特別付録 16話没バージョン
16話「Discrimination 〈白でも、黒でもない〉」にはかなり長い没文章が存在している。
ニーロたちがファブリン、ジャグリンと共に「白」「黒」へ挑むのは同じだが、当初の内容は少し違う。
タイトルの「Discrimination」は、「差別」を意味する言葉。
慧眼の剣士と呼ばれるマリートだが、周囲の人間からは「まあ、マリートだから……」みたいな扱いをしているし、そんな扱いをされている割に重用されているのがいいところ、という内容にしたくてこんなタイトルにしてある。
本当にどうでもいいことだが、没にした文章がどかんと存在しているのはこのエピソードだけ。
大抵は早めに修正、調整を入れてまるごと直してしまうので、2万字以上まるまる残っているのは珍しい。
せっかくなので、没にした文章の一部をこちらに掲載しておく。
□ 冒頭部分 □ キーレイ視点で話は進む □
何度も扉を叩かれているのに、家主は無視を決め込んで作業に没頭している。
手持ちの中でも特に上質な革に針を差し込んで、こまやかに縫っていく。
迷宮都市での暮らしの中で、最も静かで、豊かな時間だった。きっと今までで最高のものができるに違いなく、作業は軽やかに進んでいく。
扉を叩く音がやんで、口元が緩んでしまう。やっと去っていった、あのデカくて髭を生やした男が。
彼を寄越したのはまだ若い魔術師に違いなく、だったら自分から来ればいいのだ。そうしたら椅子から立ち上がって、鍵を開けるのに。あんな髭を寄越すからいけない。小さく笑い声を漏らしながらも、手は止まらなかった。
街の喧騒が遠くに聞こえているだけの静謐。
この世で最も愛しているものは突然、破られてしまった。
かすかな足音が聞こえて、扉が揺れる。がたんと音がして、開いてしまった。
こんな真似ができる者は一人しかおらず、家の主であるマリートは扉に向かって唸った。
勝手に入ってきたのは樹木の神官長であるキーレイで、動じる様子は一切ない。それどころか呆れた表情でため息までついて、挨拶もしないままこんなことを言い出している。
「もう道具屋を手配したから、マリート、特別に扱わなければいけないものがあるならどれか教えてくれ」
迷宮都市ではそれなりに名を知られ、「慧眼」の異名を与えられた探索者がいる。
「聖なる岸壁」と呼ばれた高名な神官戦士カッカー・パンラの最後の仲間の一人。「赤」の迷宮の最初の踏破者となった剣士。今もまだ迷宮へ挑み続け、「無彩の魔術師」ニーロと共に往ける数少ない腕利きの、数少ない探索上級者。
剣士マリートは無口だが、魔法生物の弱点を見抜く特別な力を持っている。
彼にかかれば熊だろうが馬だろうが一撃で倒して、貴重な皮を剥ぎ、臓物まで抜き取ってしまう。
更には手先が器用で、戦利品として持ち帰った皮で装備品を作り出すし、探索中に現地にあるものだけで調理をしてしまう。長い探索に挑む為には有用な特技な上、味も上々。
額にいつも巻いているバンダナで表情を隠している、ミステリアスな美男子--。
世間のイメージする「慧眼」は、こんな風に固められている。
四年ほど前、カッカーが「赤」に挑んでいた間、街の一部の住人たちからは、絶世の美女であるヴァージと恋仲なのではないかと噂されていたこともあった。
こんな話を誰かから聞くたびに、キーレイはいつも呆れている。
実力のある探索者たちは噂になるし、夢を抱かれるものだとは理解している。だが、あまりにも本人を見ていない。
マリートは本当に些細なことで落ち込んだり、へそを曲げるし、自分とニーロ以外の人間とはほとんどしゃべらない。話したいのに、なぜかうまく会話を成立させられない。何度も相談に乗ったし、なんなら練習にも付き合ってきたが、改善はしなかった。ニーロかキーレイがその場にいれば、ぺらぺらと聞いてもいないことまでしゃべりだすのに。いなくなった途端に心を閉ざして、わけのわからない対応ばかりするようになってしまう。
