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サシコムモノ

作者: アザミ
掲載日:2020/06/18

 選んだ訳ではない。これしかなかった。こうなる運命だった。誰かが悪い訳じゃない。仕方がないだけ。そう簡単には救いは現れない。

 是も非もない……

 薄れていく意識の中で最後にそう思った。


「あれ?」と思った。

 もしかしたら、声に出したかもしれない。

 気がつくと、白い光の中にいた。前を見ても、左右を見ても白一色だった。

 いや、そもそも見えていると言えるのだろうか?

 この白はどこまで続いているのか、自分とどの位離れているのか? それすらもわからない濃淡の無い白一色の中にいた。


 もう一度左右を見渡す。

 左右を見渡す?


 その時、自分の目や顔の感覚が無い事に気づく。手や足の感覚が無い事に気づく。体の全ての感覚が無い事に気がついた。


 見渡しているのか?

 見渡す動作をしているのか?


 上下も左右もわからない白い光の中で、自分の体も見えず感覚も無い。まるで白い空気になったようだ。だがそれでも意識だけはあった。


「ここはどこだ? 何が起こった?」


 戸惑いは一瞬のうちに不安に、不安は恐怖へと変わる。


「なんだっけ? どうしたんだっけ?」


 必死に考えた。

 思い出そうとした。

 思い出そうとした。

 そして……思い出した。


「あ、俺、死んだんだ……」


 思わず声に出して言ってしまった。

 でもそのおかげか、不思議なくらいそれまでの恐怖が無くなり落ち着いてきた。

 そうだ、死んだんだ。死んだんだった。


『後悔しているのか?』


 突然、誰かの声が聞こえた。

 それは聞こえたというよりも、この白一色の空間全体に響く、感じる声だった。

 突然の声に、なぜか驚かなかった。自分の死を受け入れたからか、それとも何かが麻痺しているのか。なぜか声の主にも、誰なのか、ここはどこなのか、聞こうとも思わなかった。


「……いや」


 少し考え、俺はそう応えた。

 選んだ訳ではないが、これしかなかった。こうなるしかなかった……

 人は死の直前に昔の事を走馬灯のように思い出すと聞くが、何も思い出さなかった。自分自身の事、家族の事、たくさん、たくさんあった筈なのに。今も思い出そうとしたが、やはり思い出せない。何を思い出せばいいのかがわからない。

 覚えていない事の方が多いからなのか、それとも思い出は風化し無くなっていくものだからなのか。


『見てみるか?』


 その心情を察してか、また声が響いた。


「なにを? 昔の事?」


 俺はそう答えた。

 お互いの声が響き渡るが、もしかしたらそう思い込んでいるだけなのかもしれない。

 白一色の空間の中で、意識と意識の対話。いわばテレパシーのようなもの。

 見てみたい、そう思った時周りの白は消えていた。




 いつの間にか風景が変わっていた。ここはどこかの教室のようだ。俺はその教室の真ん中にいた。驚きながら周りを見渡す。小さい子供らが元気に走り回っていた。キュッキュッ、キュッキュッと鳴るズック靴。きしむ床板。

 1人の男の子が俺に向かって走ってくる。慌てて避けようとした時、やはり自分の体が無い事に気付いた。男の子は俺をすり抜けるように走り回っている。

 視線を動かす事は出来た。音も聞こえた。視覚と聴覚だけが残っているようだ。もしかしたら幽霊とはこういうものなのかもしれない。ここは何処で何故ここにいるのかよりも、自分の体が無い事が不思議だった。

