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04. 泡と夢と、開幕のベル






キキィ―――――――ッ!!!



鳴り響いたのは、ブレーキ音。

鳴り響いたのは、馬の嘶き。


ゴムの焼ける匂い。

舞う土煙の匂い


視界を奪う、眩いヘッドライト。

視界を奪う、もうもうとした砂埃。


舞い上がった、私。

舞い上がった────



「────……泡……」


夢現の境目で、視界は酷くぼやけていた。

ゆっくりと浮上する意識は、水面のように揺らめいていて。

パズルを豪快にひっくり返したように記憶も意識もバラバラになっていた。


まるで、長い夢でも見ていたような感覚に浸るように、一点をぼーっと見つめていると、不意に外から声がした。


「────ま、お嬢様────……ダリアお嬢様」

「っ、え……?」


鼓膜をノックするような声にパズルのピースが一つ一つ嵌っていくような感覚と同時に、漸く焦点が定まり視界のピントが合っていく。

ぼやけた視界に居たのは、眉間に皺を寄せる侍女と窓から覗く御者の姿。


「お嬢様、大丈夫ですか。申し訳ございません、水馬(ケルピー)が急に……」

「……ええ、大丈夫よ」


御者の言葉に、ダリアと呼ばれた女はそう答えながらズキズキと痛む額を指先で触れてみるが、出血は見られない。恐らく“馬車”が急に停まった反動で何処かにぶつけたのだろう。


( 軽い打撲程度なら“魔法”でどうにでもなるわ。“救急車”を呼ぶほどでも────……、ん? “キュウキュウシャ”って何かしら…… )


ダリア、と呼ばれた女性が自分であることは理解している。それでも拭えない違和感に、ダリアは右手で自身の額に触れながら眉間に皺を寄せた。

自分自身の記憶と、“知らない記憶”が混在し、ぐちゃぐちゃに混ざり合っているような不可思議な感覚に戸惑う。まるで違うピース同士を無理矢理はめ込んだような、繋がらない記憶と記憶に違和感と激しい不快感を覚えて頭が痛い。


「お嬢様、気分が優れないのでしたら本日はお戻りになりますか?」


同乗していた侍女の瞳に映るダリアの顔色は随分と悪い。ダリアは薄目を開けてその姿を視認した。


「……大丈夫よ、心配させてごめんなさい。アナスタシアこそ、怪我していないかしら」

「私のことなどお気になさらないでください」


黒い艶のある髪を丁寧に束ねた品の有る侍女が“アナスタシア”であることも、彼女が幼い頃からダリアの家……、ハロルヴァ公爵家に仕えてくれていることも覚えている。しかし、同時に全く知らない人と対峙しているような形容し難い緊張感も覚えていた。

因みに、普段ダリアの専属侍女をしている“カペラ”は、今日は体調不良ということで休みを貰っていることも知っているのに、何処か他人事のような……。


「……あら、何かしら」


何とも言えない緊張感と違和感から視線を窓の外に移すと、そこには不自然な人だかりができており、遠目からでも何かしらのトラブルが起こっていることが分かる。窓も扉も閉め切っているにも関わらず、怒号に近い声が僅かに聞こえてくることから、恐らく水馬(ケルピー)はこの大きな声に驚き嘶いたのだろう、と推測したダリアは扉を開けた。


「お嬢様お待ちください! 外は危険で……!」

「だとしても、我が領民のトラブルに目を瞑れと? そんなこと出来ないわ」


御者の制止を振り切り、ダリアは馬車を飛び出す。ドレスの裾を蹴飛ばし、鱗が煌めく肌が裾から覗く姿を、きっと後ろでアナスタシアが「はしたないです!」とか言っているのだろうな、と思いながらも、止まることなく勢いそのままに人だかりへと体を捻じ込んだ。


「何事ですか」


凛とした声は然程大きくはなかったものの、雑音の中では場違いなほど綺麗な声は異質で。その場にいた全員が一瞬で口を閉ざし静寂が生まれる。


「ダ、ダリア様」


人だかりの中の一人がそう零すように言うと、静寂が僅かに揺れ、ざわめきが空気を震わせた。

突然現れたダリア(領主の娘)に群衆は戸惑いと動揺を見せる。そんな群衆の隙間に視線を移すと、地面に倒れ込む人影を見つけて、ダリアは慌てて駆け寄った。


「大丈夫!? あなた方は一体何をしていたの……っ」


ダリアの焦燥感に塗られた声に、群衆はたじろぐ。群衆の中央に倒れていたのは年若い女性で、その衣服は土埃で薄汚れ、土は頬や髪にもついていたことから、体だけでなく顔まで地面に擦りつけられたことが分かる。いかなる理由があれど、女性にして良い行いではないことは確かであった。


