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作者: a

 静寂の中、パチパチと炎の爆ぜる音がする。不規則に揺らめく焚き火の明かりは、深い闇を照らすには不安定で、どこか心許無さを感じさせた。

 焚き火を囲む者は私一人ではなく、対面にもう一人。

 ボロボロの衣服を纏った若い男。それも恐ろしく顔立ちの整った男が、目の前の炎を静かに見つめている。

 炎に照らし出された美しい顔に、ついうっかり見惚れてしまった事にようやく気付いた私は、男に悟られないように、そっと視線を焚き火へと落とした。


 どうして目の前のこの男と焚き火を囲んでいるのか?この不可解な状況に関しては、私もまだまだ理解が追いついてはいないけれど、事の発端はチェーン店のコーヒーショップで涼んでいたところからはじまる。



 夏真っ盛りの昼過ぎはとても暑く、避暑のために飛び込んだコーヒーショップは思いのほか()いていた。駅に併設されているという立地条件から、普段であればもっと人がいてもおかしくはないはずだけれど、と不思議に思いながら、道路に面していて外が見えるカウンター席を素早く確保する。

 人がいないのは僥倖とばかりに、冷房の効いた店内を安いコーヒーと軽食で満喫しつつ、何度かコーヒーをお代わりしながら時間を潰していた。

 日が落ちるまでは、せめて外が涼しくなるまではと図々しく粘っていた私は、何度目かのお代わりが運ばれてくるのを外を眺めながら待っていた。


 日差しも傾き日陰をつくる中、ガラス窓を1枚隔てた先では、人々が緩やかに行き交う。

 その更に後ろには、公園とまでは呼べない小さな休憩スペース。昔は喫煙スペースだったのか、ベンチが備え付けられてはいるが、使われている形跡はなく、緑が繁茂(はんも)して少し荒れた印象を受けた。

 2基のベンチの間、その少し後ろにはひょろっとした銀色の柱時計が立ち、それが午後4時半を指そうかというところで、突然キーンという耳鳴りがして、…気温が、ぐっと下がった。


 驚いて周囲を慌てて見回してみるが、客が(まば)らな店内に目立った変化はない。けれど私の耳鳴りは続き、体感気温も下がり続けていて、はっきり言って異常だと自覚する。

 冷房に当たりすぎたか、もしくはコーヒーの飲みすぎで体調不良になってしまったのだろうか?と不安に思って、さてどうしたものか?と何気なく視線を前方に戻し…。


 見た瞬間、マズイと直感した。


 休憩スペースのベンチとベンチの間。銀色の柱時計の前に人影がある。人影といっても人ではなく、それはモヤモヤとした黒い何かが、辛うじて人の形をなしているだけのようだ。

 人ではないのだから、それはやはりお化けなのだろうか?今体験しているのは心霊現象?

 それとも体調不良が見せる幻?

 店員さんに助けを求めてみる?それとも店を出る?見なかった事にして、このまま具合の悪さもろともやり過ごす?救急車を呼ぶ?お代わりのコーヒーは?

 現実的な思考と、非現実的で、妄想からくる不安がぶつかり行動を躊躇させる。

 どうしよう?どうすればいい?混乱して思考がまとまらない。

 何なのか、よく分からない正体不明のソレに気付いている人はいない。今のところ、私以外は。



 黒い人影っぽいソレが、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきたのが分かったのは、眼前の人通りがちょうど途切れたタイミングだった。

 私とソレとの間に、ガラス窓以外の障害物が消えて、まっすぐ私に向かってくるのが嫌でも分かってしまう。

 目を逸らしたいのに、まるで固定されてしまったみたいに逸らせない。ソレが近づくたびに耳鳴りが増し、寒気がひどくなる。

 何かしなくては、と頭の片隅では思うのに、思考停止した私は固まったままで…。

 いよいよ、ソレは私の前に立った。ガラス窓に手を突いて私を見ている。

 目なんて分からないのに、それが見ていると分かった瞬間、私の意識は暗闇に落ちていった。



 ひどく悪い夢をみていたのだ、そう思いたかった。

 …例えば、私は駅のコーヒーショップにて、図々しくも冷房にあたるために長々と店内に居座り、その結果として突然の体調不良によってぶっ倒れて、店員さんに救急車を呼ばれて病院に搬送され、病院のベッドにて意識を取り戻し、様々な人に迷惑をかけて叱られたり恥をかいたりして、なけなしのお金を出費して懐が大変寂しくなって泣きたくなる。

 そんな日常に戻るのであれば、随分と良かったのに。今のこの現状よりは。



 一度暗転した意識が再浮上すると、そこは闇であった。

 どこまでも続く暗闇に、見通しは全くきかないが、しかし何故か自分の手足や服などは視認できるという、よく分からない状態になっていた。夢なのか悪夢なのか、それとも別の何かなのかも本当によく分からない。

