015.覇王リド=マルスト
魔界スルーク。
そこはかつて古の魔界と呼ばれていた。
888の魔法を自在に操り『魔導王』と恐れられたネルソ=ヌ=ヴァロステを頂点とした、他国とは積極的に交流をしない、閉鎖的な、ある種謎に包まれていた国。
30年前まではそのネルソが君臨していた魔王城の玉座には今、彼を倒した人間界の英雄リド=マルストが座っていた。
彼は魔界を全て討伐した後、仕えていたラクニール王国を武力で制圧し、スルークと合わせた広大な領土を『英雄王国リルディア』と名付け、最後に滅ぼしたこの魔王城を根城としていた。
初代国王は勿論彼、リド=マルストである。
「クマツキ」
王の座にどっかりと腰を下ろす初老のリドが一言、そう声を発するとずらりと居並ぶ内政官、武将達の中から魔法使いの様な格好をしたひとりの中年の男がハッと返事をしながら前に進み一礼する。
「クマツキでございます」
リドはその男を見ようともせず、視線を遠くへと向けたまま、頬杖をついた姿勢を崩さない。
その姿は誰が見ても英雄というようなものではなく、常時立ち上る黒いモヤ、つまりは霊気を纏い、細い目に籠る圧倒的な殺気、魔王城のおどろおどろしさも手伝って彼こそが新しい魔王そのものと思えた。
かつては剣技のみの戦士だったリドだが、この城に住まう様になってから急にいくつもの古代魔法を使える様になっていた。ここにいる人間でその理由を知る者はいない。
「他の者は出て行け」
「ハッ!」
リドの低い声に一斉に返事をし、綺麗に整列していた将達はこぞって部屋を出て行く。
やがてその広間にはリドとクマツキの2人だけになる。必然、クマツキの緊張は高まった。
「言え」
「ハッ!」
リドの前に出るだけで彼の額からダラダラと汗が零れ落ちる。
彼はリドから3つの命令を受け、その報告をする立場にあった。
その報告の順番を間違えるとリドはとても機嫌が悪くなる。
機嫌が悪くなるという事は文字通り彼の死活問題に繋がるのだ。
「で、ではまず最初にメルマトラの……」
「そんなのは後だ」
しまった、と思った。チラリとリドを見ると思いの外、表情は変わっていない。
(だが次は間違える事は出来ない)
残る2つは、かつての英雄パーティの盟友で、今は大国ロトスで総司令官として軍事を一手に引き受けているマッカとの交渉と、リドが要求した条件に合う女だった。
(メルマトラの件が『そんなの』という事はマッカ様の話も同じと考えて良いか……であれば)
「失礼致しました。覇王のお眼鏡に適うかどうか」
「見つけたか。早く通せ」
その返事でクマツキの命は繋がった。
政治と女で女が優先、いやそもそも同時に語られる事自体、普通の国家では有り得ない。
だが自ら覇王と称するリドには関係無い。
全ての無茶を押し通す圧倒的な武力が彼にはあった。
「ハッ!」
やがてひと組の若い男女が彼の前へと連れて来られた。
その女性を見てほう、と小さく低く唸る。クマツキはそれを聞き逃さず、(助かった。二つ目の難関も越えた)そう思った。
「女の名はヘイネと申します。そこの男ドーアンと先日結婚をした所で御座います」
「うむ。まずまず美しい」
初めてその表情を緩ませる。
女を頭から爪先まで舐める様に鑑賞すると、
「で?」
ととぼけたトーンで言った。男女はハッとした顔でリドを見上げ、お互いの顔を見合い、絶望の表情で俯いた。
やがてヘイネと呼ばれた女は搾り出す様に言った。
「人間界の救世主、リド=マルスト様……もし、宜しければ……私を……お側に置いていただけない、でしょうか」
興味なさげを装い澄ました顔で見下ろしていたリドだったが、最後まで聞き終わるとニヤリと口元を上げ、
「やれやれ。結婚した側から仕方のない奴だ。それ程望むのであればそこの男に代わり、俺の物にしてやろう。その男に会う事は二度と無いが、それが貴様の望みなのだな?」
と嘯いた。クマツキはホッとしながらも、
(何という人の悪い……この2人も災難だな。だが断れば何十、何百という同郷の人間を殺すと言われては受け入れるしかあるまいが)
2人共俯き、震え、黙ってしまう。
当たり前と言えばあまりにも当たり前の反応であった。
だがここまで来て全てをひっくり返されてはたまったものではない。クマツキはその2人をギロリと睨み、彼らにだけ聞こえる程の小声で、
「おい、既に言い含めてあろう? 女はリド様に抱かれたくて自分から身を捧げに来た、男は愛する妻をリド様に捧げる為に来た、そうだな? ……断れば貴様ら2人はおろか、親族友人まで殺すと言った筈だが? 機嫌を損ねてからでは遅いのだ」
その言葉と2人の態度から、ここに連れ去られるまでに散々脅された跡が在り在りと伺えた。
恐らくはこれから幸せにやっていこうと誓った刹那に降ってきた災厄だったのだろう。男は大粒の涙を零し、唇から血を流す程噛んだ。
「は……はい。勿論で、ございます。この男など……興味も、ありません」
女は悲しそうにそう言うとリドの元へと向かい、その腹部にしなだれかかった。全てはクマツキに言われた通りだった。
リドは満足そうに女の頭を撫で、機嫌の良い声で、
「よくやったクマツキ。男を下げよ。目障りだ」
「ハッ」
すぐに男は兵士に連れられ、部屋を出た。ヘイネはクマツキから『絶対にリド様の前で泣くな』と言われていたのであろう、ずっと耐えていたが堪え切れずに遂に一筋の涙が溢れ出す。
