紅葉のみちしるべ
朝が来た。
窓から日差しが差し込む。差し込んだ日差しが寝ていた僕の顔にかかり、僕は思わず目をしばたたかせた。枕の隣にあるスマホに目をやる。スマホにはラインの通知が二件届いていた。一件は横田先輩からのラインであり、もう一件は檸檬さんからのラインであった。僕は昨日の今日の出来事に我が目を疑った。
横田先輩と檸檬さんは付き合っている、のだろう。おそらく。その二人から個別に僕宛にラインが届いている。その事実に僕は驚愕した。僕は時計を見て時間を確認した。時間はいつも通り、朝の五時半を指している。僕は制服の学ランに袖を通しながら、横田先輩のラインを既読にした。
「横田:夜遅くに悪い。桃咲カレンのラインって知ってる?」
僕は横田先輩のラインに返事をする前に壁にかけてあるカレンダーに目線が自然と移っている事に気づいた。中部中心高校の文化祭まで残り約二週間ちょっとしかない。横田先輩も先輩で、カレンさんを落とすために躍起になっているのだろう。男同士、その気持ちが少しわかってしまった。指をスマホ画面に走らしながら、僕は返信を打った。
「僕:おはようございます。いえ、僕はカレンさんのラインは知らないです」
「横田:そうだよな。お前ならカリンと仲良さそうだから知っているかと思ったんだ」
横田先輩から即座に返信が来た。僕は朝のトーストを齧りながら数秒考えを巡らし、スマホに文字を打ち込んだ。
「僕:ライン知れたら連絡します」
「横田:頼む」
スマホ画面に表示された電子時計は六時を回っていた。僕は急いで靴に履き替え、部屋を後にした。
背中に背負ったリュックサックを揺らしながら、登校途中に檸檬さんのラインを既読にした。ラインには見たこともないほど長文で文字が並んでいる。スマホ画面に映る文字には戸惑いと謝罪の匂いがした。
「檸檬:夜遅くにごめんなさい。昨晩ライン交換した檸檬です。先に謝っておきたいことがあって。昨日はごめんなさい。実は、いつも隣にいる横田くんの様子がおかしいのです。それで、もし何かあなたが知っていることがあったら…と思ってしまって。もし何か知っていることがあったら連絡ください」
どう返事すればいいのだろう…。スマホ画面をタップする指は止まっていた。女の子と初めてするラインに僕はどう返事をすればいいのか、そのことを懸命に考えつつ早足で北高への道を歩く。
僕の登下校道は県の東側からスタートする。東側にある一件のアパート、そのアパートを出てから西方向に向かって歩いていく。途中に南部中央学園の白鳥の門のそばを通り、さらに進むと西丘駅に着く。その西丘駅からまるで直角三角形の90度の角度のように北方向に折れ曲がり、峰にある北高を目指す。
僕の南中学園までの道のりにはカエデ並木が連なっている。そのカエデの葉が風に吹かれて宙を舞った。舞う葉の数が日に日に多くなり、季節が冬へいざなっている。数メートル先には中部中心高校生のつがいたちが歩いていた。つがいを追い抜かして歩く時、二人が楽しそうに文化祭の話に花を咲かせていた。僕はその二人の話を後方に聞きながら、散っていくカエデの葉を見ていた。
景色が変わり、いつの間にか白鳥の門の前まで来ていた。車に見送られる純白の学園生徒たちとそびえる校舎、その学園と風を舞う紅いカエデの葉のコントラストが印象的だった。ここを毎日通るたび、何度住む世界が違うのだろうかと思いを馳せた。純白の学園とその学園に咲く真っ白な睡蓮の花と違って、僕はまるで落ちたカエデの葉のように思えてならなかった。そのように考えると、まるで檸檬さんの通う中部中心高校はイチョウの葉のように思えてしまっていた。
「僕:わかりました。何かわかったら連絡します」
僕は文字をそうタップし、送信ボタンを押した。横田先輩と違って既読はすぐつかなかった。僕はスマホ画面を閉じて、ゆっくりと北高への順路であるイチョウ並木に向かって足を進めた。
「週末、中高行こうぜ」
そう言って長代、僕、短澤の三人を誘って来たのはクラスの中心的人物の中谷だった。
「なんで中高なんだよ」
校舎裏でたむろする四人の中の一人、短澤がそう言った。
「昔から備えあれば憂いなしってことわざもあるだろ。俺たちのデットラインはクリスマスだ。そのクリスマスイヴに中部中心高校ではどんな文化祭をするかの情報は集めたろ?」
そう言って中谷は持っていたあのチラシをパンパンと叩いた。
「そうくりゃあ、次は敵情視察ってやつだ。中高を見に行くに決まってんだろう」
「敵でもないけどな」
「…それは、わかってるよ。ただなんというか、じっとしてらんねえぜ、つまりそういうことだよ」
「…思い立ったが吉日?」
僕が中谷の言いたいことはおそらくこれだろうと思ってそう言った。
「そう! それなんだよ。思い立ったが吉日!」
「せいては事をし損じる、ということわざもあるっす」
長代が丸眼鏡をクイっとあげて釘を刺した。
「待てば海路の日和あり、ということわざもあったな」
短澤も燻らすタバコを吐きながらそう釘を刺した。
じゃあどうするんだよ、という怒りとも焦りとも付かない男たちの嘆きの後に、僕は一瞬の閃光の後、閃いた。