ついでに言うと、そこまでの男前でもない。髪もだらだらと伸ばしていることが多いし、バンダナに隠れてよく見えないだけだ。
「黄」から脱出した時に起きたハプニングのせいで、また家に閉じこもる日が続いていた。
そろそろ次の探索に行く相談をしたいから呼んできてほしいと頼まれたのは、ウィルフレドだ。
ところが何度訪ねても反応がない。ニーロにそう報告をしたところ、扉を破って構わないと伝えられたという。
本当にやっていいのだろうかというのが、キーレイに持ち込まれた相談で、神官長の答えは「破る必要はない」。
マリートの家は古いので、扉を少し傾けると鍵が開いてしまう。
キーレイは遠慮なくマリートの家に踏み込んで、想像通りの光景が広がっていることに思わず笑った。
ひきこもっている間には必ず、マリートは革の小物を作り続けている。一生かかっても使いきれない量の作品を、飽きもせず延々と作っている。ニーロかキーレイが訪れて、道具屋に引き取ってもらうよう手配するまでがセットだが、無彩の魔術師は面倒なことが嫌いなので、大抵の場合、対処はキーレイへ丸投げされるようになっていた。
作品はどれもしっかりと作られていて、店に並べられるとすぐに売り切れる。
丈夫だし、細やかな模様が入れられている上、品質も良い。
その中でも「特によくできた」とマリートが感じるものがあって、他の作品と同じように山の一部にされているのに、勝手に処分するとひどく怒ってしまう。
ニーロに叱ってもらえばすぐに収まるのだが、実現はかなり難しい。
マリートの面倒臭さを承知しているので、頼んでもなかなか来てくれない。
だから、キーレイがやるしかない。こんな展開はもうすっかりいつものことなので、指示はいつも同じだし、マリートも素直に小物の山を漁って大切な作品を探し始めている。
良作の捜索には時間がかかるとわかっているので、キーレイは部屋の隅から椅子を見つけ出し、入り口近くに座った。
「今回は随分作ったんだな。喜ばれるだろう。シャッドは次の入荷を待っていたからね」
「うるさい」
キーレイに対し、マリートの態度はあまりよくない。
ニーロの前ではやたらと格好つけて、頼れる風を装うのに。なぜこんなに差別をされてしまうのか。樹木の神に問いかけながら、我慢強い神官長は探索の仲間の用事が済むのをじっと待った。
□ 探索のきっかけがだいぶ違う □
リシュラ商店で働く若者の中で一番足の速いバロウのお陰で、道具屋のシャッドがやってくるのは早かった。
小物を収めるための袋をいくつかと台車を持ってきていて、作品の回収作業が早速始められている。
時々マリートから文句が出たが、シャッドのお陰で作品はきっちりと大切なものとそうでないものにわけられ、納得のいく値段で引き取られていった。
散らかり放題だったマリートの家はすっきりと片付き、キーレイは満足しているが、家主は恨めしい顔をして仲間を睨みつけている。
「そんな顔をするな、マリート。もう充分だろう」
「充分ってなんだ」
「どうせまた干し肉ばかり食べていたんじゃないか? 体に良くないから、なにか食べに行こう。ほら、早く着替えて」
マリートの表情は、文句がある、納得いかない、不愉快極まりないなど、不服のオンパレードといった様子だ。しかしキーレイの指示に逆らう気はないようで、あっという間に着替えを済ませて、頭に巻いていたバンダナも取り換えている。
「飯は食う。でも外で食べるのは嫌だ」
「わかったよ。買いに行って、持ち帰ってここで食べよう」
「一緒にか」
「一緒にだよ。さあ、そろそろ外の空気を吸わないと」
キーレイに連れていかれた店にはもう二人分の昼食が用意されていて、ちゃんと持ち帰れるように包まれていた。
樹木の神官が勝手に支払い、食事を受け取り、二人で並んで来た道を戻っていく。
すべてお見通しなのが腹立たしくて、マリートは口をぎゅうっと固く閉じている。
そんな態度はいつものことなので、キーレイもなにも言わない。
