第823話 あの男の生存ですが何か?
サン・ダーロは、迷っていた。
目の前の包帯の男の正体がなんとなくわかったからだ。
直属の上司はランスキーになるが、そのランスキーから、リューが仕留めたはずのバンスカーの名前を聞いており、それが脳裏に真っ先に浮かんだのである。
この距離なら殺れるか……?
こういう時の勘を大事にしているサン・ダーロは、相手がバンスカーであるとみなし、殺せるかどうかを打算した。
相手はリューが始末し損ねたと思われる人物だ。
だが、サン・ダーロは元殺し屋であるから、その辺りは冷静である。
後々の事を考えると、ここで自分が命を賭して始末しておく事がミナトミュラー家全体の利益になるという考えが脳裏を過った。
「ほう。サンドラ商会長は、うちの護衛兼影武者を相手に怖気づく所を一切見せないですな」
それまで話をしていた『骸』の幹部ダガンが、感心した様子でサン・ダーロを評価した。
「……影武者ですか?」
サン・ダーロは思わず聞き返す。
その人物の鋭い眼光や威圧的な雰囲気は、ただの護衛や影武者には到底思えなかったからだ。
「ええ。この者は、うちのボスを崇拝する一人で、こういった場にはボス役として連れてくるようにしています。この者の漂わせる雰囲気に、あなたがビビらなかったのには正直驚きましたよ」
ダガンはこの場に走った緊張感を和ますように冗談っぽく話した。
「……そうなのですか? いえ、充分驚きましたよ? はははっ(これが影武者? いや、そんなはずはない。こいつが噂に聞くバンスカーの可能性が高い。だが、もし、本当に影武者ならここで俺が命と引き換えに仕留めても何の意味もない……。どうする? 殺るか、殺らないか?)」
サン・ダーロは店先で刃物は従業員に預けているが、懐には護身用のナイフを潜ませている。
ただ、刃の長さが短いので、仕留めようとしても距離が足らずにギリギリ躱されるという可能性もある微妙な距離だった。
「会長、『骸』のボスの顔や名前がわからない以上、この場で五分五分の取引は難しいと思いますが」
サン・ダーロの護衛の一人が、サン・ダーロの気配を察知したかのように口を挟んだ。
「そ、そうだな……。つい、影武者殿の雰囲気に呑まれそうになっていたようだ。ダガン殿、そちらの申し出は断らせてもらいます。 今日は勉強になったのでここの勘定はうちが持ちますよ」
サン・ダーロは懐に手を入れながら、立ち上がる素振りを見せた。
「まあまあ、お待ちを。うちの影武者は護衛でもありますが、実はボスに次ぐナンバー2でもあります。つまり、私と同じ幹部の一人なんですよ。うちは『サンドラ商会』を高く評価しているのです。だからこそ、幹部二人が出張ってきているのですよ。そこを評価してもらいたいところですな」
ダガンは先程とは打って変わって、本来の地声であろう低い声で交渉した。
「……ではせめて、『骸』のボスの名を聞かせてもらいましょうか。相手の名を知らないで組むわけにはもいかないですからね」
サン・ダーロはここまでだけで未知の組織だった『骸』の情報を沢山得ていたが、一番大事なものはボスの存在である。
『竜星組』同様、ボスの名前や顔が割れていない組織だから、その情報だけでも知れればかなりの利になるだろう。
「……うちのナンバー2も世間に知られていないのですが……。少々お待ちを」
ダガンは渋い表情を浮かべると、包帯を巻いたナンバー2の人物と個室の片隅に移動し、防音魔法を使用して二人で何か話を始めた。
ダガンの方が、渋る様子でナンバー2の意見に口を挟んでいるのが、見て取れた。
それはそうだろう。
裏社会において、知名度の反面、顔や名が広まるのは命の危険が付き纏うものだからだ。
知られていないという有利性を活かしてここまで勢力を大きくしてきている『骸』だったから、胡散臭い商売人相手に話すのはリスクがあると警戒するのは当然だった。