 もう一度周りを見渡す。

 20人程いる子供達。なぜかそれぞれ見覚えがあった。


「娘の幼稚園?」


 いや違う。こんなに古くは無い。でも確かに見覚えがあった。

 元気に笑いながら走り回る子供達。その中の1人の男の子に目がいく。確かに見覚えがあった。


「何処だっけここは? 誰だこの子は?」


 もう一度周りを見渡し、もう一度男の子を見る。

 そしてわかった。


「あ、俺だ!」


 その男の子は俺だった。俺の子供の頃だった。そしてここは俺が子供の頃通っていた幼稚園だった。微かに記憶に残っていた。

 小さな俺は無邪気に笑い、走り回っている。なんの悩みも心配事もないのだろう。


 俺の小さい時って、こうだったんだ……

 忘れていたと言うよりも、覚えていなかった。




 周りの風景が変わった。

 ここが何処なのかはすぐにわかった。

 俺の通っていた小学校だった。赤い屋根、くすんだねずみ色のコンクリート、正面中央の大きな丸い時計、田舎にある静かな静かな2階建の小学校。

 俺は校門の前にいた。

 子供達が校門をくぐり、俺の前を通り過ぎていく。

 どうやら下校の時間帯のようだ。

 ランドセルを揺らしながら次々と校門をくぐり抜けて来る。今と違い、黒と赤しか無い時代だった。

 1人の少年が校門から少し離れたところで、なにやら大人の女性に怒られていた。

 クラスメートの女の子をいじめて、その子の母親に怒られていたのだ。

 少しからかい、イタズラをしただけだったが、相手にとっては少しではなかったようだった。学校から帰るところを待ち伏せされていた。

 多分、先生以外で初めて他人の大人に怒られた時だと思う。今まで他人に対しての思いやりを知らなかったヤンチャな子供が、ガツンと衝撃を伴う程の怖さを知った時だった。

 半ベソかきながら謝っていた少年……

 すぐに俺だとわかった。顔でもわかるが、なにより、この時の事を覚えていた。もしかしたら1番印象に残っていた思い出なのかもしれない。




 また風景が変わった。

 今度は体育館の中だった。

 体育の授業中だった。みんなの前に立たされている俺がいた。みんなから笑われていた。

 言う事をきかない俺は、他の生徒が失敗すると大声で笑い、からかい、馬鹿にして騒いでいた。そのお返しに失敗した俺をみんなの前に立たせ、見せしめとしてみんなに笑わせていたのだった。

 悔しいのか恥ずかしいのか、ギュッとジャージのズボンを握りうつむく俺がいた。

 薄っすらと覚えていた。


 酷い事をするものだ。大人も俺も……




 風景が変わる。

 田植え前の水の張られた田んぼ。土色ではなく陽光を反射し白く光り輝いている。

 その農道を自転車で走る1人の中学生がいた。俺だった。

 俺はそれを上空から眺めていた。

 なぜ上空から眺める事が出来るのか、なぜこの少年が自分だとわかったのか、気にもならなかった。

 学校からの帰り道なのか、おとなしい少年だった。それまでの反動か内気な少年になっていた。勉強も部活も全てが普通の少年だった。たいした思い出もなかった。

 もし家庭環境が違っていたら、結果も違っていたのかもしれない。なんとなくそう思いながら、ただ黙って遠ざかる自転車を眺めていた。




 風景が変わる。

 所々に削られたキズのある机、その上に開かれたノート。黒板と教科書に交互に目をやる少年。高校生の俺だった。体型は今とほとんど変わらず、髪が短く髭もない。顔のシワだって無い。思わず、若いなぁと感心してしまう。

 眠そうな目で授業が終わるのを待っている。

 この時、ほぼ俺が出来上がっていたのではないか。

 計画性が無くその場しのぎ。意思が弱く周りばかり気にしている。協調性という名の流される性格。良い奴と言えば良い奴だった。でも、ただそれだけだった。

 この性格により、就職活動もせず友達に誘われるまま近くの三流大学を受験。合格したものの貴重な大学生活をバイトと遊びで費やし無駄に過ごす。

 もし高校を卒業後、大学に行かず就職していたならば、どうなっていたであろうか?

 もし大学生活の4年間を、目標を持ち計画をたて有意義に過ごしていたならば、どうなっていたであろうか?

 学生服姿の俺を見ながら、ふとそんな事を考えてしまう。


『見てみたいか?』


 俺の思いが分かるのか、その声は言った。


「なにを?」


『今まで君が見てきたのは、君の過去ではあるが君の世界の過去ではない』


 俺にはその言葉の意味が分からなかった。

 それを察してか、声はさらに続ける。


『今、君が存在する世界、つまり君のいた世界には過去も未来も存在しない。有るのは現在のみだ。過ぎた過去は消滅し、まだ訪れていない未来はすなわち存在していない。過去や未来が有るのは並行世界だけ。君が見てきた君の過去は、ほぼ同じ内容の並行世界の今現在なのだ』


