46.告白と暴走
「────……ヴィンス様、この場に長く居てはいけませんっ」
冷たく、体温を奪い続ける牢屋の中でダリアが叫ぶ。
ダリアの言葉にアンジェリカもハッとしたように頷いた。
「殿下も、今すぐこの場を離れてください!」
一瞬、ほんの一瞬だけ。
太く、冷たい鉄格子の向こうにトピアスを見つけ、安心してしまった甘い心を振り払うようにアンジェリカは声を荒げる。
「それはできない!
こんな場所に、君たちを捨て置けるか」
トピアスはそう一喝し、すぐに錠前の鍵穴を確認する。
「くそ、魔法封じの陣が描かれている……。
魔法で力ずくは無理だな……」
鍵を開け、あくまでダリアたちを救出しようとするトピアス。
その行動を、ダリアは一つ深呼吸をして低く凛とした声で制した。
「殿下、私どものことは、捨て置きくださいませ」
「!?」
ダリアの声音は、震えていなかった。
恐怖と寒さで、震えていてもおかしくないはずなのに。
その声はどこまでも透き通るように、凛としていた。
「ここには定期的に見張りがやってきます。
殿下が見つかり、難癖をつけられ動きを封じられてしまったらどうするのですか。
私どもは殿下の忠臣です。私どものことは割り切り、殿下は殿下としてのお立場で、できることをなさってください」
この場に、いつもの穏やかなダリアはいなかった。
まっすぐにトピアスを見つめるのは、スヴァルトシェレナ国随一の名門を背負う、誇り高きハロルヴァ公爵令嬢であった。
「ダリア嬢……」
トピアスの指先に迷いが生まれる。歪んだ静寂が生まれる中、最初に静寂を破ったのはヴィンスだった。
「どけ」
おおよそ、王太子にかける言葉ではない口調でヴィンスはトピアスを退かせると、どこから取り出したのか、ヘアピンを器用に捻じ曲げて錠前に差し込む。
「お、前……どこでそんな技を」
「ちょっと黙ってろ、集中してる」
ヴィンスは不機嫌そうにそう言うと、カチャカチャとヘアピンを動かし、ものの数秒で鍵を外してしまった。
「魔法が使えないときは、アナログに頼るしかねェからな」
ヴィンスはそう言うと、乱暴に扉を開いてダリアを抱えた。
「確かに、ダリア嬢の言っていることは正しい。
けれど、俺は王太子でもなんでもない、ただの婚約者だ。
君を捨て置ける理由がない」
ヴィンスはそう言うと、ダリアの手枷も同様にヘアピンを使って外した。
「ヴィンス様……」
トピアスの手前、臣下としての姿勢を崩さなかったダリア。
しかし、本当は不安に塗れ、子どものように「怖かった」と泣き出してしまいたかった。
「アンジェリカ嬢も、すぐにここから出ましょう」
そう言ってヴィンスはアンジェリカの手枷も外すと、トピアスがアンジェリカを抱きかかえる。
ヴィンス、トピアスはそれぞれ目を合わせて頷くと、ルカーシュを先頭に牢から抜け出した。
しかし────……
「おやおや、こんな所に何故殿下が?」
冷たい声が背筋に張り付く。
ルカーシュがトピアスたちを庇うようにして剣の柄に手をかける。
そこに居たのは黒いローブを目深に被った男たちが数人。
ダリアのこめかみに、ズキッと痛みが走った。
この光景は見覚えがある。そう、ゲームのストーリーでトピアスがアンジェリカを救出したあとの────……
ダリアはハッとしてヴィンスに自分を下すよう伝え、自分の足で地に立つ。
ここで、ダリアは……花埼桃花はヴィンスを失ったのだ。
絶対に自分が足手まといになるわけにはいかない。
物語がゲームと少しずれているからと言って、この後の展開が変わるとも限らない。
ダリアは気を引き締め、相手を見つめる。
「貴殿は何者だ。誰の許可を得てここに人を閉じ込めていた」
トピアスの声音は凛としており、“王太子”の仮面を張り付ける。
しかし、ローブの男は不敵に笑うだけだった。
「何者か、といいますと……我々は“正史連”のメンバーです。
そして、そちらの女性……アンジェリカ嬢はこの世に居てはいけない存在です。
