通学戦争
ピピピピッ、ピピピピッ、ピピ……ガシャッ。
丸まった形の布団から、にょっきりと一本の腕が突き出し、うるさく鳴る目覚まし時計を叩いた。
「・・・あと五分・・・」
そのあとすぐばふんという音が続き、腕が力なく横たわった。
コチッコチッコチッと時計の音だけがしばし空間を支配する。
「うぎゃ―ああ――っっ」
次の瞬間、沈黙は悲痛な叫びに破られた。
ガバリと布団が跳ね上がる。
ベッドから中肉中背のいたって平凡な少年がTシャツ、ボクサーパンツ姿で飛び出した。
彼の名前は西村幸哉。比較的自由な校則の私立高校の2年生だ。
彼の通う私立梢柳学園は生徒の自由を重んじる高校として有名だ。ただし一つだけ理事長のこだわりがある。
『時間厳守』
したがって、『遅刻厳禁』。
そして、現在時刻午前8時10分。学校には8時半までに入っていなくてはならない・・・。ちなみに幸哉の家から学校まで徒歩30分。走って18分(幸哉は持久力だけはあったりする・・・瞬発力は鈍いので短距離は苦手だ)。自転車で10分。
「ううっ・・・バカだ。おれはバカだ。いや、そもそも早くチャリを直しに行かなかったのが悪いのか――っ」
幸哉の自転車は現在パンク中。
叫びつつも手早く制服のズボンに足を突っ込み、シャツに腕を通す。片手でボタンを留めながら、もう一方の手でかばんを持って、階段を駆け下りた。途中階段を踏み外しかけるのをなんとかこらえて、かばんを玄関に放り投げて、洗面所に駆け込む。バッバッと顔を洗い、適当に髪を整えると、急いで玄関にとって返す。途中、あきれながらもなにもかも分かり顔の母が弁当を差し出す。弁当をかばんに突っ込み、パンをくわえる。靴に足を突っ込み、時計を覗きこむ。
8時15分。絶望的・・・。
「うぎゃ〜ぁぁ―」
「朝からうるせーよ」
先ほどから叫び声しかあげていない幸哉の声とほぼ同じ、ただし響きは冷たい声が階段の方から聞こえて来た。幸哉がちらりとそちらに目を向けるとのそりと、片手にメットを持った、幸哉と同じ顔の少年が階段を下りてくる所だった。同じ顔をしているものの、こちらの方がどこか落ち着いて見える。
「サキッー、まだ居たんだ。ついでに俺もバイクに乗せてくれ!」
「なんでオレが? 2ケツすると速度落ちるだろうが」
「んなこと言うなよ―。バイクじゃなきゃ、もう間に合わないだろ―」
「オレも遅れたらどうすんだよ。イヤだね」
「そんなこと言わずに~。よし、今度なんかおごってやる。だから頼むよー」
しばし思案するように沈黙した少年はにっこりと微笑んだ。
「……オレ行きたいライブあんだけど……」
「チケット買ってやる! だからサキ―」
幸哉は、もうなりふりかまわずの心境だった。
「約束だぜ、おにーちゃん」
ニィッと笑うと、サキこと幸哉の双子の弟 西村咲哉は靴を履くと外に出る。それに続いて幸哉も外に出た。 車庫の所で、がさごそとやっていた咲哉が幸哉を振り返って、手に持ったものを幸哉の方に放った。
「ユキ、ほら」
予備のメットが飛んでくる。
幸也は思わず落としそうになりながらも危うく受け止めた。
「これも持ってろ」
かばんを押し付けられる。
だが、文句は言えない。乗せてもらう身分だからだ。
複雑そうな顔をした幸哉の顔を見て声を出さずに笑った咲哉は、バイクにまたがってエンジンをかける。
幸哉は慌ててメットをかぶって、咲哉の後ろに乗って、自分と咲哉のかばんを二人の間に挟んで、その腰にしがみついた。
「しっかり掴まってろよ、飛ばすぞ」
「え、あっ……」
言うなり咲哉はエンジンをふかして、走り出した。
本当に飛ばす。
幸哉はギュッと、しがみついた。
(わ、忘れてたぁー。こいつの運転乱暴だったんだぁーぁぁ)
声にならない叫びをあげる。頭のどこかで遅刻した方がましだったかもという考えがよぎった。
そんな幸哉のパニックを背中で感じた咲哉は、メットの中で口を笑みの形にしていた。
この運転は半ばわざとだ。便利だと思われるのは嫌だったし、純粋に幸哉をからかうのを楽しんでいた。
バイクは快調に飛ばして行く。
このまま行くと余裕で学校に着くだろう。幸哉はほっと息を吐いた。
あと2分ほどで学校に着く。7分もあれば、十分に駐車場から校舎に入れるだろう。
だが今日の幸哉はとことん運が悪かったようだ。
車の流れが滞った。
「な、なんだ?」
キョロキョロする幸哉の耳にチッと舌打ちの音が入ってきた。
「バカが。こんな朝っぱらから事故りやがって」
そっと咲哉の肩越しから前方を見やると、前を電柱にぶつけ、後ろから乗用車にぶつかられている軽トラが目に入ってきた。
その間に、咲哉は素早く方向転換して横道に入り込んでいる。
だがこの道は・・・。
「この道って・・・」
独り言のつもりで言ったのだが、ちゃんと答えが返ってきた。
「わかってる。仕方ないだろ、この道しか入れなかったんだから」
にしてもなんで、メットにインカムなんて付いてるんだ?
