第二章 小犬たちのダンス 2
先代宗家会長の声音で始まった口寄せが、歴代の会長のみたまくだりに移っていく。口明けこそ興奮状態のままに受け入れていた霊性も、虚飾が剥がれて現実に戻っていった。
すべてが期待外れだった。どれもが嘘臭く、安っぽい猿芝居に過ぎなかった。ありがちな教訓を列挙させる麗良の語り口も、冴紀には受け入れがたかった。
幼い頃から麗良の本性を見て育ってきた。妹のように育った美朱に対する不当な対応が、麗良に対する反感に繋がっていた。
「どうだ。初参加の感想は」
「想像通りかな。もともと、廊下でも聞こえていたから驚きはないよ」
西村が期待する回答を冴紀は口にした。
「そうか、いつも廊下にいたものな」
「通り過ぎただけだよ。トレーニングの時間と被っていたから」
恥ずかしい記憶に話が進展することを恐れて、冴紀は早めに話を終わらせた。
麗良の言葉が、不意打ちのように語調を変えた。
『目を覚ませ、夜嵐が来る。男も女もなし。強きも弱きも命運の鍵ならず。生き残れ。最後に残されし強者こそが我が家を継ぐべし』
男みたいに太い声だった。先代宗家の口寄せでも男口調になっていた。だが、声の高さまでは変わらなかった。
なにより、翔斗の口癖に似ている。
〈もしかして、本物?〉
それまで降霊を疑っていた冴紀も冷静さを失って心が揺れた。
白目を剥いた麗良が、仰向けに卒倒した。最初は痙攣していたが、やがて微動だにしなくなった。薄暗い降霊室内がザワついた。警護の組員だけでなく、列席する幹部も全員が顔色を失っていた。
心配した美朱が傍らに近寄った。脈を計り口元に耳を寄せた。
一切慌てる気配を見せずに源龍が席から立ち上がった。祈祷台に昏睡状態の麗良を抱え上げて座らせると、小声で美朱に指示をした。頷いた美朱が、胸に手を当てて目を閉じた。心を落ち着けようとしていた。
「盃をお取りください」
式の進行を図って美朱が声を上げた。気を張った美朱の声には、初めて聞く力強さがあった。巫女の役割を十分に果たしていた。
「開祖の霊よ、一族の安寧を護り給え。立ちはだかる仇敵には、須らく無残な最期を」
源龍の掛け声で、全員が盃を飲み干した。会衆を見回して、源龍が一息で神酒を飲み下す。
胸を押さえて、源龍が不快な表情を見せた。いち早く異変に気付いた翔斗が顔を顰めた。東堂と視線を合わせて、慌てて源龍の元に駆け寄った。不測の事態に緊張した顔が蒼褪めていた。
部屋の外が騒々しい。外廊下から口争が聞こえた。突然の震動。建屋が大きく揺れ動いた。『トラックが突っ込んだぞ。カチコミだ』誰かが叫ぶ。同時に爆発が起こった。爆発は何度も繰り返した。
手榴弾が使われた。冴紀は瞬時に理解した。レクチャーはライオットから受けていた。被害が及ぶ範囲と回避の仕方を頭に蘇らせた。
降霊室の頑丈な扉が弾け飛んだ。激しい怒号と床の軋みを伴って大群の暴漢が飛び込んできた。視野が狭まった。眼前の敵だけが周囲から浮かび上がってくる。部屋全体が揺れ動く錯覚に襲われた。降り懸かった危機を速やかに収束させなければならない。組長を護れ。本能に叩き込まれた行動が、冴紀の全身を支配した。
冴紀は立ち上がった。気持ちよりも先に身体が動いた。
「逃げるぞ。このままでは我々も危ない」
思いがけない言葉が飛び込んできた。驚いて横を見た。周囲に気付かれないように、西村が冴紀の耳元で囁いていた。冴紀の手を引いて降霊室から逃げ出そうとする。
「逃げちゃダメだよ。宗家と組長が危険に曝されているんだから。面目躍如のチャンスじゃないか。パパにとって」
「そもそも、僕は器じゃない。真っ向から組長争いでは荷が重すぎる」
西村の手を振り払って、冴紀は頭を振った。
「ボクは逃げないよ。組長を護る。狙われているんだよ、大切な存在が」
踵を返して、騒ぎの中心に向かった。
「勝手にしろ。どんなに冴紀が組長を大切に思っても、思っているほどに組長がお前を大切に思うわけではないからな」
捨て台詞を残して、西村が開いている扉から逃げ出した。飛び込んでくる若い組員を巧みに擦り抜けながら姿を消した。源龍が西村を受け入れなかった理由が納得できた。肝心な部分が西村には欠落している。忠誠心だけではなく、覇権に対する執着心が微塵も感じられない。