彼女の存在がタブーであることは、殿下もご存じでしょう」
ねっとりと、鼓膜に絡むような声に鳥肌が立つ。
寒気を覚えたダリアは自身の腕をそっと撫でた。
「正史連……よもやここまで非人道的だとは……。
トピアス・アラン・スヴァルトシェレナの名において、ここでの出来事を聴取する」
毅然とした態度で言い放つも、ローブの男たちはくつくつと喉の奥で笑って見せる。
「何か勘違いしておいででは?」
「何……?」
「我々が殿下の前に姿を表し、正体を明かしたということは────……」
ローブの男たちは剣や杖を取り出し、不敬にも殿下へと向けた。
「この場であなた方には消えていただくからですよ……!」
そう言うと、ローブの男たちは一斉に飛び掛かる。
ルカーシュは素早く剣を抜き、飛び掛かる男と剣を交えた。
少し離れたところで杖を構える男たちは、魔法の詠唱を始める。
「させるか!」
トピアスが無詠唱で炎の魔法を放ち、男たちの詠唱を強制的に止めさせた。
「ダリア嬢は俺から離れるな」
「は、はい」
ヴィンスはダリアを庇うように前に立つと、手のひらに魔力を込める。
「|風よ、彼の者を切り裂け《エア・スラッシュ》」
「ぐわっ、」
見えない刃がヴィンスの手のひらから撃たれ、魔法の詠唱をしていた者へ直撃する。
その威力はすさまじく、直撃した者を数メートル後ろへと吹き飛ばす。
剣を持つ相手は二人いたが、ルカーシュは一人で、二人を簡単に組み敷いていた。
(すごい……)
圧倒的な戦力に、ダリアは早くも安堵の息を吐きそうになる。
トピアスとルカーシュ、ヴィンスであっという間に相手を無力化し、拘束していた。
これでもう大丈夫、誰もがそう思ったとき、唐突に思い出した。
これだけの戦力で、ヴィンスは何故……。
「ヴィンス様……!」
ダリアはヴィンスに駆け寄り、その前に立つと大きく両腕を開く。
その瞬間だった。
どこからともなく放たれた矢が、一直線に飛来し、ダリアの胸へと深く突き刺さった。
「────……っ!!」
弓矢が飛んできた方向へ狙いを定め、トピアスはすぐに魔法を撃つと、木の上に隠れていた男が一人、転がり落ちてきた。弓を持つその姿から、矢を放ったのはその男で間違いなさそうだった。
「ルカーシュ、気を抜くな!」
「はっ」
ルカーシュは再び剣を構えて周囲を警戒する。
トピアスも同じく、アンジェリカを庇うようにして周囲を警戒していた。
「だ、ダリア……っ」
ヴィンスは自身の腕の中へと倒れこむダリアの体を、震える腕で受け止める。
「ヴィンス、様……お怪我、は……ありませんか……」
喋ると胸に激痛が走る。
ダリアは口の中に広がる鉄の味に不快感を覚えながらも、ヴィンスの無事を確かめるようにそう問いかける。
「お、俺は平気だ……っ
それより、何故、飛び出したりなんか……!」
(……おかしいな……。ヴィンス様を助けられたはずなのに……)
目の前のヴィンスは、泣き出しそうな顔でダリアを見下ろしていた。
どうして、そんな顔をするのか。ダリアは不思議に思いながら手をそっとヴィンスへと伸ばす。
白い……むしろ血色のない青くなったヴィンスの滑らかな肌に、自身の手のひらをそっと当てる。
確かな温もりを感じ、ヴィンスの無事を確かめながらダリアはヴィンスに心配かけないよう精一杯微笑んで見せた。
「だって……私、ヴィンス様を……お慕いしておりますもの……」
そう口にした途端、ダリアの中にその言葉が素直に染み込む。
前世の記憶がどうとか、想いがどうとか……、酷くくだらないことを考えていた。
(ああ、私は……ヴィンス様が好きなのだわ……)
その気持ちに前世の感情が全く影響していない、といえば嘘になるが。
口にした想いにも、嘘はない。ダリアは身を挺してヴィンスを庇い、生きていてほしいと思うほどに、ヴィンスを愛していたのだ。
「っ、慕っているのは君だけだと思っているのか」
(なに……?)
