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第二章 小犬たちのダンス 4

 現場検証が終わり、初動捜査が機動捜査隊から引き渡された。結局、現場(げんじょう)は組対が取り仕切ることになった。

 カチコミの侵入経路と正体を明らかにするために、森下を含む所轄署の刑事は地取り捜査に割当てられた。地味な下働きの仕事だ。監察係の浮気調査と変わらない。

「行きますよ、主任殿。もたついていると叱られますよ」

「意味があるのか。暴力団がらみだから、組対の基本情報で十分に足りると思うが」

 本音で答えると、見崎が馬鹿にして笑う。

「普段から素行調査をしてきた主任殿はさすがに洞察が深い。仰る通りですよ。暴力団がらみの事件は職員の浮気みたいに複雑で陰に隠れていないです。関係が明白だ」

「待っていれば、犯行声明が出るからな。日頃の調査で対立する状況だって事前に攫んでいるはずだし。形だけの地取りなんて成果が得られるとは思わないが。どうして刑事課がマジになるんだ?」

「プライドでしょうね。我々だって、手を拱いて黙っているわけにいかない。仲良くすればいいのにね。まあ所詮はポイント争いだから仕方ないですが」

 見崎の話に辟易して視線を上げる。少年課の捜査員が現場から立ち去ろうとしていた。男女の捜査員で脇を固め、身内の若頭を誤って殺した被疑者を護送しようとしている。

〈いつまでも未成年を残しておける環境ではないものな〉

 県警本部の少年課に運ばれて送検が確定したら、接触する機会は失われる。確かめたい重要な(ポイント)があった。事件というよりも、むしろ生い立ちについて。血と死に対する歪んだ感覚が、本当に共通しているのか。被疑者と自分が結合双生児みたいに森下は感じていた。

 今を逃すわけにはいかない。再び出会う可能性は、砂の上で針を捜すみたいに絶望的に期待できなくなる。まるで宿命のように、森下は声を懸ける機会を見計らった。

「主任殿、行きますってば。何をしているんですか」

「わかっている。もう少し待て」

 捜査員と被疑者がすぐ近くを通り過ぎた。被疑者は俯かずに毅然と前を見詰めたままだった。見た目の年齢よりも落ち着いて見えた。暴力団組長の孫という生い立ちのせいか。

〈これほど落ち着いている子が、誤射によって身内を射殺したのか?〉

 考え難い。森下は首を捻った。突然、音楽が流れた。ローリング・ストーンズの〝スタート・ミー・アップ〟。殺伐とした光景をからかうような、シンプルなロックンロールだ。被疑者がスマホを取り出して表示を確かめた。眉を(しか)めて、首を横に振る。

「スマホはやめてね。今は使わないで」

 女の捜査員が、手を出して被疑者を止めた。躊躇った被疑者が表示を消した。男の捜査員が被疑者を諫めた。スマホを抱えて、被疑者が激しく頭を振った。困惑した捜査員が手を付けられないでいた。

〈いまだ。この隙を逃したら後がない〉

 被疑者に向かって、森下は小走りになった。慌てた見崎が森下を呼んだ。

「何を考えている。こら、主任。戻れ。バカ」

 相手にするつもりはなかった。森下は全力で駆け出した。

「やっと会えたよ。見かけたときから、ずっと話したかったんだ。少し聴いてもいいかな」

 スマホを仕舞った隙を見て、森下は被疑者の前に立ちふさがった。見せかけの優しさを前面に出した笑顔を作って見せた。

「マジ? 気持ち(わり)いんですけど」被疑者が口にした。顔を背ける。実際、気持ち悪いのに違いなかった。森下だって同じことをされたら、脅威に感じるはずだ。

 突然の森下の登場に、捜査員二人が慌てた。

「やめなさい。何を言っているの。そもそも、あなたは所轄の刑事でしょう」

 叱責する捜査員をよそに、息せき切った森下は一気に訊ねた。捜査員など相手する気はなかった。

「教えてよ。人の死に興味があるよね。確実に死を招くことができるから拳銃を使ったんだろう。興奮したかい。人の死は感動的だからね」

 被疑者は引き攣った顔で何も答えなかった。震えながら森下から目を逸らしている。

「馬鹿なことを言わないで。自分が何を話しているか解っているの?」

 捜査員が被疑者を庇って森下の前から引き離そうとした。身体を挟み込んで捜査員の邪魔をする。

「本当に鉄砲玉を殺そうと思ったのかい。実は誤射ではなくて、殺すべき相手を撃ったんじゃないのか。正体も知っていたんだろう」

 激しく頭を振って、被疑者が否定した。

「大切な身内の命を掻っ攫われたんだ。刺客に、殺意を持って当然だよ。狙ったのは鉄砲玉だ。他にはありえない」

「でも結局は君が身内を射殺した。日向組の若頭だよな。殺したい理由があった。それとも、身内の死の(はなむけ)には、殉死しかないと考えたのか。殉死こそが最も尊い死の姿だものな」

