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資本主義が崩壊してゆくときのメカニズム

小室直樹『日本資本主義崩壊の論理』などからのまとめ。

「資本主義の精神」を失ったことにより衰亡してゆく、ソ連やイギリス、アメリカ、および日本経済崩壊のメカニズムについての解説。


現実を無視した高すぎる目標設定をして「目的合理性」を失い、計画的な経営ができなくなり破綻をきたしたソ連経済、中国経済、戦前の大日本帝国の経済、そして、金儲けのため資本主義の精神が腐敗し、「イギリス病」や「アメリカ病」を発症して衰えつつあるイギリスやアメリカの経済について。

◆ 資本主義が崩壊してゆくときのメカニズム




● 「資本主義の精神」の消失により、崩壊してゆく先進各国の資本主義


 小室直樹氏は、『日本資本主義崩壊の論理』の中において、「資本主義の精神」がないために、ソ連は消滅し、またアメリカやイギリスも、資本主義の精神が腐ったために、衰弱していっているという。


 そして日本も同様に、日本の場合は資本主義の精神が健全なものではなく「畸型きけい」だったために、いつまでたっても不完全なまま、いまや衰亡のときを迎えつつあるのだという。



・ 「資本主義の精神」を生み出した国に、近代資本主義は発生する


 ドイツのマックス・ヴェーバーがその著『プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神』の中で指摘した最も重要なことは、「宗教改革」のプロテスタントたちの手を通じ、一般人が誰でも、どのような職種でも、その仕事をすること、労働をすることによって、その労働行為が宗教上の「救済」になるという「資本主義の精神」の誕生だった。


 中世のカトリック教会では免罪符の発行など、人間が己の救済のために逆に「神を人間の召使い」であるかのように利用しようとする腐敗が進んだ。

 プトテスタントの特にカルヴァン派の人たちは、人間が自分たちだけの勝手な考えで"こうすれば死後に天国行きが決定される"と決めたような手段や方法で死後の救済が決められるようなことは断じてありえず、それは絶対者である神によって予めすべてが決められているのだとする「予定説」を確立するに至った。

 予定説においては、今自分たちが就いている職業も神によって決められた「天職」だということになり、以降、彼らにとって労働行為そのものが、神の御心に沿い、自身が死後において救済されるための修業も同然の行為となっていった。


 カルヴァン派では、「刹那的な感情による本能的享楽をなくし、秩序ある生活態度を持続させることを重視」し、節約を徹底した職業生活を送れば、その人が神によって救済を約束された「選ばれた者」である確信が与えられる、と説明されたという。


 ふつう宗教で、宗教上の救済を得るためには、俗世間から離れた場所でそれぞれ特別な修業が行われるが、キリスト教でも、宗教改革以前では修道院内の修道僧たちによって、それが行われているだけだった。

 彼らは他のことは何も考えず、ただ一心不乱に、神への奉仕となる日々の労働作業に邁進する「行動的禁欲」生活に明け暮れていた。

 彼ら修道僧たちによって行われていた「行動的禁欲」行動は、世俗の外部である教会で行われていたため「世俗外的禁欲」といったが、それがプロテスタントたちの登場によって、教会外の世俗の人々たちの間にまで「世俗内的禁欲」として広まり、そしてそれにより普通の一般人が日々行う労働行為が、そのまま修道院内における修業のようなものへと変わっていくこととなった。


 マックス・ヴェーバーは、この「行動的禁欲」が世俗化・一般化することによって、「労働」(経営者行動を含む)が救済を保証する宗教的行事となり、そしてそこに、「資本主義の精神」が生まれ、またこの精神によって、労働者と経営者が作り出され、近代資本主義が成立することになったのだと指摘する。


 日本においては、江戸時代に禅僧の鈴木正三が「何の事業も皆仏行なり」と主張し、本来の仏教では、出家して特別な修業をしなければ悟りを開くことはできないと言われていたものが、特別な修業など必要なく、ただ日常の労働を一心不乱に務めていれば、それで仏教の修業と変わらない効果が得られるのだと説いたことで、それまで世俗外の仏教寺院や道場内のみで行われていた「行動的禁欲」が、「世俗内的禁欲」として一般の庶民の間にまで広まるきっかけが生まれていた。

