第肆章 夕餉(2)
二
「言い返しはせんのか。胸糞悪い」
隣の部屋で控えていた小鳥遊はそう溢しながらも庭に出た。
夜空には満点の星が輝いているかと思えば雲でそれは見えない。それが少しでも日中に出てくれはあの強い日差しから肌は守られると言うのに、どうも晴天ばかりが続いている。
ふと、視線の端で何かが動き、小鳥遊は身構えた。
そこには不思議な動くものがいる。人、そして子供のように思えたのは四肢と思われる部位がバタバタと動いているからだ。
螢でもいるのだろうか、けれどその光はここからでは見ることはできない。
そこまで考えて小鳥遊は首を傾げる。
どうしてこの暗闇の中で人を見つけることができたのだろう。日は暮れ、手元に光はない。光源といえば家から差し込む弱いランプくらいだろう。
そう考えて昼にインカイから聞いたイヌコについて思い出す。
遠くにいるのに人の子とわかる、イヌコ。それはともに暮らしたいとなり変わる。
「わしは養えん」
小鳥遊はそう呟いて五条椿からもらった二つ目のお守りをきつく握り締めた。午後に行ったボロ家の時とは違い、お守りに熱は帯びていない。
「どうしたんですか、小鳥遊さん」
小雪と徳峰と茂が来てくれて小鳥遊はようやっとお守りから手を離す。
「どうも、怖い雰囲気にあてられてしまったようで」
と、柄にもないことを言えば三人は気まずそうに笑った。それがもはや普通のことなのだろう。
台所では使った料理器具を片付け終えた梅を含めた三人の女も戻ってきてのんびりと主人たちの食事が終わるのを待っている。
不意に悲鳴が聞こえた。
「どうしたんだ!」
と部屋に行けばそこには血を吐いて倒れている二郎の妻の姿があった。
二郎が素早く妻の首筋に手を触れそして悟ったのだろう見る見るうちに顔を蒼くし、首を横に振った。
「警察を……」
と言った小鳥遊に勝美は「ならん」と叫んだ。そうしてから「料理を作ったのは誰だ!」と叫んだ。
顔を蒼くしながら手をあげたのは小雪、梅、二人の女中、そして三郎の妻だった。
「それと、私の妻もか」
脱力しながら二郎は言った。その様子を見ながら二郎が「これはひでぇ、人死だ! 人死だ!」と年甲斐もなくどこか嬉しそうに騒いでいた。
三
二郎の妻は顔を歪めたまま座敷に寝かされた。
その隣にいる二郎も相当こたえたのだろう、何度も嘔吐しふらふらしながら部屋に戻る。
「さぞ、苦しかったろうに」
小雪は泣きながらその顔に白い布をかぶせる。
「おいおーい。思ってもねぇことを言っちゃいけねぇよ。小雪ちゃん」
一郎がそう言ったが、自身の父親に睨まれてすぐに背を丸めた。
「犯人はこの中にいるのだろうよ」
と言ったのは二郎だ。
「ですが、動機は?」
小鳥遊の言葉に皆が彼を見た。思いもよらぬところで注目を浴びた小鳥遊は驚きながらも一つ咳払いをした。
「だって、奥方は何も悪いことをしていませんよ。恨みを買うことなんて……しないでしょう?」
彼の問いかけに頷く者も首を横にふる者もいなかった。
「呪いだ!」
と叫んだのは一郎だ。彼はどこか嬉しげに目を輝かせながら言った。
「おめェ、言ったろう? ニエが必要だって! イヌコによう、噛まれた。だから今度は犬のようになるのさ」
「それは」
なぜ、と問う前に二郎が一郎を殴っていた。
乱闘を止めたのは父親の勝美であった。彼が一言「よさないか」と、まるで熊のように吠えると二人の男は殴るのをやめた。
「恥ずかしいとは思わないのか」
勝美は再度叫ぶと怒りで顔を真っ赤にしたままどかりと座った。
その後ろには掛軸と刀が置かれており、まるで武将のようだと小鳥遊は思う。薄い髪、大きな体格、そして意思の強い瞳はいるだけでも威圧感を与える。
「他言無用だ。いいな」
「人が死んでいますよ」
それでも口答えする小鳥遊に勝美は睨み付ける。
「これは稲田で解決するのだ。余所者はひっこんでろ。言ったらどうなるかわかっているだろうな」
その威圧に今度こそ小鳥遊も口が聞けなかった。
「明日、山に埋めるぞ」
勝美はそれだけ言うと全員を睨みつけ、そして誰も反対するものがいないとわかるとのっそりと立ち上がり寝室へと向かった。