33.夜の帳と不安
「────アンジェリカ嬢が……攫われただと?」
報告を受けたトピアスの声は大きかったが、“防音結界”が張られた執務室内から漏れることはない。
ルカーシュの険しい表情、ディックの蒼白な顔。
そして、その場に駆けつけたダリアの手が、わずかに震えていた。
「アナスタシア、あなたがアンジーと一緒に居たのよね?」
ダリアの言葉に、アナスタシアも震えながら頷く。
「は、はい。ダリアお嬢様にお会いになりたいとのことでしたので、控室にお通しし、お待ちいただくよう伝えました」
「何故、アンジーの傍から離れたの」
珍しく語気が強くなるダリアを、柔らかく制したのはヴィンスであった。
左腕をダリアの前に出し、食いかかるダリアの言葉と行動を制する。
「……も、申し訳ございません……。
アンジェリカ様の身辺護衛が強化されたことを知らなかったばかりに……」
アナスタシアは申し訳なさそうに視線を落とした。
ダリアもやり場のない怒りを感情的にぶつけるだけでは、ただの八つ当たりになってしまう、と冷静になって一歩下がる。
トピアスは一瞬だけ瞼を伏せ、強く歯を食いしばった。
「……クソ……っ、」
その呟きは、誰にも届かぬほど低く、
だが確かに、怒りと焦燥を孕んでいた。
ダリアは胸の奥に広がる不吉な痛みを押し殺し、唇を噛む。
(アンジーが攫われた──。
嫌な予感が、的中した)
風が吹き抜け、塔の尖端で光が瞬く。
それは、まるで“導く灯”のように──
あるいは、“罠”の始まりのように。
「アンジェリカ嬢の顔を知らない者が、王城には多い。
すぐに城門を封じ、王都中央騎士団を動員してアンジェリカ嬢の捜索にあたれ」
トピアスはそうルカーシュに指示を出し、ルカーシュも命を受けると同時に動き出した。
「ジェジィ、この数刻で城の出入りをした者全てをピックアップしろ」
「は」
ジェズアルドも頷くと、執務室から出て行った。
「ハロルヴァ嬢、申し訳ない。
君は屋敷に戻った方が良い」
「な、何故です? 私もアンジーの捜索に加えさせてください!」
「否……もしかしたらこれは、保守派とのぶつかり合いになるかもしれない。ここには保守派であり君の家族でもある、ルドベキア殿とライラックがいる。少しでも、離れていた方が良い」
「……っ、」
でも、と食い下がろうとするダリアの前に、ヴィンスが立ちはだかる。
「アンジェリカ嬢のことなら、心配しないで良い。
俺も一緒に探すから。クロヴィス、後を頼むよ」
「承知いたしました」
ヴィンスはクロヴィスにダリアを預けると、トピアスと共に執務室から飛び出していった。
すっかり除け者状態にされたダリアは不服そうに顔を顰めるが、確かに今、自分が出来ることなど何もなかった。
( これはストーリー中盤に起こる、アンジェリカ誘拐事件……。
この黒幕は────…… )
視界が霞むほどの頭痛を覚えながら、久々に前世の記憶を呼び起こすダリア。
恋磨きをし、一定数パラメーターを上げると起こるイベントで、王城での恋磨きがトリガーだった。
最近の穏やかな日常にすっかり油断をしていたダリアは、悔しさに唇を噛む。
( 普段から意識していれば、防げたかもしれないのに……っ )
しかし、ここでアンジェリカが誘拐されないとなると、ストーリーも進まず、今後のストーリー展開に大きな影響を与えてしまう。
だからと言って物見遊山して良いわけではないが……。
今、過去のことを悔いても仕方がない。起こってしまったイベントをクリアしていくしかないのだ。
ダリアは後悔と無力さを握り締めるように拳を握り、クロヴィスと共に馬車に乗った。
***
自室に戻ると、すぐさま紙と筆記具を取り出して机に向かう。
「恋磨きで全項目のパラメーターが八割を超え、トピアスからの”想われ度”が半分を超えたあたりで起こるイベントだった……」
ガリガリと、少し乱雑に紙をペン先で引っ掻く音が部屋に響く。
記憶を文字に書き出しながら、アンジェリカとトピアスの恋は順調に上手くいっていることに少し安堵しながらも、このイベントのクリア条件に繋がりそうな記憶を、片っ端から書き出していく。
「このイベント発生時、プレイヤーは攻略対象者サイドに立ち、トピアスとして選択肢を選んでいく。まず最初は、一番に指示を出したルカーシュの元へ行く……」
《どこに行く?》というテロップの下に、《ルカーシュの元へ》《ジェズアルドの元へ》《ヴィンスの元へ》という選択肢が出るため、指示を出した順に巡り情報やヒントを収集していくと、最後のヴィンスの元でヴィンスが魔法を使い、アンジェリカが攫われた場所を特定するという流れだった筈。
ダリアは危険だから、という理由で屋敷に帰されるところまで、順調にストーリーをなぞっていることに安堵する。
「この騒動の犯人は────……」
そして辿り着いた記憶の答えに、ダリアはきゅっと唇を結ぶ。
きっと今、怖い想いをしているアンジェリカを想い、ダリアは暗くなっていく窓の外に広がる空を見上げた。
ペンを握る手が震えていた。
記憶を辿るほどに、現実の痛みが募っていく。
目の前の文字が滲むのは、涙のせいか、それとも焦燥のせいか。
喉の奥が詰まり、言葉にならない。
ゲームではただのテキストでしかなかった“誘拐イベント”が、今は現実の恐怖として胸を締めつけていた。
画面の向こうで泣いていた彼女が、いま、この世界のどこかで同じように泣いている。
「……アンジー……」
ダリアは紙を握り潰すように丸め、深く息を吸った。
窓の外は、夜の帳が下り始めている。
遠くで、塔の尖端が一瞬だけ光を返した気がした。
それはまるで、何かを“呼んでいる”ようで────……