 また、他にも商人の石田梅岩が、彼は朱子学(儒教)を用いて、正三と同様の思想を広めたことで、より「労働そのものが尊い」という倫理観が「世俗内的禁欲」として浸透していくようになった。


 朱子学では「理気二元論」によって、宇宙万物の形成を、「理」(宇宙の根本原理)と「気」(物質を形成する原理)に分ける。

 また「性即理」という考えから、宇宙を貫く原理・法則・秩序と、人間を動かしている基本原理はつながっていて、両者は同じ原理で動いているとする。

 「理」は人間においては「性」となり、「気」は「情」となる。

 人間の本然の「性」は「性即理」の原理によってそのまま天理となり、それは、純粋至善の先天的道徳性(=「仁・義・礼・智・信」)となって現われる。

 ところが一方、「情」のほうは、その肉体性・感覚性のために、人欲を生じ、悪への傾斜を免れないという。

 そのため、人は修養によって人間の中の「気」にあたる「情」を清明にし、本然の性に復さなくてはならない(復性復初)と説く。

 

 石田梅岩は、「愚痴」や「驕り(虚栄心)」や「私案する心(作為する心)」などの感情に左右されない「素直・善なる本心」にこそ、宇宙の真理が存在するのだから、自己の「本心」こそが最も大事だと説き、当時の日本社会では欲深で卑しいとみなされていた商人も、「正直」(誠実さ、まごころ)な心で客と接して欲心を持たず、「倹約」(合理化)に励んで利益の最適化を図り、あとは一心不乱に「勤勉」(行動的禁欲)に励めば必ず栄えるようになり、商人に対する蔑視も解消されるという教えを広めた。


 また、当時の日本の朱子学では、江戸社会における士農工商の身分差別も、それは「天理」に沿ったあるべき正しい社会秩序だとみなされていたのだが、石田梅岩は「上より下に至り、職分は異なれど理は一なり」、「身を修るに何んぞ、士農工商のかはりあらん、身をおさむあるじとなるは如何。これ心なり」と、身分差別を生んでいる同じ朱子学の論理を使って反論し、封建制度を打破し、近代資本主義の成立に欠かせない、平等思想の確立にも大きな役割を果たすこととなった。




● 「ゾンビ資本主義」が資本主義を滅ぼす


 小室直樹氏によれば、資本主義はひとたび成立するや、自らの法則によって(淘汰、飢餓の鞭)、経営者と労働者を作り出すようになり、そしてそうなればもう、「資本主義の精神」、「行動的禁欲」も必要とせず、勝手に成立していけるようになるという。


 本来は、勤勉と倹約を旨とする禁欲的労働者や経営者たちにの休まぬ献身的な労働や会社経営によって、資本が蓄積され、その資本がさらなる拡大再生産の投資に回されることによって、近代資本主義のシステムによる社会が成立する。

 しかし一旦成立した資本主義社会では、その運営システム上、必須とされる経営者や労働者たちによる無償奉仕的倹約労働を、システムの側から求めるようになり、人々の自発的な行動によらず、無理やり強制労働を強いるようになっていく。

 そしてそれにより、もはや「行動的禁欲」による「資本主義の精神」なども必要なしに、資本主義は独自のシステムとして、人間社会に君臨するようになるが、それはもはや資本主義の精神という魂の抜けた「ゾンビ資本主義」だと小室氏は主張する。


 「労働が尊い」、「労働によって救われる」という思いを労働者が抱かなければ、システムの側からそれを人々に強要し、それに反する者を不道徳者として糾弾し、強制労働を義務化していく。




● 資本主義の精神の伴わない「ゾンビ資本主義」では、その資本主義社会は長続きしない


 資本主義はひとたび成立するや、自らの法則によって、その精神を失っても、それが存在したときに作り出されたのと同型の「禁欲」的労働者と経営者とを作り出してゆき、辛くも作動してゆくようになる。


