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ヒロインの親友に転生したことですし、推しの死亡ルートをぶっ壊しますわ  作者: アオ
第3章

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19.花束と過去の呪い

王城の塔を抜ける風が、窓辺の書類を小さく揺らした。

午前の光は柔らかく、少し離れた訓練場からは剣戟の音が微かに届いてくる。

その音を背に、ヴィンスは静かに筆を置いた。


トピアスによるアンジェリカの魔法授業に関する報告書に、署名を終えたばかりだった。

初日は緊張を色濃く見せていたが、魔力の扱いは素直で、吸収も早い。

今ではすっかり緊張も解け、トピアスの指導を驚くほどの速さで吸収している。

……そして何より、指導するトピアスの表情が随分と柔らかくなった。


そのことを本人に告げたとき、「ヴィンスも何か良いことでもあったのか」と返された。

ダリアと顔を合わせる約束が近いことを悟られまいと、「そんなことはない」と返すまでに一拍の間が空いた。

そのわずかな沈黙を、トピアスが聞き逃すはずもない。

けれど、彼はあえてそれ以上追及せず、話題を変えてくれたのは記憶に新しい。


机の端には、昨日届いた花の見本帳が開かれたままだ。

鮮やかな赤、橙、淡い桃色──

どれも、自分が普段選ばぬ色ばかり。

そもそも、花を贈るなどということは滅多にしない。

精々、貴族内で祝い事があった折に、トピアスの代理として花束を手配するくらいのものだった。


だが、あの日──

「自分には似合わない」と、彼女がふと零した声が、なぜか耳に残っていた。

まるで、それを打ち消す色を探すように。


だから、見本帳を開いたとき、ふとその色の中に彼女の姿が浮かんだ。

淡く光を帯びた髪。真っ直ぐに見据える瞳。

静謐で、氷のように冷たく見えて、

それでもどこか、触れたら壊れてしまいそうなほど儚い。


……暖かい色が、彼女を包むところを見てみたい。


そう思った。

だから、あの花束を選んだ。

けれど、それが本当に正しかったのか。

彼女の表情を思い出すたびに、胸の奥が微かに疼く。



──そういえば、昔。


ひどく退屈な茶会があった。

まだ学院にも通い始めて間もない頃、父の代理で顔を出しただけの場。

金の縁取りのティーカップ。

柔らかく笑う少女。

「青が似合う」と軽口を叩いたのは、他でもない自分だった。


「赤や橙なんて着たら、貴女の静けさが台無しになってしまいそうで、勿体ないです」


無邪気で、無知で、それでいて誉め言葉のつもりだった。

令嬢の瞳がわずかに曇った理由も、そのときは理解していなかった。


──まさか、あのときの彼女が。


記憶は淡く、あやふやだ。

けれど、彼女が少しだけ俯いた仕草と、光を弾く白金の髪だけは、不思議と忘れられない。


今になって思えば、

あれはきっと、彼女だったのだ。


「……本当に、心無いことを言った」


呟いた声は風に溶けた。

彼女が今も寒色を選んでしまう理由を思うと、

胸の奥が締め付けられる。


花束ひとつで償えるとは思っていない。

それでも──もし、あの花に少しでも彼女の心が触れたなら。


それだけで、今は十分だ。


インクの乾きかけた報告書を束ねていると、

扉の向こうから軽いノックの音がした。


「────ヴィンス、まだ執務中か?」


書斎の扉を軽く叩いて現れたのは、トピアスだった。

肩にはまだ授業用のローブが掛けられ、背後からはアンジェリカの笑い声が遠くに響いてくる。


「アンジェリカ嬢は?」

「ジェジィに案内を頼んだ。少し休憩させている」

「……ああ、あいつなら余計な詮索はしないな」


ヴィンスは頷き、手元の書類を整えた。

ジェジィとは、トピアスの側近であり、ヴィンスの同僚でもあるジェズアルド・ジェラルディのことだ。

寡黙で生真面目な男。余計な詮索も、無駄な感情も交えない。

アンジェリカを任せるには、確かに最適だった。


「……で、殿下。何のご用です?」

「何だ、堅苦しいな。少し話でもと思ってな。どうせお前、放っておいたら昼食を抜くだろう?」

「……仕事が終わったら食べます」

「その変な間、絶対に俺が言わなかったら食べなかっただろう」


トピアスは笑いながら、机の上の見本帳に視線を落とした。

鮮やかな赤や橙の花が描かれたページが開かれたままだ。


「……ずいぶん派手な色だな。お前にしては珍しい」

「研究用の資料です」

「ふうん。誰かに贈るための研究か?」


軽口のような言葉に、ヴィンスの指が止まる。

わずかに眉が動くのを見て、トピアスは愉快そうに笑った。


「……トピアス」

「冗談だよ。だが、最近随分と楽しそうだな」

「……余計なことを言うな」


冷静を装って返すが、耳の先がわずかに赤い。

トピアスはくつくつと笑い、窓際に歩み寄った。


「アンジェリカ嬢も、お前も。最近どこか柔らかくなったな。春のせいかもしれない」

「春だろうが冬だろうが、俺は変わりません」


短く返す声に、トピアスは肩を竦める。


「そう見えるかどうかは、周りが決めることだ」


そう言って扉の方へ向かいかけたが、ふと思い出したように振り返った。


「なあ、これから昼食に行かないか?今日は珍しい料理を出すらしい。ジェジィとアンジェリカ嬢も呼んである」

「結構です。まだ仕事が残っていますので」

「ほら、昼食抜く気じゃないか。……少しくらい息抜きしろよ」

「息抜きは効率を下げます」


即答に、トピアスは呆れたように笑った。


「お前は昔からそうだな。何でも数字と論理で片づける」

「合理的で結構なことです」

「まったく。──だが、合理では片づかないこともあるぞ」


軽く手を振り、トピアスは部屋を出ていった。

扉が閉まると、室内には風の音だけが残る。

昼食の時間だからか、剣戟の音も聞こえない。


──柔らかくなった、か。


窓の外では、午後の光が噴水を照らしていた。

水面に反射する光の粒が、どこかあの花束の色を思わせる。


「……暖かい色、か」


小さく呟き、ヴィンスは羽ペンを取る。

書類の余白にそっと筆を滑らせた。

「Dahlia」──その花の名を綴る。


インクが乾いていくのを見つめながら、

彼は静かに目を伏せた。


かつて無意識に傷つけた少女が、

今、誰かの腕の中で笑っているのかもしれない。


それでもいい。

もしその笑みのどこかに、

自分の贈った花の色が一つでも残っているのなら──。


それで、十分だ。

と、思えないくらいには、彼女が愛おしい。


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