うっすらと遠ざかる意識の端で受け取った言葉に、ダリアは揺れる瞳でヴィンスの影をとらえる。
「想っていなければ……こんなところまで、助けにくるはずがないだろう……」
悔しそうな、泣き出しそうな、複雑な表情のヴィンスの顔は、もうダリアには見えていない。
視界は霞み、瞼が酷く重い。虚ろな意識に、ヴィンスの低い声だけが響く。
「俺も……、君を愛しているんだ。
だから……、置いていかないでくれ……」
ヴィンスの頬を、涙が一粒転がり落ちる。
ああ、その涙を────……
拭ってあげたい。
けれど、もう……
体が動かない……。
ダリアの意識は、深く、深い底へと沈んでいった。
「……ダリア、様……!?」
アンジェリカがダリアの横で崩れるように膝をつく。
何故こうなってしまったのか。
自分が囚われてしまったからだ。
自分を助けようとして、一緒に囚われてしまったダリア。
いつだって、アンジェリカのことを心配し、気にかけ、優しく穏やかに接してくれていた。
知らない国で、ダリアの存在はアンジェリカにとって大きなものへと変わっていき、身内のいないアンジェリカにとって家族のような存在になっていた。
そんなダリアが、ヴィンスの前に飛び出したかと思うと、その胸に矢を受け倒れた。
一瞬、何が起こったのか理解ができず、アンジェリカの脳裏は真っ白になる。
状況をすぐに理解し、動いたのはトピアスとルカーシュだった。
矢を放った者を捕らえ、探索魔法で周囲を警戒し、安全を確保する。
その動作に無駄はなく、洗練された連携にいつもなら感嘆の声を漏らすところだが、今はそれどころではない。
白い頬に生気はなく、薄い唇からは鮮血が零れる。
ダリアの愛用しているネイビーのドレスも血に染まり、黒い染みとなって広がっていた。
「そんな……嘘……、嘘よ……!!」
アンジェリカは感情を爆発させる。
怒りと悲しみと困惑と、様々な感情が複雑に絡み合った心を制御できるはずもない。
「アンジェリカ嬢……!」
ドンッ、と音がしてアンジェリカの内部から魔力があふれ出た。
────魔力暴走である。
この危険性にいち早く気が付いたトピアスは、アンジェリカの元へと駆け寄り声をかける。
しかし、あふれ出る魔力が壁となり、トピアスを阻む。
トピアスの声も、聞こえていないらしい。
アンジェリカは両手で顔を覆い、その場で泣き崩れていた。
元々魔力量の多い王族であるトピアスを、優に凌ぐほどの魔力を保有するアンジェリカ。
その魔力が暴走したのでは、スヴァルトシェレナどころか、ハヴスボトム全体が危険になる。
────……かつて魔力暴走を起こした王は、オーケリウムの王弟によって討たれた。
その歴史を思い出し、トピアスはぶるりと震える。
(俺が……アンジェリカ嬢を……?)
アンジェリカの柔らかな笑顔、穏やかな声がトピアスの中で再生される。
芯の通った強い心と、誰にでも平等に優しい心。魔力操作の授業も歴史の勉強も、そのすべてに一生懸命に取り組んでいた姿を素直に尊敬していた。
そしていつしか、
彼女を……彼女のそばにずっと居たいと……。
そう、思った。
それなのに、今この場で、決断しなければならない。
待ってくれ、と叫びだしたい気持ちを抑え込み、トピアスは自分の気持ちと国の未来を天秤にかける。答えは明確に決まっているが、覚悟がどうしても決まらなかった。
(国のためにも……、俺はアンジェリカ嬢を……!)
トピアスの呼吸は浅く、荒くなり視界がぼやける。
「殿下!」
ルカーシュの叫ぶ声は聞こえているけれど、乾いた喉に言葉が張り付いてしまって何も出てこない。
その時だった。
「アン……ジー」
掠れた声が、震える空気の中に落ちた。
ヴィンスの腕の中で、細く華奢な腕が、そっとアンジェリカへと伸ばされる。
意識を失ったと思っていたダリアが、最後の力をふり絞るようにアンジェリカの暴走を止めようと動いたのだ。
「アンジー……っ」
喉の奥に血が逆流し、ごほごほっと苦しそうに咳き込む。
しかし、そのダリアの様子にアンジェリカが気が付き、顔を覆っていた両手を下げた。
「だ、ダリア様……っ」
ダリアが生きていた。その事実にアンジェリカは子どものような安堵の表情を見せる。
「私は、大丈夫……だから、……魔力を……制御して……っ」
そこで初めて、アンジェリカは自身から溢れ出す魔力に気が付く。
一瞬戸惑いを見せるアンジェリカであったが、これまでのトピアスとのやり取りを思い出し、アンジェリカは自身の中の魔力の元を探る。
(蛇口を……閉めるように……)
アンジェリカは目を閉じ、溢れる魔力の元栓を閉じるように意識した。
すると、徐々に壁はなくなっていき、息が詰まるほどの魔力は自然とアンジェリカの中へと吸い込まれていった。
「……っ、」
ダリアは再びヴィンスの腕の中に倒れこみ、今度こそぴくりとも動かなくなる。
アンジェリカも一時的とはいえ魔力暴走を起こした反動で、その場に倒れこんだ。
「アンジェリカ……!」
トピアスが駆け寄り、その華奢な体を抱える。
するとそこに、タイミングを見計らったように間延びした声が届いた。
「魔力暴走の気配を察知して来てみれば……
これってどういう状況~?」
闇を纏い、現れたのはヴェイルだった。