 しかし、小室直樹氏によれば、資本主義の本質は「成長、発展」にあるという。が、資本主義の精神を失った資本主義は、成長・発展してゆくことができなくなる。


 その理由は、十分な投資が得られなくなるからだという。


 投資は、消費が圧殺されることによって回されて来る。その消費の圧殺・抑制は、お金を持っている人たちの禁欲的節約強制によって生み出される。

 故に、資本主義の精神は、行動的禁欲がなくなれば、禁欲的節約強制もなくなる。禁欲的節約強制がなくなれば、消費は圧殺されず、得られた利潤は消費されやすくなって、投資に回され難くなくる。会社でいえばこれは、放蕩息子だけの会社と同じ状態だと。

 そして、十分な投資が得られなくなった資本主義は、成長、発展ができなくなる。


 小室氏によれば、「資本主義は、成長、発展なくして存立ができない」という。そのため、投資不足によって生ずる病弊こそが、精神なき資本主義の死に至る病になると。


 そして実は、ソ連の消滅、アメリカの衰退、日本における経済犯罪の頻発など、これらは皆、資本主義の精神の欠如、喪失、未熟が原因なのだという。




● スターリン経済の崩壊、毛沢東経済の崩壊、大日本帝国経済崩壊のメカニズム


・ スターリンの過ち


 マルクス理論によれば、革命は、十分に成熟し切り、爛熟した資本主義国に起きるとされていた。

 しかしロシア革命は、最も未熟な、最後進資本主義国ロシアで発生した。


 マルクス理論では、爛熟した資本主義国には、膨大な資本と技術とが蓄積されていて、その資本と技術の力によって、社会主義が建設されるだろうと考えられていた。


 そのため革命ソ連の新たな指導者となったスターリンは、「資本(資金)」と「技術」の力を極限まで高めれば、そこに目指すべき社会主義、共産主義の国を興すことができるはずだと考えた。

 そこでスターリンは「五ヵ年計画」につぐ「五ヵ年計画」の繰り返しを始めとしたスターリン主義を推進し、そしてその成功により、ソ連は一時、世界第二位の経済超大国へと登り詰めるまでになった。


 ところが、その先に待っていたのはさらなる発展どころか、ソビエト経済の破綻とソビエト連邦そのものの消滅というまさかの結末だった。


 小室直樹氏によれば、スターリンおよびスターリン主義的マルクス主義者たちの過ちは、「資本(資金)」と「技術」さえあれば、社会主義、共産主義が建設されると誤認したことだという。

 しかし現実には、いくら資本と技術がたくさんあっても、そこに肝心の「資本主義の精神」が存在しないことには、そこに近代資本主義が発生することはない。それを指摘したのが、マックス・ヴェーバーだった。


 スターリン主義の要諦は、資本と技術とを、集中的に重化学工業に投下して、急速な経済高度成長を推進することにあった。

 これは、日本の戦後の池田内閣・佐藤内閣による日本経済の高度成長と同じだった。


 ただソ連の場合、高度成長時の昭和の日本と違って、工業化のための資金(資本の原始蓄積)が容易に得られない環境下に置かれていた。

 スターリン時代のソ連はまだ貧しい国だった。高度成長前の日本も貧しかったが、工業化のための資金はアメリカから融資してもらうことができた。また、朝鮮戦争やヴェトナム戦争による「特需」が発生したことも幸運だった。


 ところが、スターリン時代の初政のころのソ連は、輸出して外貨を稼げるような産業は農業しかなかった。

 そこでスターリンは、国民が飢えるほどの「飢餓輸出」を断行した。

 その結果、ソ連の重化学工業は急速に成長していき、先進資本主義国に追いつき、追い越し、宇宙開発においてはアメリカの先を越したほどだった。

 が、一方でその犠牲も、途方もなく大きいものとなった。スターリンから穀物まで取り上げられた農民はバタバタと餓死し、反乱を起せば、飛行機、大砲、戦車、機関銃で弾圧された。スターリンよって殺された人数は、少なく見積もっても2千万人に上るといわれている。


