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日本の資本主義と欧米の資本主義の違い ③ ~日本の資本主義 2~

山本七平『日本資本主義の精神』、『日本人とは何か』、『色即是空の研究』、小室直樹『憲法原論』、『日本資本主義崩壊の論理』などからのまとめ。


明治後の日本の資本主義化についての解説。

日本の資本主義と欧米の資本主義の違い ③




◆ 日本の資本主義 ② ~明治後における日本の資本主義化の変遷~




● 由利公正から渋沢栄一へ


 「労働行為そのものが尊い」とする近代資本主義の発生に必要とされる「資本主義の精神」は、日本では江戸時代に、禅僧の鈴木正三すずきしょうさんや商人の石田梅岩らによってその基礎が育まれていったが、制度として日本が江戸時代までの封建社会から近代資本主義による社会へと切り替わっていくのは、革命後の明治時代になってから。


 山本七平氏は、明治初期、日本の近代化・工業化に大きな役割を果たした人物として、「新日本最初の大蔵大臣」といわれる由利公正ゆりきみまさを挙げる。

 由利公正は1829年(文政12年)、福井藩士の嫡男として生まれ、その後、幕末の四賢侯と呼ばれた越前国福井藩主・松平春嶽まつだいらしゅんがくが熊本から招聘した横井小楠よこいしょうなんに師事してその弟子となり、横井から財政学を学んだ。



・ 横井小楠の日本近代化論


 横井小楠は家禄150石の熊本藩士の次男として生まれた後、江戸に遊学して朱子学(儒教)を修めるが、小楠の学んだ儒学は「学問は現実の社会問題を改革するために用いられなければならない」と主張する「実学」に重きを置いた点に特色があった。

 そのため小楠は、自身は小楠という名の示す通り典型的な尊皇的正統論を唱える朱子学者でありながらも、虚学を廃して実学を尊び、朱子学から入ってさらに洋学へと進み、経済に深い関心を持って、外国貿易にも目を向けた日本の近代化推進論の第一人者となった。

 

 小楠は、徳川時代の思想・教養のすべてを身につけつつ、それを実学として実践に移すことを考えた教育者だった。

 小楠は、

「方今交易の道開けたれば、外国を目的として信を守り義を固くして、通商の利を興し財用を通せば、君仁政を施す事を得て、臣民賊たる事を免かるべし」(『国是三論』)と説いた。

 小楠にとって孟子のいう「仁政」とは、経済を発展させて民を豊かにすることで、そして武士にはそれを立案計画し、かつ実施する義務があると考えた。



・ 横井小楠の弟子・由利公正による越前福井藩での財政改革


 小楠は、吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬、井上毅といった人物たちと交際し、彼らに強い影響を及ぼしたが、小楠の弟子となった由利公正も、小楠の考え方に基き、藩内の産業を振興すること、特に付加価値の高い商品を生産して輸出することを目指して藩政改革に乗り出した。

 しかし初めに産業を興すための肝心の資本金が藩に全くなかった。由利が小楠に相談すると、藩札を発行して新規事業を立ち上げればいいとのアドバイスを貰ったが、それは当時、既に多くの藩の先例において、失敗に終わっていた。

 なぜならその理由は、他の藩で発行した藩札で商人から借りた借金が、そのまま返済不能になって貸し倒れになるケースが相次ぎ、商人や農民たちが、不換紙幣でしかない藩札に対する信用を失って誰も金を貸そうとしなくなっていたからだった。

 

 そこで、由利公正は先ず、長崎に越前藩の「商会事務所」を作り、自ら市場調査をして生糸と醤油ならば確実に売れることをつきとめると、越前に戻って農民たちの説得にあたった。

 それは、始めに農民たちに生糸と醤油を生産させ、それを藩が藩札を発行して買い取り、さらにそれを長崎に運んで売りさばき、そこで得た利益によって、農民たちの藩札を銀に変える(兌換する)というアイデアだった。

