第弐章 屋敷(7)
五
「南瓜も切れないだなんて!」
台所から次郎の嫁が笑う声が聞こえた。
怒られているのは小雪だ。手元には包丁が刺さったままの南瓜がぼんと置かれている。包丁を入れるだけ入れてぬけなくなってしまったようだ。
次郎の嫁はそんな小雪を押しのけると「どれ、私が料理する」と豪語した
それを女中が止めようとするが、気の強い彼女はそれを許さなかった。
「酷いわ。私が料理できないと思ってらっしゃるのかしら?」
「いいえ。奥様は待っていてください。長旅でお疲れでしょう?」
「こんな料理の仕方をしているなら私はきっと二日も待つようね!」
そんな騒がしい声を聞きながら小鳥遊はため息をこぼした。
「どこも喧嘩しよる」
雑草除去の報告をしようとしたのがそれはどうもできそうにない。それは一緒についてきた男二人も同様だ。
「女の戦場ですな」
「しばらく待ちましょう」
そうしてすごすごと先ほど来た道を通る。
ふと家から離れたところに犬小屋を見つけて小鳥遊は立ち止まった。
犬小屋は二つあり、その片方には大きな黒い犬が寝ている。しかし、こちらに気がついたのか、のっそりとその身を起こした。
「犬?」
犬好きな小鳥遊は嬉しそうに呟く。
「えぇ、稲田は犬を飼育しています。昔は狐やら熊が出たので狩猟用に」
「若旦那がいじめていた犬ですか?」
「それとはまた別ですね。前の犬はとうの昔に死んじまったんで」
茂はそう言って悲しそうな目をした。
「ほにほに。世話してるのは……」
「インカイが世話してますよ」
だから獣臭かったのかと口が裂けても言えないだろう。好き好んで汚らわしい格好をする人間などいない。
「見てきてもいいですか? 犬が好きで」
「いいですよ。けれど、インカイには慣れていますが、何せ狩猟犬なので気をつけてくださいね」
そう釘を刺され小鳥遊は頷いた。
二人がいなくなったことを確認してから、小鳥遊は「よしよし」などと言いながら犬に近寄る。
犬は最初こそ四肢を踏ん張り威嚇をしていたが、突然どこか落ち着きなさそうにくるくると周り、そして犬小屋へと帰って行った。
相当なことがない限り吠えるなと躾されているのだろう。それ以上、犬が何か行動を起こすということはなかった。
「この家について調べているのですか?」
不意に声が聞こえて小鳥遊は飛び上がった。そこには突っ立っているインカイがいる。
「ど、どういてそう思うがよ」
驚かされたことにイライラしながら小鳥遊がそういえば、イヌカイははっとしてすぐに体を縮こませた。
「ご、ごめんなさい。うろうろされているので……」
「やることがないんですよ……。そこで犬を見つけたのでつい」
小鳥遊はそう言って二つの犬小屋を見る。
黒い犬が入っているからだろうクロと書かれた犬小屋の隣にはシロと書かれた住人のいない小屋がある。
「犬小屋が二つあるけれど、もう一頭いないのですか?」
「……。殺されました」
イヌカイの言葉に小鳥遊は「そうか」と低く零した。狩猟犬は狩る側だけではない、場合によっては狩られる側に立たされてしまう。
「賢い犬ですね。飼い主であるあなたが来たら家に戻った。ボクに吠えるなと指示したのですか?」
インカイは「えぇ」と答えてから、そして黙り込んだ。
「……もし、お時間があるならば、ここから見える家に行ってみてください。小説の題材になるものがあります」
インカイが指を刺したのは山の中腹にある小さく見える家だ。
「そこに何があるんですかい?」
「行ってみてください」
どこか拒絶を許さぬ物言いに小鳥遊はそれ以上尋ねず、「とりあえず三郎さんにお暇をいだけるか聞いてみます」とだけ答えた。