慌てて俯いてリドの腹を撫でながらそれを隠す。
「ククク。泣いているのか。悲しいか」
「い、いえ。とんでもございません。英雄のリド様にお仕え出来て私は幸せで御座います」
「ク……ククク。そうか。それなら仕方無いな。嬉し涙か。お前も尻の軽い女だ」
「ウッ……ウウ……」
ヘイネが嗚咽を漏らす。
我慢していたものが溢れ出した。
一体何の為にこれまで生きて来たのか、今何を我慢して何を守っているのか、何もかもが分からなくなった。
タイミングを見てクマツキが声を掛けた。
「残りの報告はいかが致しましょう」
そのままリドが愉しむ、というパターンも多い為、確認が必要だった。
「そうだな。このままこの女を嬲り尽くしたい所ではあるが……」
嬉しそうにそう言うリドの声にヘイネの体が恐怖でビクッと波打つ。
「今日の報告は重要だ。聞こう」
「ハッ。まずロトス王国にいるマッカ様と連絡が取れました。併合については喜んで協力するとの事です」
「うむ。王女は?」
「は……王女については今、差し出すのは無理、時期を待って欲しい、との事で……」
リドの顔色を伺いながら恐々言う。その言葉にリドは途端に苦い顔になる。
「チッ。あの野郎、俺より先に手をつけようとしてやがるな。ロトスの王女メイと言えば鳴り響いた美貌の持ち主。マッカにくれてやるのは惜しいが……チッ」
幾度か舌打ちをしていたが、やがて目を光らせてニヤリとすると、
「王女が奴の手元にある以上、今は仕方あるまい。と言って、ヤツの思い通りにはさせんがな」
(た、助かった)
クマツキにとってはヘイネが予想以上に気に入られたのが幸運だった。それが無ければ今頃は命が無かったかも知れない。
「最後にメルマトラ攻略の件ですが、先月出発した調査隊は未だに帰っておりません。此度は旧ラクニールの精鋭を派遣したのですが、恐らくは全滅したものと思われます」
「ほう?」
ヘイネの髪を撫でていた手の動きが一瞬止まる。それだけで彼女は生きた心地がしなかった。
「これで3部隊目だな」
その声にクマツキは心底肝を冷やす。そろそろ責任を取らされてもおかしくない。
「ハッ……申し訳御座いません」
「どうするかな。これでは何部隊出しても同じだろうな。前人未到の地メルマトラ……やはり一筋縄では行かんか」
「ア……」
リドの手が強張るヘイネの体を乱暴に揉みしだく。
抵抗するなとクマツキにきつく言われていたヘイネは恐怖と痛みに耐えながらそれに身を任せた。
暫く黙ってその体を好き放題に弄りながら考え込んでいたリドだったが、やがて思い付いた様に言った。
「そうだ。あいつを探そう」
「あいつ、と仰られますと」
「ドラックだ。スルーク戦の後、いつの間にか居なくなっていた」
竜人ドラック=フォニア。
彼はかつての英雄パーティの1人でリド、マッカに並ぶ武力を誇っていた。
サラがメルタノ戦で消えたのと同じ様に、彼もスルーク戦の後、誰にも何も言わず姿を消した。その後の彼の消息は誰も知らない。
「ドラック様、ですか。噂にも上りませんね」
「あいつがどこで何をしていようがどうでも良いのだが、奴はメルマトラに行った事があると言っていた。当時は特に関心がなかったのだがな」
「ははぁ」
「奴に道案内させよう。場合によっては力づくででもな。まずは探し出せ」
「承知致しました。では世界中のギルドに捜索依頼を出すように手配致しましょう」
「それともうひとつ」
「ハッ」
そこで少し間を作り、目線をヘイネに落とす。その空気を察したヘイネがリドを見上げ、媚びる様に笑う。その姿がリドの嗜虐心を刺激し、その汚れた欲望を満たしていく。
「クックック。いちいち悦ばせる女だ」
口の端を上げて冷酷に笑うリドにヘイネの背筋が凍る。
「先日、西の方で、それもかなり遠くだ。恐らくはネイザールかセントリア、もしくはファトランテ。その辺りでネルソの霊気が湧き上がった気配を感じた」
ネルソ、という名前が出た途端、クマツキが飛び上がって驚く。
「なんですと! いや、しかしネルソ=ヌ=ヴァロステはリド様が」
「そうだ、間違いなく殺した。首を刎ね、焼き尽くしても死なんというなら分からんがな」
フンと口元を上げ、鼻で笑う。
死んだものが生き返る、そんな事は魔族であっても有り得ない。
「そんな馬鹿な……」
「そんな馬鹿な事が起きた。俺にはわかる。ほんの一瞬のことだったが紛い物ではない。間違いなくあいつだ。旧時代の魔族は殺す。ドラックと同時に奴も探し出せ。必ずだ」
「は……」
そう答えたものの、ドラック捜索とは訳が違う。
ネルソは明確に敵であり、霊気が弱かったとはいえ、その力はリドでなければ抑えられるものではない。
「どうした。行かぬか」
「は……いえ、ただネルソを見つけたとして対処出来る者が」
それはそうだとリドがもう一度考える。その度にヘイネの体は痛みを伴う程の力で弄り尽くされた。
「そうだな。そっちはネイトナに任せろ。ネルソが完全に復活していないのであればあいつならどうにかしよう。俺からの命令だと言え」
「ネイトナ様……承知致しました」
「よし下がれ。お前には後で褒美をやろう。こんないい玩具を持って来たのだからな」
「恐れ入ります。では失礼致します」
その返事の終わりを待たず、リドはもうクマツキの事など忘れたかの様に、夢中でヘイネの唇にしゃぶりつき、嬉々としてその衣服を破り始めた。