 その言葉と共に周りの風景がまた変わった。




 そこは暗い部屋の中だった。

 カーテンも閉められた暗い部屋の中に男が1人いた。

 俺だった。

 ソファーに浅く座り、テーブルの上の缶ビールを手に取り呑んでは又置く。

 もしかしたら夜なのかもしれない。テレビ画面からこぼれる明かりだけが俺を照らしていた。


『これは、高校を卒業しそのまま就職した世界の君だ』


 部屋の隅で見ている俺に、声はそう語りかけてきた。そして続ける。


『この世界の君は、高校の進路相談室で会社を選び就職をした。25歳の時、後輩の女性と社内結婚。君の奥さんは妊娠と共に退職。君は真面目に働き、ゆっくりとではあるが会社での地位も上がっていった。皆に慕われていたと言っても良い。だがある時、君の部下が不祥事を起こす。君はその責任を取り会社を辞める事になった』


 自分の知らない自分が、知らない世界で知らない人生を送っている。いきなり並行世界と言われても理解し難いものだ。でもたしかに目の前に俺がいた。見たことのない俺だったが。


「部下の責任を取るとは俺らしい」


 思わずそう呟いた。知らない自分でも弁護したかったし認めたかった。会社を辞める事になったのは残念だが、責任を取った事は誉めてもいいのではないか。この世界の俺は頑張って生きているじゃないか。そう思った。

 だが声は違った。


『君は辞める事で筋を通したと思っているだろう。だが果たしてそうだろうか? なぜ未然に防げなかった? 周りに気を遣い波風立たぬ様自分を犠牲にしてきた君は、それを優しさだと言い聞かせてきた。それは本当に優しさなのだろうか? 周りを傷つけないようにしてきた君は、優しいのではない弱いのだ。いや、怖いのだ。周りから嫌われるのが怖くて常に気を遣っていた。嫌われない様に自分を押し殺していたのだ。言うべき事も言わず、他人の内面も見てやれなかった。関わりたくないのだ。だから部下を正しく育てる事も指導する事も出来ていなかった。こうなったのは君にも責任があるのだ。君は自分が悪く思われたくないから辞めたのだ。自分を良く見せようとして自分を犠牲にしただけなのだ。筋を通した訳ではない。逃げただけだ』


 厳しい声だった。

 もちろん認めはしない。ここは俺の世界ではない。これは本当の俺ではないのだから。


『結果、君は奥さんと別れ子供とも逢えなくなった。その姿がこれだ』


 俺の目の前にいる俺は、その瞳に見てもいないテレビ画面を映し、無表情のままただ黙って酒を呑んでいた。

 惨めで情けなく、そして可哀想だった。この世界の俺も結局は同じだった……


『君は大学時代もっと真面目に勉強しておけば良かったと思っているかもしれない。だがそれは不可能だ。君はその頃、もう今の君になっていた。例えやり直したとしても、君はまた同じように生き、同じような事をする。君は周りの環境が、この世の中の流れが君をそうさせた。君は自分で選んだのではない、それしか無かったと思っているのではないか? だとしたら、それは違う。全て君が選択したのだ。その選択の結果がそれぞれの世界なのだ。どの世界にいても、君そのものが変わらない限り、その内容もその結果もほとんど変わらない。他の世界も見てみるか? ギャンブルで破産する君。家族の反対を押し切り商売を始めるが失敗する君。他にももっとある、全ては君がーー』


「もういい! もう、たくさんだ。もう、分かったから……」


 分かっている。

 分かっているつもりだ。

 でも、もうどうしようもない。どうすれば良いのか分からなかった。


 誰にだって欠点はある。間違いだって犯す。それを責めるだけで誰も助けてはくれない。責めるよりも助けて欲しい。力を貸して欲しい。 救って欲しい。

 間違いは正さなくてはならない。

 罪を犯したら罰せられるのもわかる。

 でも、その罰に何かしらの想いが、救いが込められていなければ、その罰だって罪ではないのか?


 そう言いたかった。

 でも言えなかった。


 重い、重い沈黙が続いた。

 いつのまにか白い世界に戻っていた。


「なあ、あれ、無かった事に出来ないかな?

