第一章 ストリート・ファイティング・キッズ 1
幼い豪徳寺冴紀は、小さい拳を握った。ポニーテール、長めの前髪を手で払った。
着古したトレーニング・ウェアの袖で額の汗を拭う。優しい顔立ちだ。女の子っぽいと言われると少し腹が立つ。
地下のジムだった。ひんやりと冷たい空気の中にロックが響いた。トレーナーのライオットが好きなローリング・ストーンズの〝スタート・ミー・アップ〟。
メリージェーンをキメたみたいにライオットの眼が虚ろになっていく。
息が荒くなった。耳の奥でドクンドクンと大きな音がした。全身に冷たい汗を掻いていた。六歳の小さな身体が戦闘モードに入っている。
ゴングが鳴った。ためらってはいられない。弱気を見せると殴られる。目の前に立ち塞がるライオットに向かって、冴紀はダッシュした。
褐色の鍛え上げた肉体が冴紀の前の壁になる。ソバージュの髪がバタ臭い顔に似合っていた。日系ブラジル人の血を引いていた。ライオットは仇名だ。生まれた時から冴紀のトレーナーに選ばれていた。
床を踏み切って、冴紀はジャンプした。
ブンと音がした。ライオットの拳が横から飛び込んできた。大人の大きくて硬い拳骨が、冴紀の小さくて柔らかい頬を直撃した。
目の前に火花が飛んだ。まっ白でなにも見えなくなる。身体がふっ飛んでいた。床に落ちた。ゴロゴロと転がった。はやく立ち上がらないと。さらに容赦ない蹴りが襲ってくる。
遠慮なんか、まるでなかった。何があっても手加減はしない。狂気に満ちた眼が、逃げようとしても直ちに追ってきた。
『差別はしない。むしろ、特別にシゴいてやるから覚悟しな』
最初から断言されていた。
『降りかかった火の粉は己で払え。何でも一人で出来るようにしろ』
すべては祖父である豪徳寺源龍の命令だった。暴力団日向組三代目組長である祖父は、獰猛な外見と性格から〝犬殺しの源龍〟と仇名されていた。
『身を護るだけじゃ足りない。確実に相手を叩き潰せ。情けを懸けると裏切られるからな』
畳み掛けるように、教え込まれてきた。ヤクザの孫の宿命だった。
小さな背中を丸めて、冴紀は再び身構えた。鋭い視線でライオットを睨みつける。
「いいぞ。その調子だ。どんな状況でも、まずは相手を睨みつけろ」
ゆっくりと冴紀の周りを廻りながら、ライオットが話し懸けてくる。
「一瞬でも目を逸らしたら間違いなく殺されると思え」
フェイントで踏み出したライオットの足に意識が集中した。冷汗が出る。気を落ち着けて冴紀は首肯した。
「どうせ死ぬなら、最後まで闘って死ね」
大人が子供に話す内容か。口ごたえする前に足が払われた。
不意を打たれた。冴紀は、背中を床に強打した。息が詰まる。蹴られる前に、慌てて立ち上がった。手薄になったガードを突き破って固い大きな拳が打ちこまれた。脳みそが吹っ飛ぶほどの衝撃。脚を踏ん張った。
倒れるものか。続けて蹴ろうとする足にしがみ付いた。
振り解こうとして、ライオットが前後に足を振った。
容赦ない大人の力にはかなわない。手が離れた。惨めに床に倒れた。ライオットが腹を蹴り上げた。連続する蹴りが止まらない。抵抗が出来なくなった。口から反吐が噴き出し、涙と鼻水で顔がグチャグチャになった。
「やめて……もう……」
女々しい泣き言が零れた。