 しかし当時の藩内の富農層は、米麦の生産で一応の生活の安定を得ていたため、新たにリスクのある借金までして新しいことを始める気はなく、由利の説得は難航した。

 だがそれでも粘り強く説得を続けた結果、最後には見事、成功へと導いた。



・ 由利公正による明治新政府財政改革の失敗と渋沢栄一の登場


 由利公正はその後、明治維新の成功によって江戸幕府が倒れ明治政府が誕生すると、新政府から福井藩での財政改革の手腕を見込まれて招聘を受け、新日本最初の大蔵大臣たる「御用金穀取扱」に任じられる。

 御用金穀取扱に就任した由利は、明治元年4月に、太政官布告を出して「太政官札」の発行を宣言する。

 由利公正が明治新政府でやろうとしたことは、自らが福井藩でやって成功したケースと同じに、新政府が発行する太政官札を諸藩にそれぞれ配って、その金で諸藩に殖産興業を起させようというものだった。

 由利によって発行された太政官札は、各藩に対し一万石につき一万両の割合で貸し付けられ、諸藩に対してはこれによって産業振興を行うようにとの指示が下された。


 だが、この由利の政策は福井藩での成功と違って、失敗に終わった。

 なぜなら、この太政官札を受け取った諸藩では、これを殖産興業のための資金には回さず、藩内で抱えていた旧債の整理やその他必要な諸費用にあててしまったからだった。

 しかもその後、諸藩は廃藩置県によって解体され、各藩がそれぞれ抱えていた負債も明治新政府がそのまま抱え込むこととなったため、由利が発行した太政官札は、新政府が責任を持って償還しなければ、そのまま深刻なインフレを引き起こしかねない事態となり、由利もその責任を取って辞任するという結末に終わってしまうこととなった。

 

 ところが、ほとんどの藩が無意味に由利の発行した太政官札を借金の返済に充てて消尽させてしまった中で、唯一人、由利が福井藩で成功させたケースと同様の方法で、新政府の発行した太政官札を資金にして「商法会所」という会社を起し、巧みな経営で藩内の近代化を進めた人物がいた。

 それが、革命により大政奉還し駿府70万石の一大名に転落した徳川藩によって召し抱えられていた渋沢栄一という、元は農民出身の人物だった。


 由利公正が辞任した後、後任を引き受けたのは大隈重信だったが、その大隈が、商法会所を巧みに経営していた渋沢栄一を発見して新政府にスカウトし、そしてこの渋沢栄一の手を通じ、日本は近代資本主義国家としての礎を築いてゆくこととなる。



・ 『論語』の教えを基本にした渋沢栄一による商行為の倫理性の確立


 渋沢栄一は単にシステムとして資本主義を理解しただけでなく、マックス・ヴェーバーが近代資本主義の勃興に欠かせないと指摘する「資本主義の精神」を持ち合わせた人物だった。

 渋沢は、彼があるとき官職を辞して商人になる決意をすると、玉乃世履たまのよふみという友人から「卑しむべき金銭に目がくらみ、官僚をやめて商人になるとは見損なった」という批難を浴びせられたという。

 江戸時代に士大夫が身につけた儒教の教えでは、「道理に反して金や地位を得るくらいなら、貧しくて卑しいほうがましだ」というふうに考えられていたため、金銭を扱う商人は卑しむべき存在として蔑まれていたという。

 渋沢はそんな友人に、「なぜ金銭を扱う仕事が卑しいのか。君のように金銭を卑しむようでは、国家は成り立たない」と反論し、むしろ自分が幼いころから学んだ『論語』によって、商行為の倫理性の向上を図ろうとした。

 論語には、自分のあり方を正しく整え、人と交わる際の日常の教えが書かれており、渋沢はこの論語を、商売の原則にしようと考え、商売もまた、仁義や道徳に基づいて行わなければ決して長続きはしないと説いたという。


 渋沢栄一は論語によって商行為の倫理性の強化に励んだが、山本七平氏によれば、渋沢は彼の父・渋沢宗助が、石田梅岩を師とする「石門心学」の江戸学者・中沢道ニの影響を強く受けたと思われる人物だったという。

 石田梅岩も当時の儒教の主流をなしていた朱子学の教えを用いて商行為の正当性と倫理性の向上に努めたが、朱子学が登場する明代以前の儒教では「五経」(易経・詩経・書経・春秋・礼記)が基本となるテキストで、そこに『論語』は含まれていなかった。