俺、死んだんだよね?  無かった事に出来ないかな?」


 そう思った。


『君の過去を、起きた事を変える事は出来ない。君の世界の過去は過ぎ去りもう無くなった世界。君は自分の世界の過去には行けない。別の世界の過去に行き、別の選択肢を選んだとしても、それは新たな並行世界が生まれるだけで、君の世界が変わる訳ではない。もうどうしようもない。ましてや君は、君の世界以外で存在する事も出来ない。別の世界の未来や過去を見る事しか出来ないのだ』


 つまり、もうどうする事も出来ない。

 わかっていた筈なのに、いつの間にか未練と後悔が生まれていた。

 静かで重い時間が過ぎていく。


『そろそろ時間だ。あまりここには居られない』


 その言葉により忘れかけていた「あきらめ」という名の感情が再び呼び起こされていく。


「未来も見る事は出来るんだよね? じゃあ、最後に結婚式を……娘の花嫁姿を見せてくれないか?」


 もうどうしようもない俺にとって、それが最期の願いだった。

 声は何も言わなかった。ただ、何かが頷いてくれた気がした。

 そして風景が変わっていった。




 白く、そして中央に向かって高くなっていく天井。

 両側の大きな窓から入り込む日差しは、大理石の床に反射し辺りを一層照らしだしていた。

 ここは何処かのチャペルのようだ。俺はその真ん中にいた。

 白い大理石のバージンロード。両側の席に座る人達の視線は、間もなく開かれるであろう後方の扉に集まっていた。。

 そしてオルガンの演奏が始まる。

 その大きな扉はゆっくりと開かれた。

 1人の女性が立っていた。白いウエディングドレス姿で。

 俺の娘だった。

 すぐわかった。面影があった。

 ドレスに負けないくらい白い肌。でも化粧のせいかそれとも照れているからか、頬だけが少し赤みを帯びていた。

 体型だけは俺に似たのかまずまずの身長だった。


 大きくなって……


 綺麗になって……


 雰囲気はお母さんにそっくりだった。

 俺が知っている娘は中学生だった。

 本当なら俺と歩くはずだったバージンロード。娘は1人で歩き始める。

 怒っているだろうか? 恨んでいるだろうか? それとも悲しんでいるだろうか? いや、もしかしたらすでにそんな想いする無いのかもしれない……

 俺はこちらに向かって歩いて来る娘をじっと見ていた。

 娘と目が合った。

 俺を見て少し照れたように微笑んでくれた。

 ドキッとしたがそれが違う事はすぐわかった。それは俺の後ろに立ち彼女を待っている新郎に向けたものだった。


 彼女はゆっくりと近づいて来る。

 そして、俺を通り過ぎていく……


 感触は無かった。やはり触れる事は出来ないのだ。

 彼女が俺を通り過ぎた後、俺も後ろを振り返る。

 彼女の正面に立つ男性。背が高く痩せ型で優しそうな人だ。彼女が選んだ男性はなんとなく俺に似ている気がした。父親としては少し複雑な気持ちだ。彼もまた少し照れたような表情をしていた。

 新郎新婦に注がれる人々の祝福の視線。それが嬉しくもあり、そして寂しくもあった。

 俺は周りを見渡し、探した。

 そして見つけた。

 俺の妻がいた。


 「少し痩せたな……」


 シワが目立つ様になった。

 花嫁に向けられたその目は、他の人達とは少し違っていた。溢れる涙を白いハンカチで隠す。それはなんの涙なのだろうか。嬉しいからか、悲しいからか、娘に向けられたものなのか、それともこの場にいない俺に向けられたものなのだろうか。


 いつの間か俺は、式場の1番後ろから見ていた。


「生まれる前はなぜか男の子だと思っていた。男の子が欲しかったからだろうか。だから女の子だった場合の名前を考えていなかった。」


 誰に聞かせる訳でもないが、なぜか言葉にしたかった。


「でもいざ生まれると、嬉しかった。本当に嬉しかった。小さい、猿の赤ちゃんみたいだってはしゃいで喜んだ」


『生活は一変した』


 声が返してくれた。


「そう、一変した。何処かへ出掛ける時はいつも彼女が最優先だった。だから、オムツ交換出来る場所があるか? 授乳室があるか? 出かける先はそれで決まった」


『よく泣く子だった』


「ああ、おんぶしてあやしながら晩ご飯を食べた事もあった」


『いつも君と一緒だった』


「何処へ行くのも俺とだった。幼稚園の遠足も俺と行った。夜はお母さんとではなく俺と寝てた」


『臆病な子だった』


「滑り台が怖くて1人で滑る事が出来なかった。だから休みの日は朝早くから公園に練習に出かけた」


『小学校の迎えに遅れた事覚えてるか?』


「ああ、仕事が長引いて、冬の寒い中俺が来るのを校門でずっと待ってた。迎えに来た俺を見て、パパ遅い! だってさ。赤いほっぺが可愛かった。申し訳なさと愛しさと両方を感じていた」