 ついでにいえば、耳鳴りや寒気も治まり体調は良好。あの黒い人影っぽいのも、今のところ近くにいる気配はない。その代わりといっては何だが、時折遠くからズルズルと這う音が聞こえてきて不気味だ。

 そして暗闇の中を立って歩けるという事までは確認はできた。


 遭難であれば大人しく救助が来るまで待つべきなのだろうけど、遭難したわけではないし、助けが来る当てもない。更に謎の這う音も怖いので、私はとりあえずその音源から離れるべく移動する事にした。


 そしてすぐに後悔する事になる。

 意気揚々と決意してみたものの、暗闇の中を歩くのは存外難しい事だった。転んだり、変なものを踏んづけたり、躓いたり、そうならないように神経を足元に集中するのはとても疲れる。

 そして神経を足元に集中すれば、その他が疎かになってしまう。その事に気付いたのは、私のではない足音が私の後ろに迫ってきてからである。

 それは私よりも、しっかりとした足取りで歩幅も大きく、そして素早かった。

 このままゆっくり確認しながら歩いていたら、確実にこの足音に捕まる。

 そう思った瞬間、私は靴を脱いで駆け出していた。


 暗闇の中を走る私。私を追いかける足音も速度をあげる。

 視界不良の中、走ってる感覚はあるけれど、走ってるのかどうか本当のところはよく分からない。そんな追いかけっこがはじまった。

 このままであれば絶対追いつかれる。なにぶん後ろの足音のほうが早いのだ。

 けれど、私にも妙案があった。


 手に持っていた靴の片方を右側の暗闇にポイっと投げる。それと同時に、私は足音をなるべく出さないように気をつけて走る。

 直後、靴が地面と当たって思ったよりも大きな音を立てた。

 どうだ?注意が靴に向きますように。そう祈るような気持ちで、ドキドキしながら後ろの足音の動向を伺う。

 足音は速度を緩め…、そして少しの逡巡の後に落ちた靴のほうへと向かった。

 よしっ!私は心の中でガッツポーズをとりつつ次の行動に取り掛かる。


 一旦私も立ち止まって、息を整えながら足音の方へと向きを変え、聞き耳を立てる。

 足音は、私の靴が落ちた地点あたりで止まる。きっと私を探しているのだ。

 そう当たりを付けた私は、もう片方の靴を今度は落ちた靴の地点より右へ、更に遠くへ飛ぶように思いっきり力を込めてぶん投げた。

 そして靴を投げた方向とは逆側へ、抜き足差し足忍び足。音を立てないように気をつけながら進む。

 靴がまた地面へと落ちて音を立てた。うまく飛ばせたようで結構遠くのほうで音が聞こえ、止まっていた足音もそちら側へと走りだす。

 私は内心で小躍りしながら、音を立てないように走り出した。


 私の作戦、『靴を投げて音を立てて、注意を逸らして逃げよう作戦』は見事に決まったはずだった。

 実際途中までは上手くいっていたのだけれど、結果から言えばそれは失敗に終わる。

 どういうわけか、落ちた靴のあたりまで足音は向かったはずなのに、いつの間にかまた私の方へと向かってきたのだ。なんでぇ!?と叫びたいのを堪えて、私は今必死に走っている。それはもう静かに走るなんて二の次で、足音も呼吸音も荒く、少しでも遠くに逃れるために走っている。

 けれどそれも限界を迎えつつあった。

 足音が私のすぐ背後まで迫った時、私の体力は限界を向かえ、更には焦りから足がもつれて、盛大にすっ転ぶ…かに思われた。


 何かがぐいっと後ろから私の服を掴んだ。私は半ば倒れる手前で斜めになった姿勢で停止する。そしてゆっくりと直立の姿勢へと戻される。

 背後の足音は止まっており、この追いかけっこの終焉を意味していた。もちろん私の負けである。

 私はゆっくりと背後を振り返った。鬼が出るか蛇が出るか。


 だがしかし、そこに立っていたのは恐ろしく顔立ちの整った、研ぎ澄まされた刃のような精悍な顔つきの男が私を見下ろしていた。

 男は口を開く。

 「お前は誰だ」

 いや、お前こそ誰だよ。私の突っ込みは荒い息によってかき消され、男に届くことはなかった。


 これが私と、この男との出会いであり冒頭での焚き火に繋がるのである。


 男は私の息が整わないことには、会話もままならない事を察したのか、その場で焚き火の準備をはじめた。意味が分からない。

 背負っていたリュックを下ろすと、そこから焚き火グッズを次々と出し、驚くべきスピードで焚き火を作り上げた。本当に意味が分からない。

 男は焚き火の前で腰を降ろし私にも着席を勧める。私は走って大変疲れていたので、男の勧めるまま座った。


 焚き火の炎がゆらゆら揺れて、それにどこか安心を覚える。男に聞かれるまま、私は自分が何者でどこから、どういう経緯でここにいるのかを端的に答えた。

 男は少し考え込むと、一つ頷き、焚き火に何かを投げ入れた。そこから、もくもくと煙が細くあがる。

 どこまでも昇っていく煙を不思議に思い眺めていると、男は私を元の世界へと戻してくれると静かに告げた。


 静寂の中、パチパチと炎の爆ぜる音がする。不規則に揺らめく焚き火の明かりは、深い闇を照らすには不安定で、どこか心許無さを感じさせた。

 対面に座る男は私に三つの注意事項を授けた。


 一つ、ソレが来たら声をあげない事。

 二つ、ソレから何も受け取らない事。

 三つ、焚き火の炎だけを見て、他には目を向けない事。

 

