010.魔王の雷撃
「ダメ。いるの、1階に……変なのが」
驚いた顔でアンナを見返したノルトだったが、その意味はすぐに分かった。
奥の扉の先にある階段から何者かが上がってくる音が聞こえる。
ペタペタッ。
ペタペタッ。
その足音は明らかに人ではない。
つまりそれが彼女の言う『変なの』ということなのだろう。
「き、来た! 逃げないと! ノルトっ!」
「逃げると言っても……」
唯一の出口から向かって来られてはどこへ逃げろと言うのか。
その一瞬の躊躇の間にそれが姿を表した。
一見、人型に見えるそれは足が前後に4本生え、皮膚が無いため筋肉の繊維まではっきりと見える悍ましい合成魔物だった。
初めて見る、そのあまりの異形さにノルトの足が竦む。
(アンナお嬢様だけは助けないと)
今、ノルトが動けるのはその一念からだ。
彼女を自分の背中に庇い、ジリジリと下がる。部屋は破壊されている為、あまり端に寄ると床が抜ける恐れもあったがそうせざるを得ない。
(う、う、絶対に……)
守る、そう決めて、側にあったアンナの椅子を掴む。
瞳の無い目をノルトに据えた化け物は、彼を威嚇するように突然「キシャアアア」とひとつ吠えた。
つられて思わず小さく叫び、目を瞑って椅子を放り投げた。
それは見事化け物に当たる。
が、ただ当たっただけだ。相手には何のダメージも無い。
むしろその行動と威力から、化け物はノルトの力を見定めた。
化け物の足が緊張し、溜めを作る。
2人へ飛び掛かろうとした、まさにその時!
ドンドンドンッ!
壁が無くなった方向から突然飛び込んで来た『魔法の矢』が化け物に命中した。
粉塵が舞う中、一瞬後退した化け物だったが、しかしすぐに4本の足を小刻みに操り体勢を整え、その攻撃を耐えた。
もう一度気味悪く吠えると、戦闘はズブの素人のノルトですらわかるほどの殺気を伴って彼に飛び掛かった!
顔が見えないほど顎を広げて、だ。
(ダメだ、ここまでか)
観念しかけるも化け物とアンナの間で歯を食いしばった。
その時。
不意に周囲の時間が遅くなった気がした。
続けて頭の中で聞き覚えのある声が響く。
『大ピンチじゃないか。早く余を呼ぶが良い』
気付けば左首筋の青い痣がジンジンと疼いている。すぐにノルトはその声の正体に思い当たった。
それと同じタイミングだった。
「ノルト!」
「ノルト!」
外から入ってきたロゼルタ達、そして階下から上がってきたドーン達の声が重なった。
だが既に化け物はノルトの目前、どう考えてもロゼルタ達は間に合わない。
ノルトの体を一飲みにしようとするかの如く、化け物は不必要なまでに開いた顎を更に大きく開く。
(ああ、これで噛まれたら痛い、いや死ぬだろうな)
他人事の様にそんな事を考えた瞬間、ノルトの髪は逆立ち、その顔付きは別人の様に険しく引き締まった。
それはあの館で魔王ネルソ=ヌ=ヴァロステが現れた時の状態と同じだったが、ひとつ大きく違うのは今のノルトに『自我』があるという事だった。
「ネルソォォォッ!」
ノルトが叫ぶ。それは普段の彼とは似ても似つかない、自信と怒りに溢れた声。
間髪入れず辺りに充満する深い青のガス。
それは一瞬で、魔導王ネルソ=ヌ=ヴァロステの姿へと変わる。
「魔王の『雷撃』!」
魔法など一切使えない筈のノルトがそう叫ぶとネルソの腕が動き、襲いくる化け物に向かってその力を解き放った。
ノルトの有り余る魔素がネルソの魔法で消費され、恐るべき威力の雷が発現、一瞬のジグザグの残像を見せて化け物を襲い、貫いた!
「うわっ!」
「きゃあ!」
階段の方からドア越しに魔法の軌道近くに現れてしまったドーン達、そしてノルトの背後のアンナまでもがその衝撃で吹き飛んでしまう程の威力。
スローに流れていた時間はいつの間にか元に戻っており、アンナはロゼルタが見事にキャッチ、ドーンとマクルルも一瞬早く気配を察知し、ぎりぎり身を翻して避けた。
だが当の化け物はその雷撃をモロに浴び、焦げた臭いだけを残し、その醜い肉体は霧散して消滅した。
◆◇
ロスの町外れ ―――
ノルトが魔王の力を行使した為、驚くのは後、と彼らはまず急いで場所を変えた。
万が一、怨敵リドに感知されたとしても相手はノルトの顔を知らないのだからその場所にさえいなければわからない筈、というロゼルタの判断だ。
木陰で皆、思い思いに座っていた。
何故かうーうーと唸っていたアンナがもう我慢出来ないとばかりに堰を切った様にノルトを問い正し始めた。
「ノルト! さっきの魔法みたいなのは一体なんなの? なんでここにいるの? なんで助けてくれたの? ……てかどうして出て行っちゃったの。助けてくれるんなら、最初から側にいてよ!」
顔を近づけたアンナから恐ろしい剣幕で捲し立てられ、両手を彼女へ向けて小さく壁を作る。
「お嬢ちゃん、そりゃあさすがに一気に聞きすぎだぜ。見ろ、困ってんじゃねーか」
言ったテスラをキッと睨むと再びノルトに向き直り、
「それにこの人達! この人達はあんたの何なの? あんた、身寄りは居ないって言ってたじゃない!」
「あ、えーと……」
「ノルト、順番に答えてやれ。最初の質問はあたしらも聞きたい。さっきのあれはなんだ。一瞬の出来事過ぎてこの姿では何が起こったのかよく分からなかった。さっきのはネルソ様の霊気だと思ったが?」
ロゼルタが目を細くして言う。
「僕にもはっきりと分からないんですが、あの化け物が襲い掛かってきた時に急に辺りがゆっくりな動きになって……その時、頭の中で声がしたんです。えと、大ピンチだ、余を呼べ……みたいな」
「そうか、やはりな。そんな言葉を使って、自分の事を余というのは」
ロゼルタが言うとテスラが嬉しそうに手を叩いた。
「我が魔王、ネルソ様しかいね――!」
「どういう事じゃろう。あの館の時だけではなく、常時ノルトの中で覚醒しているという事じゃろうか?」
ドーンが首を捻る。
彼女は死霊使いであり、闇の魔道士である。
このメンツの中ではこういったことに関しては最も博識と思われた。
ロゼルタが呆れた様に言う。
「いや、お前がわからないんじゃ……」
自分達が分かる筈がない、という事なのだろう。
「じゃが少なくとも今はノルトの中にネルソ様やランティエ様の気配は感じぬのう」
「マクルルはどうだ?」
マクルルはバーバリアンである。
バーバリアンというと世間からは旧人、蛮人の様に思われているが、実は遠くから魔物の気配を察知したり、今回の様に『家の中にいる』と正確に敵の居場所を特定したりと感知能力は非常に高い。
「同じだな。何も感じない」
その彼も短くそう答えただけだった。
再びドーンがふーむと深く唸りながら続ける。
「推測に過ぎんが、館での顕現以降、眠りが浅いのではないか。それでもノルトの感情や感覚を深い所で共有しているから……」
「うたた寝中にノルトの危機で目を覚ましたってとこか」
ロゼルタが鼻でため息を吐きながらその辺りで収めておくか、と自分を納得させる様に言った。