第弐章 屋敷(6)
四
小雪は去ったと思ったら、今度はまた一人男がやってきた。
「嗚呼、俺がやるのに働かせてすみません」
徳峰よりも背の低い小柄な男は三郎と同じ歳くらいだろうか。日に焼けた肌は健康そのもので、にかりと笑う彼の歯は数本欠けている。
「紹介しておこうか。これは俺の仲間で茂さん。茂さん、こちらは三郎さんがつれてきた小鳥遊さん」
徳峰に紹介された二人はお互いに頭を下げる。
「やります、やりますよう」
「気にしないでください。大体こんな広い庭を少人数でやるのは大変でしょう」
小鳥遊がそう言い徳峰がそれに乗っかると茂はさらに申し訳なさそうに頭をさげた。
「でも、あんた今日非番じゃないのかい?」
「若旦那が言うので」
雑草を抜きながら茂が言うので小鳥遊は深くため息をつく。
「あがな態度でついてくる女などいやーせん」
小雪の姿が見えなくなった頃、ようやく小鳥遊は吐き捨てるように言った。小鳥遊の本性が垣間見れた徳峰はさらにくっくと笑い「男だってついていきませんよ」と言った。
「若旦那様には気をつけてください。ご兄弟が帰ってきて機嫌が悪い。一人だけ未婚なのですよ」
「いつもあんな調子なんですか?」
「昔から」
声を潜めて茂は言った。小雪の時もそうだが、聞かれたら素直に答えるあたり相当鬱憤がたまっているようだった。
「子供の時から、ここで飼ってる犬やインカイをいじめるのが好きで好きで」
「インカイさん……彼は何かしたんですか?」
「インカイは特殊なんですよ。あれは子供の頃からいるって話で、いつだって打たれてて……」
どこか哀れんだ様子で徳峰は言った。その隣の茂もどこかいづらそうに頷いている。
小鳥遊がそれはどうしてと問う前に今度はまた違う声が聞こえた。
「徳峰さん、こんにちは。こんな暑い中、精が出ることで」
「あぁ、二郎さん。ようこそお戻りになられて」
徳峰は立ち上がり、つられて二人も立ち上がると夫婦に頭を下げる。頭を下げながらどうもこいつらは気に食わないと小鳥遊は顔を歪めた。
二郎はタバコを常に加えており、ぷかぷかと黒い煙を吐いている。丁寧に整えられた髪と髭からは知性と品性そして神経質さが窺えた。
隣にいる女は彼の嫁だろう。「使用人に挨拶はいらないんじゃないの?」と旦那を小突きながらそれでも媚びた声で尋ねている。
そんな中、二郎は小鳥遊に気がつくと「はて」と首を傾げた。
「あなたは?」
「三郎さんの使用人でございまして……」
と、小鳥遊が言うと二郎は再度髭を撫でながら笑った。
「”日雇の”だろう? いいよ、事情は知っているさ。私も使用人をつけるのは金がもったいないと思っているタチでね」
そうは言っているが、その隣には荷物をたくさん抱えた老婆が立っている。
「これは私の幼少の頃から世話になっている梅だ。彼女は使用人なんかではないよ」
小鳥遊の心を見透かしたかのように二郎が言った。梅は「そんなそんな」とまるまった腰をさらに丸めて頭を下げる。
その隣で二郎の妻が微笑んだ。
微笑こそしているが、塗りたくった化粧と釣り上がった目元から気の強い女だと小鳥遊は見当つける。それに先ほどの発言を忘れたわけではない。
「それでは、私はこれで。部屋に戻って書類の整理をしなくちゃいけないのさ。あの病気を今度こそ治癒しなければ」
二郎はわざとらしくそう言った。本当はその病気はなんなんだとか、あなたはお医者様ですかなどと質問を待っていたかもしれない。
誰も問わないのを見て彼は少し口を曲げたあと、「ではね」と手をひらひらと動かしながら三人に背を向ける。
それに妻はついて行き、梅は再度こちらを見て、一度会釈をしてからゆっくりと歩いて行った。
「次郎さんは、お医者先生をしているのですよ」
茂がそう言って草むしりをするために腕まくりをする。
「俺たちとは違う世界なんです。さっさと片付けてしまいましょう」
「そりゃ、そうだな。ん?」
視線を感じ、そちらに目をやるとそこにはこちらを伺っているインカイがいる。
「インカイさんにゃ。どうしたんだろう」
「インカイ……」
どこか冷たい目で茂と徳峰はインカイを見る。
その目にやられたのか、それとも覗きがばれてしまったことに恐怖を感じたのかインカイは今にも悲鳴をあげそうな表情でその場から立ち去った。