第拾章 曇天(1)
一
「さぞ、お辛い思いをしましたね」
話を聞き終えた椿は静かにそう溢した。
聞いていた初子は顔を青くさせたり泣きそうになったり、ころころと表情を変えていたが、今は神妙な顔つきで小鳥遊を見ているようだった。
「わしは平気やけんど、明子さんは心を病んで寝込んだち言う。この前、様子を見に行ったけんど、まだ伏せっちょったな……。そがな話しかできいで申し訳ないけんど、わしの仕事はこればっかりなのやよ」
小鳥遊はそう言って、気まずそうに頭を掻いた。
「いいえ、いいんですよ。お話をお聞かせくださり、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げる椿を見、それならよかったと小鳥遊は笑う。そして、一息ついたあとゆっくりと立ち上がった。
「長居するのは楽しいけんど、そろそろ日も暮れるき帰る。慣れちゅー思うが、話に引き込まれないようにしとーせね。お嬢さん方は優しいのやき」
「えぇ、承知しております。初子、お見送りを」
「いらんいらん。ほいたら、また」
小鳥遊はさっと立ち上がると手を振った。のしのしと体重の乗った足音が遠くにいったのを聞き終えて、椿は深くため息をつく。
二
名残惜しかったのは椿も同じだ。もう少し小鳥遊の話を聞いていたかった。その後数人に守りを渡し日課を終える。
小鳥遊に「話に引っ張られるな」と忠告されたが、椿には一つ気になって仕方がないことがあった。
話に聞いた家で乱暴に扱われた使用人が一家を殺す、ということに衝撃を受けていた。
稲田の悪行こそ忌まわしいことだが、それでも椿の身近には存在しない。だが、その問題は彼女の身に最も近い事柄だった。
五条の家はみなが温厚だ。誰も人を責めず、失敗を許し、笑い合っている。だが、それは椿の思い過ごしだとしたら。と考え、彼女は初子を見た。
「初子、貴女はずっと私の世話をしていて辛くはありませんか? 足が動かせない私の世話は大変でしょう?」
少しも動かせない足を撫でながら椿は問う。幼少の頃、ひどい転び方をしたという二つの脚には同じところに痛々しい切り傷がある。
「いいえ、ありがたいことに私は幸せなのですよ。お嬢さんは確かに特別ですが、それさえも愛おしいと思っているんです」
柔らかな微笑みは椿にとって太陽に思えた。
「ねぇ、お嬢さん。お嬢さんはいろんな話を聞かれますね。その中には救いようのない悲しい話が多いです。だからこそ、お嬢さんは幸せでいましょうね」
初子はまっすぐ椿を見つめる。黒い瞳は涙で少し揺れていたが、それでもその光は十分に強さを持っている。
「えぇ、小鳥遊様も引き込まれるなと仰っていましたからね」
「いいえ、それだけではないのですよ。お嬢さん」
初子はそう言って愁を帯びる女主人を見つめた。




