291話 間者の扱いですが何か?
人手不足で困窮するミナトミュラー家では、色々と問題を抱えている。
現在、街長邸にはエラインダー公爵から送り込まれた間者と思われるメイドが一人、竜星組の王都事務所には『聖銀狼会』の間者が数人入り込んでいる状態だ。
当初の予定では、適当に嗅ぎ回らせて、雇い主に偽情報を掴ませるなど、色々と選択肢があるからと放置していたのだが、人手不足となった現在では間者を放置して監視して置く余裕はない。
それにこちらの人手不足が発覚して、攻め時と思われるのも困るところである。
あちらも一度に三つの組織を敵に回して立ち回る余裕はないと思うが、万が一もある。
だから、間者は特定してあるので、処理しておいた方が良いのではとないかという話になっていた。
「マルコ、そっちの処理は大丈夫かな?」
リューは、執務室で報告に来たマルコに確認を取った。
「間者は一つの事務所に集めて監視させているので、いつでも大丈夫です」
「ごめんね、忙しい時に」
「いえ。それよりも若。エラインダー公爵の間者がこの屋敷に入っているそうですが、そちらの方が処置は難しいのでは?うちは、失踪しても問題はないですが、使用人が一人消えるとなると、悪い噂の元にもなりかねませんが……」
「それは色々と理由をつけてクビにすればいい話だから。失踪はさせないって」
マルコの裏社会の人間らしい発想に苦笑を浮かべるとリューであった。
「そんな簡単な対応でエラインダー公爵は納得しますか?」
「普通に考えたらまた、誰か送り込んでくるだろうね……。まぁ、今の間者についてはメイドのアーサが、任せて欲しいって言ってるんだけど……」
「それこそ、消すつもりでは……?」
マルコはアーサについては良く知っている。
なにしろ、『闇組織』のボス時代、その暗殺技術を見込んでアーサを雇おうとしていたのだ。
「それが、僕のやり方を見習って穏便に済ませるっては言ってるんだよね。まぁ、監視はアーサに任せていた事だし、最後までアーサに任せてみるよ」
街長邸の敷地外の木の陰に怪しい人影があった。
ひとりは、黒ずくめの男で周囲を警戒している。
その男と接触しているのが、リューの下で働いているとわかるメイド姿の女性であった。
そう、エラインダー公爵のところから潜入している間者メイドである。
「……これが、この数日分のミナトミュラーの情報です」
「……わかった。──主は、お前の働きを買っていらっしゃる。今後も頼むぞ。それと万が一の場合は……、わかっているな?」
「……はい。主の為にも家族の為にももちろん裏切りません」
「では、また、数日後に」
男は間者メイドから紙の束を受け取ると、その場を去った。
「……ふぅー。私もすぐ戻らないと先輩メイドに疑われるわ」
間者メイドはそうつぶやくと、街長邸に戻ろうと振り返った。
するとそこには、メイドのアーサが一切の音も、気配も無く立っていた。
「あ、アーサさん!?」
「こんなところで何してるのかな?──って、一部始終見させて貰ったよ。毎回この場所で何度も続けて接触するのは頂けないなぁ」
「あ、すいません。彼とは恋仲で──」
「違うでしょ?毎回、うちの情報を若様とは違う主に流してるんだよね?」
アーサは間者メイドの言葉を遮って追及した。
「!」
アーサの指摘に間者メイドは言葉に詰まる。
そして、瞬きをして開いた次の瞬間、アーサが目の前まで接近し、喉元にはナイフが当てられていた。
「ひっ!」
間者メイドはあまりの一瞬の事に、息を吞む。
「どっちがいい?」
アーサが、喉元にナイフを当てた状態で質問した。
「ど、どっちとは……?」
間者メイドは身をのけ反らせたまま、冷や汗をかきながら聞き返す。
「あなたの大切な家族と幸せなまま過ごすのと、あなたが突然失踪して家族も不幸になるの」
「!──わ、私には家族はいません……よ?」
「うちに就職した時は、そういう届け出にはなっているけれど、君、どこぞの公爵領の片田舎に両親と小さい弟と妹がいるじゃない」
アーサは、感情の無い声で淡々と指摘する。
「!──なぜそれを……」
間者メイドは、自分の情報が筒抜けである事に愕然とした。
「さっきの続き。──ボクも忙しいから決めてくれる?(ニッコリ)」
アーサは、ここで初めて無表情から笑顔になった。
だが、目が笑っていないのは火を見るよりも明らかで、間者メイドはそれだけで失禁しそうなほど怯えた。
「み、み、見逃して下さい……!」
間者メイドは勇気を振り絞って懇願した。
「こちらはよくても君のところの主は甘くないんじゃないかな?家族を人質に取るような人間だし、このまま戻っても処罰されるだけだよ?」
アーサは、間者メイドの未来を予言してみせた。
「……!」
薄々自分でもわかっていたのだろう。
間者メイドはその言葉に、息を飲み込んだ。
「そこでボクから提案だよ。若様の側に付くなら、家族に災いが降りかからない様にしてあげる。その代わり、君は公爵側に適当な情報を流して貰ってこれまで通り普通に働くだけで好待遇だよ。どうかな?」
アーサはここでやっと笑顔で提案して来た。
目も先程と違って笑っている。
ただし、ナイフは喉元に当てたられたままではあったが……。
「……私に二重間者になれと?」
「別にあっちの情報を寄越せとは言ってないよ?こっちの情報を無闇に流さず、うちでしっかり働けと言っているだけだからね?」
アーサの提示する条件は、自分にとっては都合がいい、だが、そんな美味しい条件があるだろうか?
「……断ったら?」
「家族と共に失踪かな?」
選択の余地がない!
絶望する間者メイド。
エラインダー公爵家への忠誠心もあるが、それよりも家族の身が一番心配であった。
「君の実家って、エラインダー公爵領にあるイスパの村、村長宅から右に向かって三軒目だよね?」
何で!?
間者メイドは、目を見開いてアーサを見た。
「嘘の住所を若様に申告しちゃ駄目だよ。すでに君の身辺調査は終わってるからこれからも嘘ついちゃいけないよ?」
アーサの言葉に、
エラインダー公爵家側が用意した住所は完ぺきだったはずじゃ!?
と、血の気が引く間者メイド。
「若様を欺こうとしても駄目だよ。それはボクが許さないもの」
アーサはそう告げると、殺気を放つ。
その殺気に間者メイドは腰を抜かして座り込んだ。
そしてついに失禁してしまい、地面に水溜まりが広がっていく。
ここで初めて、アーサがナイフを引っ込めた。
間者メイドは、観念するしかなった。
エラインダー公爵家を敵に回す事は考えられない事であったが、ミナトミュラー準男爵家は、その上をいっている。
忠誠心も大事だが、それよりも、家族と自分の命が最優先であった。
「……家族は、守って貰えるんですね……?」
間者メイドは勇気を振り絞って、確認する。
「もちろん!ボクと違って若様は寛大だからね。約束は守るよ」
アーサは腰を抜かしている間者メイドの手を取って腰のツボを突くことで、強引に立ち上がらせて続けた。
「ほら、戻って着替えないと、お昼終わっちゃうよ」
屈託のない笑顔でアーサが間者メイドに告げると、二人は街長邸に戻るのであった。