『結構覚えているじゃないか』


 その言葉は俺の無いはずの胸に突き刺さった。そうだ、いろんな事を覚えていた。もっともっと話したいとさえ思った。思い出は風化するのではない。同化するのだ。いろんな思い出が同化して俺を作っていたのだ。


『本当にそろそろ時間だ。最後に聞かせて欲しい。もし生まれ変われるとしたら、また彼女達とやり直したいか?』


 今までで1番優しい声だった。


「……いや、もういいよ」


 少し考えそう答え、そして付け加えた。


「もし生まれ変われるなら、今度こそは彼女達に幸せになって欲しい。俺とでは無理だ。もうこれ以上の迷惑はかけられない」


 幸せそうな笑顔の娘。

 優しく微笑む妻。

 俺のいない世界できっと2人は苦労したに違いない。


「どこかの世界では、この結婚式に参加している俺はいるのかな。妻の隣で最愛の娘を祝っている俺はいるのかな……」


『君の選択肢の数だけ世界は存在する。きっとあるだろう。あたたかい人生を送っている世界は』


「そっか……それならいい。もし生まれ変われるなら、今度は、歌が上手くなりたいな。運動ももう少し出来る様になりたい。勉強だってもっと頑張る」


 俺の視線の先には、お互いに照れながら見つめ合う新郎と新婦、それを嬉しそうに微笑みながら見守る妻がいた。

 でも、妻と娘はお互いの視線があった瞬間に涙を流し始めた。

 なぜ泣いている? 今1番幸せな時ではないか?

 そんな悲しそうな顔をしないで。もっと笑えって。

 そう思いながらも理由は想像出来た。

 いや、わかっていた。この場に俺がいないからだ。

やはり、俺の事を想っていてくれたのだ。

 その涙は俺の心揺さぶり目覚めさせてくれた。


「やっぱり生まれ変わりたい。そして……そして、俺はまた彼女と出逢いたい。また彼女に恋をして、告白する。仕事も頑張って、彼女と結婚をする。そして娘が生まれる。またあの子の父親になりたい。今度こそは夫として、父親として立派に責任を果たすんだ。必ず、必ず、そうするんだ」


 そうしたい……

 そうなりたい……

 本当にごめん。


 もっと真剣に考えるべきだった。もっと本気で行動するべきだった。そのうち何か変わると思っていた。そのうち何か良い事が起こると思っていた。いつも何かのせいにしてその場しのぎだった。俺が変わらなければならなかった。


 全て俺が悪かった。

 でも、もう遅い。

 全ての世界の俺の家族にごめん。

 全ての世界の俺にもっと頑張れ。

 そう思った。


 少しずつ周りの色が、世界が薄くなっていくのがわかった。

 いや、世界ではない、俺の意識が薄れていくのだ。

 もうこれでお別れなのだ。

 最後まで妻と娘を見ていよう。

 薄れていく意識の中で、そう思った。


『是も非もない』


 それが最後に聞いた声だった。

 なんか似ている。

 そう、俺の声に似ている。

 そう思ったのが最後の記憶だった……




「あれ?」っと思った。

 気がつくと、目の前は白だった。

 でもその白には模様があり、ここは白い光の中でもなかった。

 視界の両側に青が見えた。

 さっきまでとは違う……

 言葉にしなかったのは頭がハッキリとしていない所為もあるが、口に何か被せられていて動かせなかったからでもあった。

 何処だここは?

 ゆっくりと右側に顔を傾けてみる。

 青いカーテンが閉められていた。

 体を動かそうとした。

 体が重い。

 体が重い? 

 顔や手足の感覚があった。さっきまで無かった感覚が体全体に広がっていた。

 カーテンの向こう側から女性の声が聞こえた。誰かと話しているようだ。

 ここはさっきまでの場所とは違う。

 驚き慌てて起き上がろうとしたが、上手く体が動かなかった。

 ベッドが軋み音を立てる。

 ベッド?

 ベッドに寝ている?

 何かに気付いたのか話し声が止み、勢いよくカーテンが開けられた。

 俺は目だけを動かしそれを見た。

 誰かがそこに立っていた。

 看護師のようだ。

 その誰かが誰かの名前を読んでいる。

 きっと俺の名前だろう。

 誰かを呼ぶ声、複数の足音、ドアが開く音。更に開けられるカーテン、更に光を増す白。

 俺はただ正面の天井だけを見ていた。

 そして、小さく呟いた。


「ここはどの世界ですか……」

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