慧眼の剣士の家は、樹木の神殿のそばにある。
カッカーの屋敷からすぐのところだし、キーレイの家も近い。
あまり探索者の住む場所ではないが、随分昔に作られたせいか手狭で、そのせいで商人たちに買われずに残っていた家だ。
家の奥には剣が山のようにしまわれていて、入ってすぐのところには革製品を作るための作業場になっている。
マリートの家にあるのは、あとはベッドくらいだった。それも、たいして立派なものではない。
「よかったな、少し広くなった」
家に戻って二人で食事をしながら、キーレイは会話を探していく。
残念ながらどんな声掛けにも返事はなく、昼食はあっという間に終わってしまった。
「ニーロが『白』か『黒』の底まで行きたいそうだよ」
ごみをまとめながらこう言ってみても、マリートの声は聞こえない。
「一緒に行くスカウトも見つけたようだ」
「誰だ?」
「まだ聞いていないよ。その話をしたくて、マリートを呼んできてほしいと言ったんじゃないかな」
ウィルフレドにこの役目はまだ早かった。扉を破っていいのか、真剣に悩んで困っているようだった。
彼の力で思い切りやれば、玄関付近は崩れ落ちてしまうかもしれない。
見渡してみれば、あちこちにひびが入っている個所がある。
キーレイはゆっくりと家の中を歩き、水を一杯もらおうとして、顔をしかめた。
「水が枯れかけているぞ」
「じゃあ、ニーロを呼んできてくれ」
「この家は随分古いし、そろそろ引っ越したらどうだ?」
「いやだ」
キーレイはため息をついて、水が湧きだす壺の手配をすると、新たな用事を頭の中に刻んだ。
「マリート、まだ次の探索に行くのは嫌か?」
「お前のせいじゃないか」
「申し訳ない」
いろいろと立て込んでいたせいで、ニーロから提案された魔術の練習はできていない。
だから、本当によほどのことがなければ、脱出を使ってみようなどとはキーレイは思っていない。
「あんなの二度とごめんだ」
マリートはぶつぶつと文句を言い続けているが、キーレイは謝る以上のことはできない。
喉から手が出るほど欲しいものなどマリートにはなくて、違う形で償うことは難しいだろう。
「もしかして、もう探索には行きたくないのかな」
最近目の当たりにした二つの悲劇を思い出して、キーレイはこう呟いた。
迷宮探索で得られるものは多い。実力のある者ほど、多くを手にすることができる。
だが、深く潜れるようになればその分、恐ろしい思いをするようになる。
人生が終わるし、その運命が捻じ曲げられるようにもなる。
□ イブソルの名を知っているのはキーレイだけで、過去の縁についての描写は同じ。その後のやり取りは違う。
「無理をする必要はない。長い付き合いなんだ。私には嘘を言わなくていいよ、イブソル」
なぜか他の人間には教えない名で呼びかけると、マリートは思い切り顔をしかめて、不満以上の妙な表情を作った。
「生き返りは何度もしない方がいい。死に至らなくても、深い傷を何度も受け続けるのも危険なことだ」
前回の「黄」の探索で、最後の大きな攻撃については受けずに済んだ。けれど、マリートは飛び出してきた刃に貫かれている。首元や頭、胸のど真ん中にダメージを食らうのは特に危険だ。神官の癒しで傷自体は塞がるが、体への負担は蓄積されている。
「無理なんかしていない」
癒される側は、気が付いていないのかもしれない。癒す側であるキーレイは不安に思っている。
いつか自分が死の淵を超えれば、わかるのかもしれない。理解はしたいが、ただ、生き返れるかどうかは不確定で、そんな賭けをするわけにはいかないだろう。
神官がそんなことを望むのもおかしいだろうし、探索の中での自分の死は、五人の終わりに繋がる可能性を高めるだけでしかない。
「俺はもう死なない。ロビッシュのようにはならない」
マリートのセリフに、キーレイの胸は詰まって息苦しさを感じていた。
自分もああなるかもしれないと、どこかで考えているからこそでてきた言葉に思えたからだ。