「っ、俺は見たんだ。その女……、足に鱗が無かった……! その女は、()()()()だ!」


群衆の一人が声を荒げる。


「! ロウファ……」


飛び出してきた単語に、ダリアも思わず眉間に皺を寄せる。

ロウファ────……、“海駆人(ロウファ)”とは隣の国の“オーケリウム”に住まう人たちのことで、自分たちとは異なる人種を差す言葉である。人種差別という言葉で片づけられるような問題ではなく、その歴史の闇は深く、今この場で語れるようなものではない。

唯、ダリアの住まう国“スヴァルトシェレナ”には“海詠人(ポエシア)”という種族が住まい、隣接する隣の国、“オーケリウム”には”海駆人(ロウファ)”と呼ばれる、海詠人(ポエシア)とはまた違う種族が住まい、それぞれが憎み合うような関係が続いているのだ。

貿易は勿論、一般人でも互いの国の行き交いは禁止されているため、スヴァルトシェレナに海駆人(ロウファ)が入り込むことはできない。もし入り込んでいたとすればそれは大罪であり、何よりもこれだけ互いに憎み合っているのだから、街中で気付かれてしまったらその場で領民たちに殺されてしまってもおかしくない状況なのである。

しかし、ダリアの主観では目の前に横たわる女性は自身と変わらぬ年齢で、悪企みや陰湿な気持ちを抱えてこの場にいるようには思えなかった。


「……もしそうであれば、海駆人(ロウファ)スヴァルトシェレナ(我が国)に入るなど前例がないため、処罰しようにもどうすれば良いのか(わたくし)でも分かりかねます。これは王室が関わる案件です」


“王室”という言葉に、その場にいた者は表情を強張らせる。ほんの少しのざわめきと戸惑いが漂う空気を一掃するように、ダリアは声を張った。


「この場は(わたくし)、ダリア・バーベリ・ハロルヴァに預からせて頂けますか?」

「……ダ、ダリア様がそう仰るのであれば……」


ダリアの父は、ここ“ハロルヴァ領”の領主であり、幸いにも領民からの支持率、好感度ともに高く信頼も厚い。故に娘であるダリアに対しても領民たちは好意的に接してくれる。この場も父が培ってきた信頼で収めることができたようなものであった。ダリアは自身の父に心の内で感謝しながら丁寧に女性を抱き起こす。


「大丈夫? 申し訳ないけれど、あなたをこのまま此処に居させてあげることはできないの」

「……はい、承知しております……」


腕の中の華奢な女性は、震える声でそう絞り出した。触れる手は声よりもずっと震えていて、指先が氷のように冷たくなっていることをダリアだけが知っていた。


「お嬢様……」


女性を連れて馬車に戻ると、アナスタシアが怪訝そうに眉根を寄せる。御者がゆっくりと馬車の扉を閉めると同時に、外の雑音が遮断されて世界を奏でる音が減り、呼吸さえもしにくくなったような気がして。


「大丈夫よ、アナスタシア」


ダリアは少しだけ困ったように笑いながら、改めて土埃で汚れた女性と向き合う。


「改めまして、(わたくし)はスヴァルトシェレナ国の筆頭貴族であるハロルヴァ公爵家が長女、ダリア・バーベリ・ハロルヴァですわ」

「っ、……も、申し訳ございません。尊きお方にお目汚しを……。馬車も埃で汚してしまい……」

「大丈夫よ。(わたくし)はこう見えて、“三秒ルール”適応タイプですから────……っ、」


口から零れ出る言葉に違和感を覚えたダリアは語尾を濁して切り上げ、目の前の女性の表情を伺う。

ダリアと向き合って座る女性は、聞き慣れない言葉に首を傾げるものの、そもそも住まう国が違うからかそこまで気にしている様子は見られない。自分自身も言い慣れない言葉に唇が違和感に塗れているというのに、何故か聞き慣れたフレーズのような感覚に戸惑いながら、ダリアは咳払いを一つして空気をリセットした。


