ人がいない場所で話したいです」
文字をタップして送ったのち、僕は息を吐いて意を決した。紅葉からは自然の摂理を感じられる。だが、それと同時に心が鼓舞されるような、背中を押されるような感覚も覚えた。すべてのことに道があるように、自分にも道があり、何か問題が起きるとしても自分なら解決できるのではないか、そのように不安が消えて謙虚な気持ちになる気がしたのだ。
ラインの返事はすぐには返ってこなかった。返ってきたのは帰宅時間になった頃だった。
「横田:わかった。それなら夜八時あたりに浜辺で集まろうぜ」
そっとラインを既読にして、僕は下校を急いだ。
「お待たせしました」
横田先輩は既に海浜公園の浜辺近くの街頭の下にあるコンクリート仕立ての段差付近で待っていた。北高から見て真南に位置するその海浜公園は、夏は海の家が立ち並び、花火を打ち上げた場所でもある。しかし、冬の海は静かで、冷たい海風が吹いていた。横田先輩はサッと振り返り、僕を見た。暗くてよく見えないが、彼の声色は期待に満ちたものであった。
「おう、連絡先手に入れたんだな。それで相談したいことって?」
僕は周囲に誰もいないことを確認して、言葉を選んで発した。
「カレンさんと会ってラインを交換しました。このままカレンさんのラインを教えるのもいいですが、それだと角が立つので、一つ提案があります。カレンさんをそれとなく呼び出すので、その代わりにラインの攻略法を教えてください。カリンさんをものにしたいのです」
「なるほど……」
横田先輩は唸り声を上げ、わかったと言った。
「呼び出す日時はどうする? 金曜の夕方あたりだとおそらく向こうも大丈夫だと思うが」
僕は少し思案したのち、「では金曜日の夕方に白鳥の門の前に来てください。カレンさんをそこに呼びます。時間は追って連絡します」と言った。
僕はスマホを取り出してラインを起動し、白い桃アイコンをタップして文字を走らせた。相手はもちろん、桃咲カレンさんだ。暗闇の海に月明かりが揺らめき、どこか遠くの方で鳥たちの鳴く声がした。街頭が照らす光の下で、男たちの画策が始まった。