第742話 危機感を煽りますが何か?
クレストリア王国側が、東部で局地的な勝利を挙げたものの、エルフ達の自治区であるリンドの森の村が焼かれ、英雄リンデスやエルフ達の生存が確認できないという残念な報告が王都に伝わっていた。
王都では東部での勝利で、帝国軍の王都への侵攻速度が鈍った事を喜んでいたのだが、先の大戦の英雄の一人であるリンデスが戦死したかもしれないという情報で、一気に戦勝ムードが下がる。
この情報は、『王都新聞』を発行するニュース商会というところから速報として出されたもので、どうやら、王宮にもたらされた情報が元になっているようだ。
ちなみに、ニュース商会とはリューの部下である大幹部ランスキー傘下であり、情報収集や情報操作を行う為に作った商会である。
「もう、王都ではこの情報でもちきりになっているではないか!」
「英雄リンデスの戦死など広まったら、戦意が下がるぞ?」
「ただでさえ、シバイン侯爵とその派閥が裏切って帝国に降った事で、国内に動揺が走っている。日和見を決め込んでいる地方貴族派閥が、この報で帝国に寝返らないだろうな?」
王宮では、連日、貴族高官達による会議が行われていたが、この英雄リンデス失踪は重く受け止められていた。
「……帝国も馬鹿ではないという事だ。報告によれば、帝国南軍の指揮官は、かなり優秀らしく、あの英雄スゴエラ侯爵も兵力差の事もある事から、城から討って出る事もできない状態だという。──陛下、帝国本軍を率いるのは、先の大戦でもこちらを苦戦させたダイ・コーセ元帥だとわかっております。その傘下にはホサ・ユーノ将軍、ジェネル・ブサーノ将軍という有能な将軍がおり、大崩れする事はないかと。こうなれば、一番手薄そうな帝国北軍を打ち破り、その勢いでこちらのエアレーゲ侯爵元帥と合流し、決戦を挑むしかないのでは?」
大臣の一人が、国王にそう提案した。
「その北軍は現地の我が軍を討ち破り、シバイン侯爵の裏切りもあったから、対抗できる軍はすでにない。北部の王国軍は国境線を守らなければいけない以上、動かすわけにもいかず、地方貴族もだんまりだ。その状態でどう打ち勝つというのかね?」
国王は、現実的とは言えない提案に不機嫌そうに答える。
「も、申し訳ありません……」
大臣は反省して押し黙った。
「やはり、北部はサムスギン辺境伯に動いてもらわないと、どうしようもないですな……」
違う大臣が、国王の気持ちを察してそう漏らす。
「あそこの大派閥は、特に軍事面において強力ですからな。辺境伯自ら動いてくれれば、帝国北軍に対抗できるのですが……」
大臣の言葉に同調するように、傍の上級貴族がつぶやく。
その言葉に席上の全員が押し黙る。
今回、どこの地方貴族派閥も動きが悪いが、特に大派閥の動きが悪すぎるのが問題なのだ。
すでに戦争に突入してから、四週間あまりが経過しているが、近隣の貴族達でさえ召集に対して「準備中」という返事のところがあった。
だが、早いところは、一週間も経たずに王都に兵を送ってくれた貴族もいる。
派閥に所属しない北のノーズ伯爵(リューの友人であるオイテン準男爵の寄り親)やシズの父親で派閥の長であるラソーエ侯爵などがそうだ。
地方貴族は自分の領地が危機に陥らない限り、対岸の火事というところであったし、王都周辺でも派閥の長の顔色を窺い、理由を付けて兵を出し渋っているところは多いから、いつまでも、最前線に送れる兵が少ないのである。
結局、戦場になっているところの貴族だけが、領地を荒らされる可能性があるから参戦しているのであり、必死になっているのは、北東部と東部、南東部の貴族がほとんどであった。
そんな状況下で名前が出ていたサムスギン辺境伯はというと。
「また、ご子息のルーク様とカリバール男爵から手紙が届いております」
部下からの報告に、辺境伯の居城入りしていたサムスギン辺境伯は、息子達の再三の出陣要請に不機嫌になっていた。
「毎日手紙を送ってくるくらいなら、学業に専念しろと伝えておけ。それに、あ奴らは状況がよくわかっていない」
サムスギン辺境伯はそう漏らすと押し黙る。
サムスギン辺境伯は、王家支持というよりは、独立独歩の家風から自領の守護を最優先というのが、大原則となっていた。
もちろん、その為に北部の国境線の防衛にも積極的で、現地の王国軍とも演習はよくやっているくらいである。
だが、北部から離れている東部に兵を出すというのは、また、意味が違ってくるのだ。
すでに、王家からは軍の派遣要請は届いている。
しかし、それは、自領の防備を薄くする事になるから、その要請をのらりくらりと躱していた。
「先日はライハート伯爵からも敵の北軍を討とうと要請がありましたが?」
「ライハート伯爵は、娘に甘いからな。きっと娘にほだされて俺に言ってきているのだろう。それにオチメラルダ公爵のところの娘からも共に、兵を出そうと手紙がきたが、王立学園で洗脳でもされているのか? 自領の事情を考えなくなっているぞ」
サムスギン辺境伯は面白くない様子で愚痴を漏らす。
「みなさん、ランドマーク伯爵の与力であるミナトミュラー男爵に恩があるようですから。その為に動いている様子かと」
部下は王都と学園の情報を基にそう推察する。
「ミナトミュラー男爵か……。確かにあれは面白い存在だ。俺にあんな口の利き方をするくらいだからな。ただの正義感ぶった若造はいくらでもいるが、それだけではない雰囲気を持ち合わせている……。──奴は今、学園を休学して王都で最前線に兵を送り込む仕事をしているらしいな?」
「はい、先日の報告では、刺客に襲われたらしいですが、それも防いだとか」
「あの歳で、命の駆け引きの場に引っ張り出されて、大変だろうな。いや、以前の調子なら、何とも思っていないかもしれない……。あそこの親とも子育てについて聞いておかなければいけないのであった……。──仕方ない……、兵を出すぞ。派閥の貴族とライハート伯爵家にも伝えよ。サムスギン辺境伯家は、これから帝国北軍を討って、北東部を解放するとな」
気が進まない様子であったが、リューの顔がチラつくようで、それを振り払うように部下に告げるのであった。
この「サムスギン辺境伯動く」は、現地で商売の為に動いている竜星組傘下のダミスター商会から信号弾を使用した伝達方法で王都まで短時間で報告された。
「え? 本当に?」
報告を受けたリューもこれには驚いていた。
一応、リューは後輩達である一年生達には親にお願いしてくれるように、言ってはいたのだが、正直、期待はしていなかったからだ。
サムスギン辺境伯は、貴族の中でも特殊な存在であったし、何を考えているか理解できない部分も多く、情報自体が少なかったので説得材料がほとんどなかった。
それだけに、ダメもとでルーク・サムスギン達を動かしたのだが、意外に子供には甘いのかもしれないと思うのであった。
「大派閥が動いた事で、他の派閥も動き出すかもしれないわね」
リーンが、そう指摘する。
「そうだね。まさかだったけど、ようやく反撃に移れるかもしれない。──それにしてもよく動いてくれたなぁ。何か動く理由があったのかな?」
リューも流石に子供の説得だけで動くような人物とは思えなかったので、そう疑問を口にした。
まさか、動く理由の一つにリューが関係しているとは、さすがの本人も思わないのであった。