なんか企んでるんじゃないだろうな・・・。それともこんな時用なのだろうか?(いやいや、ただの咲哉の趣味だったりする・・・)
幸哉の葛藤を無視して、咲哉はとりあえず学校の方向へとバイクを進めていた。
何度か角を曲がる。
時は刻々と過ぎていく。
半まであと5分という所で、学校まであと百メートルというところに飛び出せた。ただし、学校は後方だ。
青ざめる幸哉の耳に、咲哉の落ち着いた声が飛びこんできた。
「やっぱりな・・・」
「知ってたのかっ!」
「いや、だいたいこんなもんかなってだけだ」
「だぁー」
「耳元で喚くな、うるさい」
なんで双子なのにこんなに性格違うんだよ・・・かーちゃん。
その道はいつものごとくうちの生徒で溢れかえっている。
この時間は特にすごい。一番生徒が昇降口に群がる時間だ。
昇降口の大きさに対して、押し寄せる生徒の数が上回るため、列ができるのが常だ。もう少し昇降口を大きくすればいいのにと幸哉は常々思っているのだが、もしかしてこれも学校側の陰謀なのか?
バイクを止めようとしている生徒も並んでいる。
チッと舌打ちした咲哉が方向を変える。
「どーすんだよ、サキ―」
「仕方ない最終手段を使うまでだ」
「最終手段?」
なんだそりゃ?
しかしその質問には答えは返って来なかった。
咲哉は学校の脇を通って、裏に回った。そこから入っていこうとする。
「おい、そこ、先生達の駐車場だろ?」
「いーんだよ。俺は許しもらってるからな」
「許しってなんだよ!」
んなもんありかって気持ちをめい一杯込めての幸哉の叫びにも動じず、咲哉はのうのうと答える。
「ここにバイク止めていいっていう許し」
「なんだよ、そりゃ。本当にいいのか?」
生徒会長の特権だろうか? にしてもそんなことは聞いたことがない。
それでなくともなぜか、咲哉は昔から年上の受けがいい。
「しつこいな、いいったらいいんだよ。ほら、降りろよ。玄関は生徒用のを使わなきゃならないんだから」
「なにぃ―?」
わざと耳を塞ぐようにしながらメットを外して、咲哉が頭を振った。
「だから喚くなって。ほら、メット貸せよ」
素直にメットを渡した幸哉は、しかし咲哉の脇でわたわたしていた。
「何暢気にしてるんだよ。残り3分だぞ」
「はいはい。こっち」
予備のメットをしまった咲哉は、自分のメットを片手に歩き出す。
「おい。出口と反対・・・」
その声を打ち消すように、別の声が割り込んでくる。
「西村!」
「おはようございます」
咲哉がぺこりとお辞儀をしながらそう言った。
幸哉がびくりと肩を揺らして声のほうを見ると、その方向にエレベーターが見えた。
その中から顔を覗かせて、数学科の田山が盛んに手招きをしていた。
「早くしろ、乗るんだろ?」
「はい。・・・ユキ走るぞ」
「あ、ああ・・・」
瞬発力のいい咲哉が先にエレベーターに駆け込む。
続いて幸哉が入るとすぐ後ろで扉が閉まった。
「おお、西村兄もいたのか」
「・・・いましたよ」
締め出されかけたのか、おれは・・・。ほんと、今日はついてない。
「珍しいな、二人で登校とは」
幸哉には誤魔化し笑いに見えるような笑いを浮かべた田山が聞いてくるのへ、咲哉はにこやかに答えていた。
「ユキの自転車がパンク中なので、乗せてきたんですよ」
