第869話 囚人のようですが何か?
牢屋の扉を開けると、悪臭が漂う。
手前の椅子の上には、腐った食事が置いてあった。
臭いはそれに留まらない。
手枷足枷をされた人物も、しばらく体を洗っていない状態なのだろう鼻を衝く、すえた臭いが漂っている。
リューは室内に入ると臭うのを気にする事なく、捕らえられている人物に駆け寄った。
「息はあるみたいだね。銀髪の獣人か……。狼人族に耳や尻尾が似ているみたいだけど……」
リューは狼人? の口に手をやって呼吸しているのを確認した。
銀髪の狼人? は、きつめにされた手枷足枷の為、磔のような状態で、中腰状態で気を失っている。
腰布以外は何も身に付けておらず、拷問の跡が体中に残っていた。
一番新しい傷は、血が固まっている様子から、リューが代官を捕らえた辺りのようだ。
「他の牢屋には誰もいなかったわ。──臭いわね……。清潔魔法を使うわね」
リーンは鼻をつまむと、すぐに魔法を使った。
「まだ、臭う……。──清浄魔法も使うわ」
立て続けに、リーンは魔法を使用する。
そして、臭いが無くなったのを確認すると、捕らえられた狼人? に近寄り、様子を窺った。
「銀髪の狼人族? ──こいつがどんな人物かわからないのに、治療するの?」
リーンはリューが拙い治癒魔法で治療を行い始めたので、呆れて見せた。
「手枷足枷は外さないから大丈夫だよ」
リューもお人好しではない。
「わかった、あとは私がやるわ。リューは水を用意して」
リーンは治療を引き継ぐと、得意の上級治癒魔法を使用した。
拷問で付いたと思われる傷が、見る見るうちに塞がっていく。
ただし、浅い傷以外の傷跡が無数に残った。
どうやら、拷問は生かさず殺さず、深い傷を与え続けていたようだ。
リューは狼人? の口元に、水を少し流し込む。
最初は、そのまま、下に流れ落ちたが、微かに水を意識したのか、口元が少し動く。
そして、立て続けに喉が動いた。
「意識が戻ったみたいだね」
リューは狼人? の微かな動きで気づく。
「……誰……だ、お前……達は……」
狼人? は、意識が朦朧とし、かすれる声で問う。
リーンの治癒魔法で怪我は塞がっても、血は増えないし、栄養失調や脱水症状は治せない。
「その前に、水を飲んで」
リューがマジック収納から取り出したコップに水魔法でいっぱいにして口に運ぶ。
狼人? は、無我夢中でその水を飲み始めた。
その様子からかなりの間、水を断たれていた事がわかる。
コップの水をあっという間に飲みほしたので、リューは追加で水を入れ、また、差し出す。
今度は、ゆっくりと飲み始めた。
その様子をリーンは黙ってみていたが、不意に狼人? の正体を聞いた。
「あなた、もしかして、魔族じゃない?」
「えっ? そうなの!?」
相手の狼人? ではなく、水を与えていたリューが代わりに驚く。
一見すると狼人族にしか見えないが、見た事もない銀髪だったし、目も銀色だった。
よく見ると、手枷足枷は魔力封じの特別製で、石の地面には薄っすらと魔法陣が描かれている。
それは、対魔族用のもので、昔から人族に伝わる伝統的なものだった。
「……私は魔族と人の混血だ……」
魔族? は、観念したように答えた。
どうやら、魔族だからという理由で捕縛されたようだ。
人族の世界では、殺されても文句は言えないくらい、魔族と人族との間には高い壁がある。
認めるという事は、殺されるのを覚悟したという事だろう。
「そうなんだ? 何で捕まっていたの? 魔族との混血だから?」
リューは別に恐れる事無く、質問する。
部下には、魔族との混血で、夜の女王として頑張っているリリス・ムーマがいるから、抵抗感はない。
「……恐れないのか?」
「全然! うちには同じ魔族との混血の部下がいるからね。それよりも、何で捕まったの?」
リューは興味深げにこの魔族に聞き返す。
「……代官に見つかって捕らえられていた」
魔族は、自分以外にも魔族の混血がいて、目の前の少年の部下である事を知って、内心驚いたが、自分について余計な事は答えなかった。
「──やっぱりかぁ。……じゃあ、回復するまでうちで療養すると良いよ」
リューはそれだけで何を思ったのか、手にしていた鍵で手枷足枷を外し始めた。
「「リュー!(若様!)(主!)」」
そばにいたリーンと、牢屋の扉の傍で待機していたアーサとスードが、咎めるように思わず声を上げた。
「大丈夫。この人の目は綺麗だよ」
リューは魔族の銀色の目をじっと見ながら、最後の手枷を外した。
その瞬間、封印されていた魔力があふれ出た。
弱っているとはいえ、結構な魔力量だ。
リーンとアーサ、スードはそれだけで警戒する態度を見せた。
魔族はすぐにそれがわかり、魔力を抑えたが、リューに対しては、珍しいものをみる表情を向けた。
まさかの対応だったからだ。
「見た目は獣人族だし、問題ないね。──ところで、君の場合はどの辺が魔族なの?」
足元がおぼつかない魔族を支えながらも、リューの興味は尽きないようだ。
「私は……、この姿の他に、魔獣の姿がある……」
魔族は困った様子を見せながらも、観念したように答えた。
「どんな? 今、その姿になれる?」
リューの好奇心は止まらなくなっていた。
リリス・ムーマの淫魔の姿にも興味を引かれたが、魔獣の姿となると、やはり、気になる。
「……」
グイグイ来るリューに戸惑う魔族。
そして、黙って、魔獣の姿に変身した。
それは数瞬の出来事で、人から大きな狼の姿になった。
怪我を治療したとはいえ、栄養失調と脱水症状がある状態だから、毛並みはぼさぼさになっているが、それでも綺麗な銀色の毛並みの狼である。
「もしかして、あなた……、フェンリルとの混血?」
リーンが警戒しながらも驚いた様子で聞く。
「フェンリル?」「……そうだ」
リューが疑問を感じるのと、魔族が人に戻って答えるのが同時だった。
「リューは知らなくても仕方ないわね。エルフの中ではお伽噺として言い伝えられている伝説級の魔獣の事よ。聖銀狼とも呼ばれているわ」
「聖銀狼? 『聖銀狼会』と一緒だね?」
リューはすぐに西部地方に勢力を持つ『聖銀狼会』が頭を過った。
「あれも多分、フェンリルからきているのだと思うわよ」
リーンは肩を竦めた。
「へー。じゃあ、君、凄い人なんだね? いや、魔獣? 聖獣? どう呼べばいいんだろう……。あっ、その前に、自己紹介がまだだったね。僕は、リュー。ここの新領主だよ」
リューは魔族に左肩を貸しながら、右手で握手を求めた。
「新領主……!? ……私はシルバ・フェンリールだ……」
シルバは、新領主と聞いて驚いた表情を浮かべている。
「よろしくシルバ。しばらくはうちで休んで体力を取り戻すと良いよ」
リューは笑顔で応じると、シルバに肩を貸して、牢屋から一緒に出るのだった。