「四人で商店街のカラオケ行けばいいじゃん。カラオケなら中高にも近いし、僕もまだ行った事ないし…」
四人の間に、風に吹かれた落ち葉が舞って消えていった。
「いいじゃんいいじゃんカラオケ。たまにはドンジャラ以外もしないとな。これぞ三人寄れば文殊の知恵!」
「四人だけどな」
おいい、とぶつくさ文句を言う中谷を尻目に、僕はついにカラオケという未踏の地に足を踏み入れることにワクワクしていた。ネオン煌くあの空間には一体何が待っているのだろう。僕は思いを馳せた。
そのカラオケ店に入ろうとした時に事態は急変した。意気揚々と自動ドアを潜ろうとした時、店から桃咲姉妹が出てくるではないか。僕らはお互いあもすも言わずに学ランの詰襟を正した。
「あっ、こんにちは!」
カリンさんが元気よくそう手を振りながら声をかけてきた。僕は自然とにこにこした表情になっていたと思う。気持ち悪いくらいに。
「カリンさん、カレンさんこんにちは」
カレンさんはその場で一礼をした。僕は流石「白鳥の舞」のトリ、と思った。そして何気なく目線を二人がそれぞれ持っているスーツケースに目を落とした。カリンさんはピンクのスーツケースを、カレンさんは白いスーツケースを持っていた。
「それは?」
僕は思わずそう言って指を刺してしまった。そしてスーツケースを指差した後に一瞬、これは言わなくても良かったのでは…とひとり脳内でごちた。
「…ああ、これ? これは舞台のための練習衣装が入っているの」
カリンさんはそう言って反対の手に持っていたリボンのような布生地をフリフリした。僕ら男たち四人の脳内にメイド服やらナース服、バニーガール姿の姉妹の絵がほんわりと浮かんだ。
「それはそうと、君たちは?」
カリンさんがクリクリした瞳で僕らを覗き込むようにしてそう言った。僕は思わず、あなたに会うためにここに来ました!というのを堪えて、口が動くその様のままに言葉を紡ぎ出した。
「実は…、商店街を通った時に偶然二人を見かけて、クリスマスの文化祭のチラシを渡そうと思って来ました」
長代、中谷、短澤の三人は仰天しながら僕を見ていた。僕もその目線を感じつつ、なぜか口から出まかせを言ってしまっていた。口を止めようにもやっと会えたという思いが強くて、一時でもこの人を引き止めたいという思いに駆られていたのだ。
「中谷がチラシを持っていて…」
僕はそう言って中谷の方を見た。中谷は目を丸くしながらカバンから中部中心高校文化祭のチラシを取り出す。そしてそのチラシをおずおずとカリンさんに渡した。
「これ……案内です」
カリンさんはありがとう、と言ってチラシを受け取る。そして姉妹でしげしげとチラシを見ている。そして僕は何を血迷ったか、間髪入れずに口を滑らしてしまった。
「あの、ライン交換、しませんか?」
「…え?」
僕と桃咲姉妹の間に風が吹いた。その後数秒が経った。時間にして二、三秒だったのだが、まるで時が止まったかのような静けさが辺りを包んだ。
「……では、一つ条件があります」
姉のカレンさんがそう言って何かを言おうとしたカリンさんを制止した。
「あなたのネットに散らばるアカウントを全て教えてください」
「…お姉ちゃん!」
驚いた表情のカリンさんよりも一歩僕の方に足を進めたカレンさんは凛とした表情をしていた。その真剣な瞳を見た僕は開いた口が塞がらなかった。が、僕の意思は変わらなかった。
「はい、今から全部教えます!」
僕はそう言ってスマホを取り出してスマホ画面を見せながら全てのネットアカウントを口頭で姉妹に説明した。説明を聞いたカレンさんは一度深く頷き、妹にラインを交換するように促した。
「よろしくお願いします!」
僕はそう言ってカリンさんにスマホ画面を差し出した。カリンさんも呆気に取られていたようだったが、うん、と頷いてラインを交換してくれた。ラインにはピンクの桃のアイコンが表示されていた。
僕は感極まった声をあげそうになった。思わずガッツポーズを取ろうとした寸前、カレンさんがスマホを僕に差し出してきたのだ。
「では、私も交換お願いします」
「え?!」
スマホを差し出すカレンさんの隣ではカリンさんが、うんうん、と頷いていた。僕は二人を見比べるように思わず視点を動かした後、カレンさんとラインを交換した。ラインには白い桃のアイコンが表示されていた。
「…よろしくお願いします!」
僕は決意を新たにそう口にした。カレンさんも一礼をして、カリンの手を引いて足早にその場を去っていった。
僕は口をあんぐりと開けて去っていった二人の方向を見ていた。肩に手を置かれ、驚きつつ後ろを振り返ると、男メンツ三人がニヤニヤしていた。やるじゃんやるじゃん。僕も思わず口をニヤつかせてしまった。
「な? 思い立ったが吉日だろ?」
中谷がそう言って得意げに長代と短澤の肩に手を回した。回された二人は、まあそれもそうだな、という表情をし、いいからカラオケ行こうぜと言った。僕がこの後のカラオケ代を全て奢ったのは言うまでも無い。僕なりの彼らへの感謝の気持ちだった。