これでまたサキの評判が上がるな。
なんて僻みっぽくなっている幸哉は考えた。
「西村兄は免許持ってないのか?」
「そうです。俺にそんな金ないですから」
「なんだ無駄遣いか? 弟を見習えよ―」
違います。咲哉と違って、要領が悪いだけですなんて格好が悪くて言えるか。
幸哉がムッツリ黙り込んだせいで、エレベーター内に冷たい沈黙がおりる。
そこで、田山にとっては救いのように、扉が開いた。
「お、早くしないと間に合わなくなるぞ、お前ら」
「そうですね、失礼します」
咲哉は田山を助けるつもりはなくただ自分のためにそう言ったのだが、田山は自分を助けてくれたと勘違いして、また咲哉の株は上がったのだった。
咲哉は再び走り出した。
「あ、待てよ」
幸哉は慌てて後を追った。
走る、走る、走る。
前方に人が群がっている昇降口が見えてくる。
チャイム寸前の一番込む時間だ。
他人を押しのけてでも中に入ろうとする輩が大勢いるのだ。
絶望感が脳裏をよぎる。
あの人ごみをかきわけてまで校舎内に入る自信がない。
突然、腕を掴まれた。体が後ろに倒れそうになるのを必死に留まらせる。
「ユキ、こっち」
「え?」
そのまま引きずられるように連れていかれた。
幸哉を引きずった咲哉は、管理棟校舎の窓の一つに寄った。
「あの人ごみの中に飛びこみたくないだろ?」
にやりと咲哉は笑って、窓に手をかける。窓ガラスを持ち上げるようにして横にスライドすると窓はあっさり開いた。
「な?」
口を大きく開いて、目を見開く幸哉の顔を面白そうに見やってから、咲哉は窓枠に手をついた。
「ここ鍵壊れてんだよ」
力を入れているために、くぐもった声でそう答える咲哉を幸哉はじっと見つめた。
「いっつも、こんなことしてるのか?」
いっつも、のところに思いっきり力を込めて言うと、咲哉は澄ました声で答えてきた。
「いつもやってるわけじゃないけどな・・・」
そうして、手馴れた風にあっさりと窓を越えて中に入り込んだ。
いつもじゃないとは言ってるが、よくやっているのだろう。メチャクチャ、手際がいい。
「ほら、こいよ。早くしねぇとチャイム鳴るぜ?」
咲哉の手を借りて、幸哉が窓を乗り越えて、廊下の床に足をつけたとたんチャイムが鳴り出した。
「ギリギリセーフだったな」
そうなのだ。このチャイムが鳴ると窓から出入りしようとする生徒をも捕獲しようという目的の為に、一階窓の下の外壁に探知線が走る。それに触ると職員室に知らせが入り、ついでに廊下に設置されたカメラがその姿を捕らえ、生徒は先生に捕まる寸法だ。もっとも、それを乗り越える強者もいるにはいるが。
先生方の次の目標はそういう者の一掃だと噂で聞いたが、事実かは幸哉にはわからない。
ただ、こんな事にそんなに金かけるなと言いたいのだが、すべて理事長のポケットマネーなので文句の付けようがない。
「さてと今日も無事学校に着いたことだし、のんびりと上靴でも取ってくるか」
これからの時間、先生方は遅刻者の対応に追われるので、無事時間内に学校に着いた生徒達は比較的のんびりできるのだ。
咲哉がのんびりと廊下を昇降口へと歩きだした。
幸哉も立ち上がって、それに続いた。
波乱万丈の登校時間が終わり、いつもの平凡な一日が始まる。
遅刻した者には今しばし、地獄の時が続くのだが・・・。
終