「俺は探索を辞めない。辞めたら、ニーロやお前と会えなくなる」
「そんなことはないよ」
「お前のせいでこんなところまで来たんだ。俺を置いていくな。こんなところに残れなんて、二度と言うな」
マリートの思いのすべてを、理解できなかった。
キーレイにはわからないことばかりだったが、小さな子供のような頼りない表情を見て、こう答えた。
「わかったよ。じゃあ、一緒に行こう。ニーロもそろそろ戻っているだろうから」
□ 唐突な探索の始まり
無彩の魔術師の呼び出しがあった時の集合場所は、ニーロの家と決まっている。
キーレイがマリートを連れていくと、ウィルフレドが待っていた。
剣士の姿を見てほっとした表情をしていて、マリートは苦々しい顔をしている。
よく連れてきてくれた等の話はできないらしく、会話は弾まない。ニーロがまだ戻っていないこと以外、話はないまま時が過ぎていく。
じっと待っていると扉が開いて、ニーロが姿を現した。
後ろに誰かを連れているが、中には入ってこないようだ。
「ニーロ、誰なんだ?」
マリートの問いに、無彩の魔術師は首を傾げながらこう答えた。
「急な話で申し訳ないのですが、今から『黒』に向かってもいいですか?」
ニーロはいつでも詳しい説明というものをしない青年だが、長くなる探索に挑みたい時には大抵、顔合わせをするし、どこへどんな目的で行きたいのか説明をしてくれる。
促されて外へ出ると、黒いまっすぐな髪を長く伸ばした大男が立っていた。ウィルフレドと同じ程度の高さだが、姿勢が悪く体を丸めているので、身長はもっと高いのだろう。
家から出てきたニーロに近づき、ぴったりと寄り添っている。長い黒い髪が大量にかかって、ニーロは嫌そうに手で払っているが、大男はちっとも離れていかない。そうしているのが自然なのだと訴えるかのように、ニーロが逃げてもすぐに追って、とにかくぴたりとくっつき続けている。
「ジャグリン・ソーといいます。スカウトです」
名前を紹介したのはニーロで、本人は黙ったままだ。
ウィルフレドは困惑しており、マリートはニーロにぴったりとくっついているジャグリンにいら立っている。
妙なスカウトがいるという噂を耳にしていたが、こんなにも風変りだとは思っていなくて、キーレイも戸惑っていた。
「ニーロ、彼と付き合いがあったのか?」
「いいえ。腕がいいと聞いていたので声をかけにいったら、こうなってしまいました」
こうなってしまったというのは、ぴったりとくっつかれることを指すのだろうか。
ニーロも困ってはいるようで、こんな状態で「黒」に挑めるのだろうかとキーレイは考えてしまう。
「探索中はちゃんとしているので大丈夫だそうです。街中では、気になるものにくっついてしまうらしくて」
「どうしてなんだ、お前」
マリートの問いに、ジャグリンは反応しない。
慣れない相手に声をかけられた時のマリートとよく似ているとキーレイは思ったが、口には出せない。
「今から行ってもいいでしょうか」
再びニーロに問われて、ウィルフレドは問題ないと答えた。マリートも渋々といった様子だが、いいらしい。
「キーレイさんは大丈夫ですか」
キーレイに対し、ニーロはかなり無茶を言うが、神殿の仕事など放っておけばいいとは言わない。
神官の存在はどの住人にとっても平等に大切なものだとわかっているのだろう。
生き返りの奇跡を執り行える神官は少ない。仲間にぜひ欲しいと願われる一方、慌てて帰ってきた者には街に残っていてほしい存在だ。
「大丈夫だ。神殿の仕事はないから」
「では、準備をお願いします。『黒』の前で待ち合わせましょう」
怪しげなスカウトであるジャグリンと、ニーロ、ウィルフレドと別れ、マリートとキーレイは家へと戻っていった。
二人の住む家は近いので、マリートの家に着くまで進む道は同じになる。
「なんだ、あの変なやつは」
マリートはぶつぶつと文句を言いながら歩いている。
ニーロにぴったりとくっついている姿を見て、マリートは気に入らないだろうと思っていた。怒るだろうと確信していた。