「……話す代わり、そちらの手口を教えてもらえますか?」
ダガンが、『サンドラ商会』の商売の肝部分を晒すように要求した。
「それを話したらうちは必要なくなるでしょう? お断りします」
サン・ダーロは目の前の大きな情報を前にして、それに食いつく事なく、会長という立場として大事なものを守る姿勢を見せた。
「……商売人として満点の反応ですな。──ナンバー2、どうです?」
ダガンはどうやら引っ掛けの交渉内容だったようだ。
サン・ダーロが断った事で、ある種の疑いが晴れたようである。
それは多分、『骸』の情報収集をしている間者の類を疑っての事だろう。
飛びついて来たら、間者の可能性あり、飛びつかなくても内容次第では考える、というところと思われた。
ナンバー2は、サン・ダーロをじっと見ていたが、黙って頷く。
「了解が出たので、うちのボスの名前を明かしましょう。ただし、この名前を知ったからにはあなたの商会はうちと一蓮托生ですよ?」
ダガンは低い声で念を押す。
「うちが名前を知ったところで、どうにもできませんよ。それよりは、信用の問題でしょう。手を組むに値するのかどうかの、ね。商売の基本です。それに一蓮托生は大袈裟ですよ」
サン・ダーロは敢えて軽口を叩く。
あくまで商売人としての反応を見せる事で相手の疑いを晴らそうとしていた。
今のこの瞬間も相手は、こちらを見定めていると勘が警告していたからだ。
「わははっ! そうですか、商売の基本ですか。いや、返答次第ではこちらが望まない結果になるところでしたので、安堵しました」
ダガンの顔に笑顔が戻り、声も高くなった。
そして続ける。
「それではうちのボスの名前をお教えしましょう。我ら『骸』のボスはバンスカーと言います。裏社会では死んだ事になっている人物なので、他者に知られるわけにはいかなかったのですよ」
ダガンはナンバー2をチラッと見ながら、事情まで正直に話す。
「バンスカー殿ですか? 知らない名前ですが、憶えておきましょう」
サン・ダーロは真面目な顔で応じながら内心では、改めて自分の勘が当たっていた事に安心しつつ驚きもある。
『竜星組』の中でもボスであるリューが討ち取ったという事で、死亡扱いになっているからだ。
それが、こうして『骸』の幹部から聞き出せた事で、疑いがほぼ事実に変わる瞬間を迎えたのだった。
こうして、『サンドラ商会』と『骸』は協力関係を結ぶ事で合意した。
当然、それは表向きの話であって、リューの傘下である事に変わりはない。
つまり、協力関係を結んで人手を借りる事で、『骸』の情報を吸い上げるのが一番の目的である。
危険な仕事だったが、リューの為にも、サン・ダーロは上手く立ち回っていく事を心掛ける事にするのだった。
「『骸』のボスがバンスカー!?」
リューはマイスタの街長邸の執務室で報告書を読んで、驚いていた。
バンスカーとの闘いでは、跡形もなく吹き飛ばしたつもりでいたので、生存の可能性は極めて低いと考えていたからだ。
ただ、その反面、『骸』の存在がバンスカーの生存の可能性、もしくはそれに準じた人物がボスである事は、可能性が低くてもずっと疑っていた。
それだけに、一番収まりの良い答えが、返ってきたというのも事実だった。
「……ダガンは幹部か。クーロンの話では、ダガンがボスの可能性もあったわけだけど……」
報告書には会談現場に現れたナンバー2とする人物が、そのバンスカーの疑いがある事も記されている。
「サン・ダーロはよくそこで、下手を打たなかったね。会談内容を読む限り、相手は罠を仕掛けた会話を沢山展開しているし。ギリギリの駆け引きだったと思う。……バンスカー生存か。やっぱり、『骸』が一番警戒しないといけない相手だね……」
リューはリーンにそう漏らすと、増えた問題に頭を悩ませるのだった。