 資本と技術が社会主義を生むというマルクス理論はあくまで「必要条件」に過ぎなかったが、スターリンはそれを「十分条件」だと勘違いした。ソ連の崩壊は「資本主義の精神」の欠如によってもたらされたものだった。



・ 「目的合理性」をなくしたソ連の計画経済


 マックス・ヴェーバーが資本主義(近代資本主義)発生のために必要だと主張した「資本主義の精神」とは、


①、「労働そのもを目的とし、救済の手段として尊重する精神」

②、「目的合理的な精神」

③、「利子・利潤を倫理的に正当化する精神」


の3つ。


スターリンは五ヵ年計画の繰り返しによって経済成長を果たしたが、その「計画経済」には「目的合理性」がなく、ソ連の計画経済は"計画"経済などと言いながらその計画性のなさによって、遂には破滅へと至った。


 目的合理性がないから計画が成り立たない。小室直樹氏によれば、ソ連の消失は経済の破滅が原因で、その経済の破滅は、計画の不能より来るという。

 計画が生命の計画経済で、計画がてんで達成されない。たまたま達成されることがあっても実効性がない。投資をしても、工場・施設が完成しない。稀に完成しても動かない。

 深刻な物不足が蔓延する一方で、ソ連中のいたるところに商品が売れ残る「滞貨」の山が発生した。


 小室氏によれば、近代資本主義とは言い換えれば「産業経営資本主義」だといい、これは、ただの金儲け主義の一種にすぎない前近代的資本主義とは根本的に異なるものだという。

 産業経営資本主義とは、複式簿記を土台として目的合理的に経営することをいい、産業経営資本主義における企業は、数学的計画法によって、最適生産計画をたて、経営を遂行していく。


 合理的とは、目的合理的(とくに形式合理的)であることをいう。

 企業は、明確に目的を設定し、その目的を実現するために、計画を立てる。これが近代資本主義下の企業の特徴で、さまざまな資材、労働を合理的に組み合わせ、利潤を最大にすべく計画し、行動する。

 形式合理性とは、そのような数字で解決されるような目的合理性のことをいう。


 そして、「目的→計画→実行」というプロセスを、目的合理的(できれば形式合理的)に遂行することを、「経営」(近代新本主義的経営)と呼ぶ。



・ 「計画」が上手く立てられないのは、目標(目的)設定がいい加減なことが原因


 計画経済においては、まず「目的(目標)」が明確に設定されなければならない。目的(目標)の設定、これが計画経済の第一関門。

 そして、この目標設定は、当たり前だが、実現可能なものでなければならない。


 しかし、資本主義を経過していない社会主義は、目標設定の第一歩で躓くことになるという。「ソ連病」の症状は、先ずその計画(目標設定)を上手く立てることができず、また、立てた計画の実行も満足に行えなかった。

 スターリン時代より、ソ連では、計画された工場・施設がいつまでも完成しないという「未完工事」問題に悩まされ続けた。


 この未完工事はソ連経済の持病となり、膨大な物的資源と労働力とが浪費され続けた。もし未完工事にはならず工場・施設が完成したとしても、その後まともに動かず、そのまま幽霊工場と化してしまう可能性も高かった。

 なぜなら「物動計画」がいい加減なため、原料や中間生産物をすべて上手く揃えるということ自体が、できなかったからだった。正確に計画されない物流システムで、需要と供給とがピタリと合うことがなかった。

 計画立案能力のない人が立てた計画は、ほとんどゼロに近い確立の杜撰な想定によるものでしかなかったという。



・ ソ連の死因、中国「経済大躍進」の失敗、戦前日本の敗因、それらのいずれもが「計画の欠如」が原因


 計画経済において、その目的(目標)設定が上手くできずに失敗したのは、同じ共産主義である毛沢東政権によって行われた「経済大躍進」(1958年~)政策においても変わらなかった。