勝ち抜くこと。勝ち抜きたいと我欲を燃やすこと。ジムでの容赦ないトレーニングを通して源龍が伝えたかった真意がようやく理解できた。
冴紀は暴漢に向き合った。全員が黒いジャージを着ていた。黒い目出し帽を被っている。ドスと拳銃で武装して、源龍を取り囲もうと突進した。
「とまれぇ、クソ野郎ども。てめえら、みんなぶっ殺す!」
遅れた翔斗が冴紀の隣に並ぶ。
「くっそう。まとめて、撃ち殺してやるからな」
翔斗が上着の内側に腕を差し込んだ。
「やめろ。身内に当たったらどうする」
追いついた人影に、翔斗が腕を押さえられた。トレーナー役のライオットだった。拳銃を取り上げられて、翔斗がライオットに向かって吠えたてた。
「返せ。先手必勝だろうが」
冴紀は源龍を振り返った。組長と宗家の護りが手薄になっていた。若衆の他には東堂だけになっている。冴紀は翔斗に告げた。
「ショートは、組長と宗家を護って。ボクとライオットで、ここを死守する」
「わかった。ぜったいに打ち破られるなよ」
拳銃を諦めて、翔斗が全力で源龍の元に走った。異常に気付いた日向組の若衆が、次々と降霊室に飛び込んできた。部屋全体が混戦状態になる。目出し帽を目印に、襲い来る敵を殴り倒した。子供だとみて甘く見ているから、最初の雑魚は簡単だった。
急所蹴りを喰らわして、胸倉を突いた。そのまま後ろに押し倒す。虚を突かれた巨漢の敵があっさりと背中向きに吹っ飛んだ。後続の雑魚を巻き込んで、一気にポイントを稼いだ。続いて虚勢を張る大男が襲いかかってきた。迫り来る勢いを利用して跳腰で投げ倒す。
力では勝っていたが、群がる敵は数で勝負をかけてきた。冴紀とライオットの防御を擦り抜けて、源龍のタマを取ろうと駆け寄った。鉄パイプやバットを構えて、目が血走っている。
振り返って、闘う翔斗と源龍の姿を確認した。長ドスを構え、源龍が三人がかりの敵と向き合っていた。いずれも巨漢だった。一人が短ドスを腰構えし、拳銃とベア・ナックルの男が、それぞれ脇を固めた。翔斗がいない。
「手を引け。キサマら雑魚に勝ち目はない」
「うるせえ。てめえに言われる筋合いはねえ」
源龍の恫喝に反応して、短ドスの男が突っ込んだ。
「五秒だ」
「はあ、何だって」
源龍が切っ先を躱した。返し刀で短ドスを握った手を腕ごとぶった切った。
「ぐうおぉぉ」吹き出す血を押さえて、床に膝を突いた
「野郎! やりやがったな」
拳銃が火花を噴いた。源龍が弾道を躱した。銃弾が祭壇の中に飛んだ。炎が上がり、火の粉が舞った。至近距離だが動揺した男が大きな標的を外した。
「どうした。怖気づいたか。もう後には退けんぞ」
源龍が刀を振り上げた。
「三秒」
「気を抜くな。危ない」
ライオットに叱られるまでもなく、冴紀は襲い来る敵の気配を感じ取っていた。突き出された短ドスを躱して、親指の付け根を強く叩いた。手を離れたドスが回転しながら宙に舞った。膝を折り、身体を沈めた。バネを使って、身体を宙に撥ね上げた。伸ばした掌底で無防備になった顎を突き上げた。敵の巨体が白目を剥いて宙に跳んだ。
視線を戻した。源龍の背後に控える福市の姿が気になった。危機的な状況にあるはずが、緊張感が伝わってこない。醒めた表情で、源龍の動きから目を逸らしているように見えた。明らかに不自然だった。脇を固める東堂に顔を寄せた。耳を澄ませた東堂が眉を顰めた。歪めた口元が苦笑して見えた。悪い予感がした。何かを企んでいるのか。
「うぐっ」思いがけない変化が源龍を襲った。口を手で押さえて、背中を丸めた。
福市に気を取られていて、冴紀は源龍の不調に気付けなかった。不覚だった。源龍の顔が蒼褪め、足がよろけた。暴漢が源龍の急変に気付いた。当惑する顔になる。
「ぐおっ」源龍が、どす黒い血を吐いた。顔面から血の気が完全に失せた。
「うわあああ」
血反吐を浴びた巨漢が、怯えながら拳銃を構えた。へっぴり腰だった。だが、銃口は源龍のすぐ前だ。突き付けんばかりに至近距離。
「やめろぉ! 組長を撃つなぁ」
暴漢に向かって、冴紀は怒号を上げた。「貸して」ライオットが翔斗から取り上げた拳銃を、冴紀は奪った。夢中で、立ちはだかる人垣に飛び込んだ。肩越しに前転して飛び越えた。着地して、銃口を目出し帽の眉間に突き付けた。暴漢が銃口を冴紀に向ける。銃床を振り下ろして、暴漢の拳銃を弾き落とした。股間を蹴って、顔面に銃床を叩き付けた。鼻血を噴き出して、暴漢が倒れる。