 この三つを守れば元の世界へと戻れる…らしい。

 ソレとは何か?を聞いたが、男は来たら分かる、もう喋るなと言ったきり焚き火の炎へと目を向けて黙ってしまった。もう、これ以上何も答える気はないらしい。その拒絶の姿勢からそう感じた私は、男に倣って焚き火を見つめた。


 それからどれくらいの時間が経ったのか。男を何度かチラ見してしまったが、それでも私は辛抱強く焚き火を見つめ、その時が訪れた。


 パチパチと炎の爆ぜる音に混じって、ズリズリと何かが這う音が聞こえ始めた。それはこちらへ向かってやってくる。男が言っていたソレとは、きっとこれなのだろうと私は確信する。

 私は気を引き締めて、炎をまっすぐに見つめた。

 やがて這う音は私の真後ろでピタリと止まり、私に声をかけてきた。


 「おや、珍しい。客人かな?」

 静かな、優しそうな声の呼びかけに、私は答えない。


 「ふむ?どうやら大変御疲れのご様子。もてなしをしなくてはね」

 カランコロンとコップに氷が落とされ、そこに炭酸水らしきものが注がれ、シュワシュワとした清涼な音が耳に届く。

 「さぁ、これをどうぞ。冷たくて美味しいジュースだよ」

 視界の端に、氷の入ったとても美味しそうな透明の炭酸ジュースが置かれた。

 私は途端に喉の渇きを覚えたが、男の言いつけを守りジュースを手に取る事はしなかった。


 「ほぅ、随分と我侭な客人だねぇ?それとも、もてなしが足りないのかな?」

 ソレは私の視界の端に、次々と色んなものを出していった。

 札束、可愛い子猫、食べたいと思っていた料理、流行の服、最新家電。

 欲しいと思っていたもの全てがどんどん出てくる。

 けれど私は男の言いつけを守り、焚き火の炎を見つめ続ける。


 「おいおいおい、随分と我慢強いじゃないか」

 ソレの声音が優しいものから、イライラとして粗野なものへと変わる。

 「舐めてんのか?あぁ!?」

 背後からのがなり立てる声に、私の身体がびくっと反応してしまった。

 大丈夫、まだ声は出していない。私は平静を装って両手で口を押さえ、焚き火の炎をしっかりと見つめた。炎が勢いを増し、私を勇気づけてくれる。


 ソレが私の背後で、私を罵る。ひどい言葉を投げつけ、暴力を振るってやると脅し、時には猫撫で声でおもねり、それが叶わないとなると大声を出して威嚇する。

 私はソレを無視して炎を見続けた。炎の勢いがどんどん増し、私の集中力も増していく。

 炎の勢いが増すごとに、ソレの存在が私の中で小さくなっていき、ついには何を言っているのか分からなくなり、やがて声も存在も消失した。

 私はそれでも炎を見続けた。


 「…ま。お…ま」

 女性の声が聞こえる。


 「お客様?お客様ぁ?」

 とんとんと肩を叩かれる。いつの間にか焚き火は消え、コーヒーショップに戻ってきているようだった。

 それでも私は注意深く、口に手を当てたままでいた。


 「コーヒーお持ちしましたが、大丈夫ですかぁ?」

 目の前には確かにお代わりにコーヒーがあった。女性店員らしき人に、大きく何度も首を縦にふって返事を返す。女性店員は面倒臭くなったのか、ため息をついてその場から去っていった。


 私はようやくほっとして、手を外して息をつく。どうやら本当に戻ってこれたみたいだ。もしかしたら白昼夢というものを見たのかもしれない。

 ガラス窓の先、銀色のひょろっとした柱時計の時間は午後4時半を少し過ぎたところで、それ程時間も経っていない様子。


 私はお代わりのコーヒーに口をつける気にはなれず、店をでる事にした。

 荷物をとって席を立つと違和感があり、自分が靴を履いていないことに気付く。

 そういえば靴を投げ捨てたんだったなと思い当たり、苦笑して気にせずレジへと向かった。


 レジで先程の女性店員に会計をしてもらい、怪訝な顔をされながらも何も言われずに見送られる。

 私はその足で、新しい靴を買い求めに靴屋へと向かうのだった。

 

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