 この「経済大躍進」では、工業生産において、5年で、イギリス(当時の経済超大国)に追いつき、追い越せと、ヨーロッパ諸国が100年かかったことを、中国は10年で成し遂げるのだという、とてつもなく大きな目標設定がされた。

 当時の中国人、とくに農民たちは、必死に働いて働いて、働きまくったが、結果は無残な大失敗に終わった。


 なぜ、そのような結果になってしまったのか?それは単純に、はじめの目標設定が、現実の経済法則に対して、誇大すぎたのが原因だった。

 無理して目標設定を大きくしすぎて、失敗する。それが経営に対して、計画性、目的合理性を失う最大の原因だった。


そして、誇大する途方もない目標設定によって国家そのものを滅ぼしたのが、戦前の、大日本帝国時代の日本だった。

 大東亜戦争時における日本の増産目標は、あまりに目標を勝手に決めすぎて、達成できず破綻した。

 経済学者の森島通夫教授は、「なんだか自然法則にさからって動いているみたいであった」と感じたという。


 神の国の奇跡を信じる工員や勤労動員された学生たちがどんなに頑張っても、その奇跡が起こることはなかった。


 戦時中の日本経済は、挙国一致体制の下、役人たちによってすべてが決められる「統制経済」で、これは社会主義における計画経済と殆ど変わらないものだった。

 というより、小室直樹氏によればこれは、元共産主義者のエリートたちによってなされたものだったという。

 昭和初期のころにたくさんいた共産主義者たちが、弾圧されて転向した後、政府内に取り込まれて政府の高級官僚として雇われることとなった。

 彼らは熱烈なスターリン主義者だったため、スターリン主義による統制経済を推進した。だがそれは、市場の法則を無視し、無理やり経済を人の力で変えてやろうとするような、現実離れしたものだったという。


 しかし、「1940年体制」と呼ばれたこの国家による統制経済体制は、戦後の日本にまで引き続き、


・護送船団方式

・官僚主導体制

・企業労働組合

・下請け制度


などといったものとして受け継がれることとなった。


 これらのシステムは、戦後の復興期、日本経済の快進撃期、高度成長期を通し、一貫して日本経済を支える根幹のシステムとして活用された。

 が、これが大東亜戦争時における日本の官僚たちのように、直面する問題の解決のため、現実を無視した無理な目標設定をして、市場の法則を、自分たちの都合に合わせて強引に変えようとするようになれば、たちまちガタガタと音を立てて崩れはじめることとなる。




● 衰亡しゆくアメリカの資本主義


 ソ連は「資本主義の精神」がなかったために滅んだが、一方、資本主義の精神の本場であるイギリスやアメリカでもまた、現在は、経済が衰退の一途を辿りつつあるという。

 その原因は、資本主義の精神自体の有無ではなく、資本主義の精神はあるのだが、それが爛熟しすぎて腐敗してくることに求められるという。


 資本主義の精神が、腐り果ててしまうのが「イギリス病」および「アメリカ病」と呼ばれるもの。


 平成4年のはじめ、ブッシュ大統領が訪日したが、あろうことかそのとき、アメリカ側にはクライスラー社のアイアコッカ会長をはじめとするビッグスリーの経営者たちが、のこのことついてきた。

 彼らは、アメリカの自動車産業が苦しいから、日本は、ああしろ、こうしろと、図々しいことばかりを要求し、そして日本に自動車の対米輸出を自主規制させて、それで一時は、アメリカの自動車産業は競争力を恢復して、巨大な利益を上げることに成功した。

 が、これこそ、アメリカ資本主義の精神の腐敗を象徴する出来事だった。


 しかも、アメリカはそこまでして巨額の利益を上げながら、そのせっかく獲得した利益を新たな次なる設備投資に回すことなく、会長や社長たちの間だけで山分けして終わってしまったという。


 資本主義の本質は、「成長」と「発展」にあるのだから、「投資」こそが資本主義の存立条件だと小室直樹氏は指摘する。


 しかしアメリカのこのときの行動は、アメリカ人の資本主義の精神の腐敗を浮き彫りにする事件となった。


























修正しながら、書き足していきます。

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