 被疑者が目を伏せた。小声で呟くように否定した。

「東堂は違うよ。ヤクザなんか、身内じゃない。殉死って何だよ。知らないもの」

 首の振り幅が大きくなった。

「組長の孫だよね。一緒に暮らしていたんだろう。違うか。立派な身内じゃないか」

「違う……。ボクはヤクザじゃない。違う。違うってば。違うって、言っているだろう。どうして解らないんだよ」

 精神的に追い込まれていた。森下にもすぐに分かった。だが止められない。本当に知りたい内容に近付いていた。

 ふっと息を吐いた。森下は意地悪な笑みを浮かべた。質問を繰り返す。

「拳銃を使ったのだって初めてじゃないはずだ。初めて手にして水平に撃てるなんて、まぐれでも有り得ないからね。訓練を受けているはずだ。幼い頃から訓練しなければ、人なんか殺せっこない」

「知らない。間違ったんだよ。間違って東堂に当たった。殺すつもりなんかなかった。死ぬなんて思わなかったもの」

 嘘を吐き始めた。自分に言い聞かせるように繰り返して、被疑者が嘘の上書を続けた。

「確かに間違いだろうよ。身内に当たるなんて思っていなかった。仮にそれが本当だとしよう。だがな、本当に狙っていた相手はどうだ。殺すつもりだったんだよな。殺すつもりがなければ、拳銃なんて使わない。そもそも素人なら拳銃なんて使えない」

「覚えていないよ。夢中だったから。目の前で御爺様が殺されたんだ。まともでいられるわけがないじゃないか」

 逃げに入った。まともな精神状態でない人物が、安全装置を外し、撃鉄を起こして、狙いを定めた。どこまでも信じられない設定だ。

〈有り得ないだろう。正直に答えろよ〉

 追い詰める快感が、森下の気持ちを押し上げた。ふん、と笑って森下は続けた。

「身内を殺して、どう思った。人の死は、やはり魅力的か? 本当は、嬉しかったんじゃないのか。人が殺せて。念願だったんだろう。辛い訓練を耐え抜いたんだからな」

「違う。身内じゃない。違うから」

 あと一歩だ。袋小路まで追い込んだ。森下は耳元で囁く。

「訓練していたんだろう。認めろよ。闘犬だって。何年も、何年も。お前の意志ではなくとも、殺人者として育てられたんだよな。でなけりゃ、普通の高校生に人は殺せない」

「やめて!」

 耳を押さえて被疑者が叫び出した。声が大きくなる。絶叫が口から噴き出した。暗い室内に、耳を劈く悲鳴が響き渡った。

「やめなさい。相手は子供なのよ。無責任な質問はやめなさい」

 森下と被疑者の間に身体を割り込ませて女捜査官が叫んだ。男の捜査員が腕を引いて森下を引き剥がそうとする。近くにいた刑事や捜査官が集まってきた。ヤクザと見紛うほどの厳つい男たちに取り囲まれた。同僚の警察官から袋叩きに合う。ありえない想像が現実に迫っていた。

「何もしていないですよ。なあ、そうだろう。自分は何もしていないよな」

 森下は白を切った。しゃくりあげながら、被疑者が無言のままで激しく頭を振った。真相を訊き出そうと森下が迫った内容は、最後まで隠し通すはずだ。殺人者として育てられた事実は、簡単に他人に話せる内容ではない。河川敷の闘犬場。記憶が森下の中で甦った。

 寄って集って森下は被疑者から引き剥がされた。

「違う。違いますよ。勘違いです。自分は問題になる内容は話していない」

 身の潔白を主張して、森下は事実とは異なる証言をした。

 女捜査員が、被疑者の肩を抱いた。優しく髪を撫でながら声を懸けた。

「言い返したいなら、気兼ねしないで答えてもいいのよ。本当のことを話しなさい」

 被疑者は何も答えなかった。森下は、自己の想像が間違っていなかったと確信した。

「最後にこれだけは訊きたい。〝MJ〟ってなんだ?」

「どうして、知っているの……」

 生まれつき殺人者として育てられてきた子供が殺人の魅力に囚われた。眠っていた意識が覚醒された。現場に触れた森下が、死の匂いに魅了されたのと同じように。

 結局、答はなかった。森下は現場から排除された。後日、訓戒を受けた。だが、それ以上の懲罰は下されなかった。被疑者が一貫して口を噤んだためだった。


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