「……先ほどは、私の領民たちが申し訳なかったわ」

「い、いえ……。大変恐縮です……公女様」

「そんなに畏まらないで。どうか“ダリア”と」


オーケリウムの貴族がどうかは知らないけれど、フランクに接するダリアに対して目を丸くする女性に、精いっぱい柔らかく微笑んで見せる。女性は戸惑ったように瞳を揺らし、少し考えてから恐る恐る唇を震わせた。


「ダ、ダリア様……」

「ええ、そう呼んでもらえると嬉しいわ。それで、あなたの名前を伺っても?」

「あ、わ、私はアンジェリカ、と申します。平民故、苗字はありません」


“アンジェリカ”


その名前に、脳を直接殴られたような衝撃を覚える。



「────……アンジー……」

「? はい、親しい者は私をそう呼びますが……」


きょとん、と小首を傾げるアンジェリカに、ダリアはハッと口を閉ざした。

無意識に漏れた言葉は唇に不思議な違和感を残す。周囲にアンジェリカという名前の者はいないし、記憶を掘り起こしても過去に同じ名前の者はいなかった筈。それなのに何処か聞き馴染があって……、言い知れぬデジャビュに眩暈がする。


( アンジェリカ……、ええ、知らないわ。そんな名前の人との関わりはないもの……。なのに、何なのこの違和感は…… )


視界が歪む。脳が揺れて、記憶がシェイクされていく……。


( アンジー……そう、“親しくなる”と、そうやって呼んだわ。愛称を設定できて────……、ああ、これは何の記憶なの…… )

「公、……ダリア様。大丈夫ですか? 顔色が……」


額に手を当て前かがみになる私を心配そうにのぞき込む、綺麗なペリドットの瞳。柔らかなウェーブのかかったダークブロンドの髪は艶やかで。


( ────……ああ、なんで、どうして。私は彼女を知っている…… )


パチリ。


記憶のピースがハマる音がした。

記憶が、奥底から溢れ出して酷く頭が痛い。


( ああ、そうか────…… )


眩しい光に視界を奪われたあの夜。

雨の匂い、ブレーキ音、知らない人の悲鳴……。


( 私────……死んでしまったのね )


うっすらと瞳を開けると、心配そうに眉尻を下げる酷く整った顔立ちの女の子。

知っているわ、心優しく、理不尽な歴史と立ち向かい、戦うあなたを。


だって、“あなた”は“私”で、“私”は“あなた”だったから。


( 此処は、スヴァルトシェレナ……“オシラブ”の世界なのね )


ダリアとしての十七年分の記憶と知識、花崎桃香(前世の自分)としての三十年分の記憶と知識が混在し複雑に混ざり合う感覚に眩暈を覚える。


( 自分は、ダリア・バーベリ・ハロルヴァ……。スヴァルトシェレナの公爵令嬢…… )


視界がぼんやりと歪む中、目の前の女の子に対して記憶の引き出しが一斉に開き、情報が飛び出してきた。


( 彼女は、“アンジェリカ”……。この世界の、ヒロインね )


ダークブロンドの髪は柔らかくウェーブし、ペリドットの瞳は文字通り宝石のように輝いている。

ゲームではより自分をヒロインに投影できるよう、スチル絵やムービーシーンではヒロインの表情のオン、オフを選択することができた。根っからの夢女子であった自分はヒロインの顔など拝みたくない、と没入感を得るために表情をオフにしていた為、“アンジェリカ”の表情をしっかりと見たのは、この瞬間が初めてである。

それなのに言い知れぬ既視感を覚え、戸惑いを隠せていなかったダリアに漸く理由らしい理由が舞い降りてきて、人知れず安堵した。


「────……なんでもないの、大丈夫よ」


そう言ったのは、心配そうなペリドットの瞳にか、それとも自分に言い聞かせただけなのか。

ダリア自身も分からないまま零れ出た言葉は余韻も残さず消えていく。


ダリアはゆっくりと馴染んでいく記憶と知識に不思議な感覚を覚えながら、今の状況を整理する。

これは、誰のルートでどのシーンなのか、クローゼットの中で洋服をあれでもない、これでもないと引っ掻き回すように、記憶の引き出しを開けては閉めてを繰り返した。


────こうして、花崎桃香はダリア・バーベリ・ハロルヴァとして第二の人生を歩むこととなる。

最愛の家族との別れは時折ダリアの目頭を熱くさせるが、それでも強く望んだ転生という非現実的な現象を、ダリアは人知れず噛み締めた。


開幕のベルは、穏やかで。

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