「翔斗、まだなのかぁ」翔斗の姿が見えない。暴漢たちの壁に邪魔されて身動きのできない翔斗に、冴紀は苛立った。群がる敵を引き剥がしながら、次々と前に進む。
取り囲まれた源龍が、たった一人で立ち向かっていた。顔面が蒼褪めたままだ。倒れそうな姿で白刃を振っている。残されたはずの福市も姿が見えない。東堂が手を拱いていた。あえて手を出さない様子にも見える。
「この若造がぁ、調子に乗るんじゃねえ」
力を振り絞って、源龍が長ドスを振りかぶった。「二秒」必死の形相が、襲いかかる鬼神に見えた。恐怖に駆られた暴漢が怯んだ。ガタガタと震えながら、源龍に銃口を向けた。
「死ねえ、化け物!」
発射の反動で銃口が跳ね上がった。閃光が走った。淡く硝煙が上がる。源龍の肩口から血飛沫が噴き出した。遅れて冴紀は銃声を聞いた。腰を落とした源龍が膝を突いた。暴漢が群がった。源龍の姿が重なり合った背中で見えなくなる。手にした木刀や金属バットが執拗に繰り返して振り下ろされた。潰れて裂けた皮膚や肉骨片が飛散した。霧状になって、降霊室の淀んだ空気を噎せ返るような異臭で満たした。
〈御爺様に何をするんだ〉
源龍も優しい祖父の素を見せたことがある。過去の記憶が、冴紀の中で甦った。
理不尽だった。権力を手に入れただけで、何が悪いのか。普通に生きれば穏やかな老人だったはずだ。若い暴漢たちに寄って集って嬲り殺しにされる必要がいったい何処にあるのか。
暴漢たちの動きが止まった。放心状態になった男たちが立ち竦んだ。袋叩きにされて、源龍が血まみれの肉塊に成り果てていた。凄惨な状態が、暴漢たちの足元に垣間見えた。
暴漢の壁に体当たりした。僅かに開いた隙間に冴紀は身体を差し入れた。両腕を動かして男たちを掻き分けた。倒れている源龍の前に飛び出した。膝を突いて、状態を確かめた。
息はあった。だが、おかしな呼吸を繰り返していた。下顎を上下させ、喘ぐ動きを見せていた。
『呼吸中枢が機能を失っているんだ。間違いなく助からない』
ライオットから受けたレクチャーを思い起こした。
「このやろー。ふざけやがって」
冴紀は激昂した。沸騰した野生の血が身体中から噴き上がってきた。血流が脳天に集中した。大脳が破裂しそうなほど膨れ上がった。制御しきれない感情が、冴紀の口から噴き出した。
「退きゃあがれぇ、てめえらみんな、まとめてぶっ殺す!」
拳銃を天井に向けて、冴紀は立ち上がった。銃弾を発射した。威嚇されて動じた暴漢たちが距離を開ける。背後を取り囲んだ組員と揉み合いになった。
「このガキゃあ。調子に乗んなぁ」
拳銃を構えて、暴漢が大声を出した。
「うるさい。それは、ボクのセリフだ」
暴漢に向けて、冴紀は銃弾を発射した。先手必勝だ。急所を外れた。それでも、拳銃を握る悪漢の利き腕を貫いた。腕が下がる。拳銃が床に落ちた。ビギナーズラックだった。射撃場での訓練は受けていたが、実戦は初めてだ。
暴漢が自暴自棄になった。顔を引き攣らせて、嘲り笑いになる。
「撃てよ。俺を殺せば、てめえも極道の仲間入りだ」
太々しさに憎悪が増した。こんなクズに、大切な御爺様が嬲り殺しにされた。許せなかった。「二分だ」恨みが咆哮になって冴紀から飛び出した。
「やめて下さい。冴紀さんが、直接、手を汚してはいけない」
東堂がクズの前に立って冴紀を止めた。急がないと間に合わない。照準を定めて、指が引鉄を引いた。轟音と共に発射残渣が飛び散った。東堂の表情が変わる。『どうして……』東堂の口が動いた。言葉にならなかった。驚愕した表情から一気に力が抜けた。首筋から脈打つ血潮が噴き出した。
「冴紀、拳銃を渡せ」
飛び込んできた翔斗に羽交い絞めにされた。どこに行っていたんだ、こいつ。
すべてが終わった。すっかり、自分を失っていた。自分が招いた東堂の死を目前にして、冴紀は身動きができなくなった。呼吸が激しい。過呼吸に陥り意識が真っ白になった。
スマホが鳴った。ストーンズの〝スタート・ミー・アップ〟が流れる。画面を開いて冴紀は表示を眺めた。〝MJ〟の文字。結果が表示された。まさかの高得点。見慣れたアイコンが浮かび上がる。〝悪戯っ子〟のアバターが、結果を告げた。表示された〝冴紀の父親〟の文字。
〈嘘だろう……〉
自分の口から出た絶叫を、冴紀は他人事のように上の空で聞いた。