「確か、スカウトの双子だったんじゃないかな」
「あんなのが二人もいるのか?」
「似てはいないという話を聞いたよ。双子だが、正反対の姿をしているとか」
双子で、ともに探索者をしていて、しかもスカウトで。
ジャグリンとその弟は、はいて捨てるほどいる探索者の中でも極めて珍しい存在だと言えた。
見た目が奇抜で、なかなか仲間入りはしてくれないとも聞いている。
二人揃ってかなり金に汚いという話もあった。なぜニーロがそんなスカウトを選んだのか、キーレイも不思議に思う。
キーレイが家に戻って支度を済ませると、外でマリートが待ち受けていた。
あの妙なスカウトがいることが不安なのだろう。
ニーロとウィルフレドも一緒にいるのだろうから、不安がる必要はないのだが。
しかし、そう考えられないのがマリートだ。知らない人間の存在に怯えるし、ニーロかキーレイがいなければまともな会話すらできなくなる。
そろそろウィルフレドには慣れたと思っていたし、フェリクスたちとはほんの少しではあるが打ち解けていると考えていたのだが。
三年ほど前まで、マリートは今よりも明るかった。
同じ時期にカッカーの屋敷にやってきた女戦士のピエルナにずいぶん世話を焼かれて、あまり反応はしなかったものの、まんざらではなかったように見えていた。
すぐ後にやってきたニーロに対しては、自分から随分話しかけていた。まだ小さかったニーロを可愛がって、世話を焼いては煙たがられていた。
カッカーの言うことには素直に従い、ちょうどよい距離感で気にかけてくれるヴァージには心を許していた。
マリートが一番安心して暮らしていたのはあの頃で間違いない。キーレイは樹木の神殿に仕えながら、カッカーの屋敷で繰り広げられる日々を目にしていた。
子供の頃の記憶だけを頼りに迷宮都市にやってきたものの、なにをどうしたらいいのかはわからず、困り果てていたけれど。
マリートの人生はカッカーの手によって救われ、導かれ、豊かになっていた。
「赤」の踏破の栄光を得て、探索者として名を上げ。
「慧眼のマリート」と呼ばれるようになり、富を得て。
けれどカッカーが引退して、ヴァージと結ばれ、そして、ピエルナの姿が見えなくなり--。
独り立ちしたニーロの家にはベリオという若者が住み着いて、マリートとの距離は少し離れてしまった。
カッカーやヴァージに声をかけられて、屋敷で剣を教えたりはしていたが、「あの頃」のようには、なれそうにはなかった。
「ニーロが選んだんだから、きっと腕がいいんだよ」
キーレイがこう話すと、マリートは口をひん曲げたままだったが、文句を言うのをやめた。
□その後「黒」の探索へ出かけて、二部目からはマリート視点に切り替わる。
戦利品を採取しない戦い方をするジャグリンに注意するのはニーロで、スカウトはいちいち剥ぎ取りをしないことが決まってしまう。
もちろんマリートはムカつくが、それでも大人しく犬の皮を剥いだりする。
探索の中、マリートは様々な思いに揺られていく。その様子は以下のような感じ。
マリートとしてはまったく面白くない。澄ました髭の倒した犬からの剥ぎ取りを引き受けたものの、腹を立てながらする作業は繊細さが欠けている。
誰が見てもこれでいいと言うだろうが、マリートからしたら二流品でしかない。そんな皮を持ち帰るのは嫌だが、ニーロが視線を向けてきたので、仕方なく作業を進めていく。
犬は嫌いだ。
こんな独り言を心の中にたくさんこぼしてから、マリートは立ち上がった。
苛立ちを見抜いているのだろう、キーレイが背中に手を置いて、すぐに離れていく。
マリートは一人で探索にはいかない。
一人では危険だからだ。
誰かと一緒でなければ歩いては行けない。だが、その「誰か」を誘うのがなによりも難しい。
みんなマリートの実力を知って声をかけてくるが、共に進める相手なのかどうかがわからない。
ニーロなら問題ない。自分よりも若くて、頼ってくれて、誰よりも話が早いから。
