第壱章 遠征(1)
一
梅雨も開け、外は雲ひとつない。
だというのに、五条邸はいつもひんやりとしており、それはどこか墓所にも近い薄暗い雰囲気を抱かせた。
「外はどうなっていますか?」
この部屋の主人、五条 椿が尋ねる。
腰まで伸びた艶のある黒髪。その髪は光に透かせば青にも見える。
一度も外に出されることが許されないため、透き通るような、一見病人にも思える肌。澄んだ琥珀の瞳はいつだっていろんな人間を惹きつける。
「暑い。まっこと暑い。執筆に集中できん」
答えるのは小鳥遊 辰巳と名乗る小説家だ。
といってもまだ書生の身であり、今は先生の元で暮らしている。そんな彼はだらしなく投げ足のまま椿から出された茶をすする。
「小鳥遊様の原稿はまだ頂けておりませんね」
「えいのが出来たら渡す言うちょる」
「そう仰られてもう何年経つでしょうか」
意地悪く問う椿に小鳥遊はボリボリと頭をかいた。雪のように不毛が飛び、廊下にいる女が目をギョッとする。
「なにか、お話をしてくださいませんか?」
「わしの裏稼業を知っちょって聞くのやか?」
椿は「えぇ、もちろん」と答えて近くにあった小箱から小さなお守りを出す。
「私のお守りは効くでしょう? その筋の人には好まれているのですよ。あなたの仕事の手伝いにもなったはずです」
香が少しついたお守りはこの界隈のごく一部に浸透していた。
椿の守りは強い縁切り守りだ。
魔との縁切り、厄との縁切り。
そんなお守りを買った人間は大きな怪我など一つもなく無事に帰ってくる。小鳥遊も利用者の一人だ。小心者の彼はお守りがなければ裏仕事ができないと騒ぐまでに盲信している。
「噂で聞きましたよ。机を叩いて死者を呼ぶ呪いが流行っているとか……。それで数人お守りを買いに来ましたね」
「ほにほに。わしも一度見せてもろうた。ターニングテーブルというらしい。やけんど、あれはイカサマやろう」
「イカサマ?」
「最初から『或る』と信じ込んだら『或る』んちや」