キーレイならば、大丈夫だと言える。少年時代に出会った時から優しかったから。
穏やかな表情で話しかけてくれるし、何も言わなくても大抵のことをわかってくれる。街での暮らしも気にかけてくれて、必要なものは先回りして用意してくれるし、注意はしてきても決して怒ったりしないから。
けれど、迷宮の中でしか生きられない。
探索に行かなければ、調理や細工のための材料が手に入らないし、剣の腕も活かせない。
魔法生物が相手でなければ、弱点などわかりはしない。
ここが弱いと見抜いて、一撃で倒して、誉められるためには迷宮に行かなければならない。
けれど迷宮に行くには、ニーロかキーレイがいてくれなければ、動けない。
カッカーは引退したし、ヴァージは子供を育てている。可愛らしい子供たちのために、二人はもう迷宮にはいかない。
ピエルナはどうしてなのか、戻ってこない。あんなにもマリートに構って、やいやい話しかけて、ああしろこうしろとやかましく騒いでいたのに。「赤」を踏破して、カッカーたちを祝福してから、気が付いたらいなくなっていた。
どこかの誰かと共に探索に行くようになったようではあった。そして、見えないところに行ってしまった。
フェリクスに同行を頼まれた時はうれしかった。
けれど、うまくはできなかった。
キーレイのようにしたいのに、頭の中が空回るばかりで、こうしてやろうと思ったすべてができないままだ。
いつもそう。いつもそうで、誰よりもマリート自身が一番失望している。
だから、ニーロに誘われた時にはうまくやりたいのに。
ニーロの望んだ通りの探索をしたい。「赤」は底まで行けたのだから。「黒」も最下層まで連れて行ってやらねばならない。
□ 戦いで活躍を見せるジャグリンを見て、マリートは落ち込む。
戦いが好きでも構わない。
そうは思うが、自分の活躍の場を奪わないでほしい。
思いは強くなる一方だが、口に出すなんて、とてもできないことだった。
ニーロかキーレイがそうジャグリンに言ってくれればいいのに。
ウィルフレドの邪魔をするわけにもいかず、苛立ちは募っていく。
髭の戦士の戦いは見事で、いつの間にやらケチのつけどころがなくなっていた。
最初のうちだけだ、無様な倒し方を続けていたのは。
成長しやがって、と思うが、そんなことを言えばニーロを怒らせてしまう。
なにがいけないのですか、マリートさん。
口調は丁寧だし苛立ちなど見せたことがないが、これまでにあったあれこれを思えば、内心では面倒臭がられているだろうと思う。
ニーロに見捨てられたくない。見限られたくない。
キーレイがかばってくれたら、ニーロは怒りを収めてくれるだろうか?
わからない。どんな会話が二人の間に繰り広げられるのか。想像がつかないから、黙ってやるべきことをやるしかない。ウィルフレドが見事に倒した魔法生物から、はぎ取れるものがあるなら取って肉を解体して包んでいくしかないし、荷物がいっぱいになってしまったらより有用なものだけ残して、不要なものを投げ捨てる役目を負うしかない。
□ 没分掲載 おしまい □
この後、ヴァージに戻ってきてほしいと考えたり、「黒」に出てくる猿が違う名前だったりと、本編とはだいぶ違う内容が続く。
長々と書いた末に没にした理由は大きくは二つで、
・マリートがいくらなんでも駄目すぎる
・キーレイが過保護すぎる
内容に不快感を覚えて(自分で書いたのに)、全面的に書き直しをして、現在の形に書き換えられた。
ヴァージへの思いは微かなもので、初めて自分に親切にしてくれた美人枠という程度。
ピエルナも似たようなもので、かなり世話を焼かれたり絡まれたりしたので、大切な人の枠に入れているという感じ。
ファブリンとジャグリンの特別感をもう少し出そうという狙いもあって、登場の仕方、ニーロの態度を変更している。
マリート本人の主観で進む話はこの後20話までお預けに。
直した16話があっての内容になったので、修正して良かったはず。