 それが朱子学を起した朱熹を始めとした儒学者たちにより、「五経」に加えて「四書」(大学・論語・孟子・中庸)が新たにフィーチャーされるようになり、その後、江戸時代の日本でも、朱子学を通じて『論語』は広く庶民にまで知れ渡り、ポピュラーな教養となっていた。




● 「経済的民族」(エコノミック・アニマル)ではあっても「資本主義的民族」(キャピタル・アニマル)ではなかった日本人


 渋沢栄一は当時の日本人の中で数少ない「資本主義とは何か?」ということを理解していた人物だったが、その他多くの日本人は、福井藩内の農民たちと同様、資本主義というものが中々理解できなかった。

 日本人は他のどのアジアの国々よりもいち早く、貨幣経済が浸透した「経済的民族」(エコノミック・アニマル)でありながら、「資本主義」がどういものか、すぐには分からなかった。


 資本主義では初めに事業を起すための設備投資をしなければならない。しかもその事業規模が大きくなればなるほど、原資を回収できるまでの期間が長くなり、負担やリスクも大きくなる。

 先に「損」や「マイナス」や「リスク」がハッキリ見えるだけに、損得勘定に敏感なエコノミック・アニマルであればあるほど、敬遠したくなってくる。




● 日本の資本主義と「天皇教」の関係


 小室直樹氏は、革命によって誕生した明治政府には、直面する大きな二つの課題があったという。

 その一つは、欧米の軍事的圧力に対抗できるための近代的軍隊を一刻も早く持つこと。

 もう一つは、外交において、不平等条約の解消を果たし、日本が完全な主権国家として列強に認められるようになることだった。


 そもそも「国際法」という概念自体がヨーロッパ大陸の中で生まれたルールで、そのため当初の国際法は、ヨーロッパとアメリカ大陸の白人国家以外には適用されず、彼ら白人たちが「野蛮」とみなした国相手には、国際法のルールはまったく適用されることがなかった。


 彼らが他国を「主権国家」として認めるかどうかの基準は、その国が「資本主義国」であるかどうかだった。


 江戸幕府を倒した明治政府では先ず、江戸幕府によって結ばれた列強との不平等条約を解消すべく、1871年に、岩倉具視を全権大使に任命して、欧米諸国を歴訪させて、不平等条約の解消を求めようとしたが、最初の訪問国アメリカで、日本が資本主義国にならなければ話にならないと言われて追い返されてしまう。

 そこで、岩倉使節団では早々に当初の目的を捨て、あとは欧米文明の視察を行うことにすると、欧米諸国は日本人を歓迎してくれるようになったという。


 その後、日本へと戻ってくると、政府の首脳たちは早速、「文明開化政策」を断行した。文明開化とは要するに日本経済を資本主義にすることで、資本主義こそが主権国家へのパスポートだった。

 と同時に資本主義はまた、国防強化のための道でもあった。日本の国防力強化のためには、資本主義の工業力が必要だった。


 明治新政府では当初、政府自身が出資して官営工場の設立や鉱山開発を行い、そしてそれらをどんどん民間に払い下げていって資本主義化を促そうとした。

 しかし工場での労働生産は、非常に過酷で苦しいもので、とても単なる金儲けで続けられるものではなかった。

 むしろただ"生きるため"なら、こんなことはやらないというのが、近代資本主義社会で求められる労働というものの実態だった。


 その辛さを支えて労働を持続させるものが「資本主義の精神」であり、当初、明治政府の役人たちは、資本主義精神の本場であるアメリカの教科書をそのまま翻訳して子どもたちに「勤勉の精神」や「倹約」の大切さを教え込もうとしたという。

 しかしキリスト教徒ではない日本人には理解できず、その試みは失敗に終わった。そのため、彼らは日本において、「これぞ日本のピューリタン」だという人物を探し出して、教科書に載せて教えることにした。

 それが有名な「二宮尊徳」だった。


 二宮尊徳の教えとは、「労働は金儲けのためではない」というもので、尊徳は、人間は怠けず正直に働きさえすれば、お天道様がちゃんと見ていて、豊かにしてくれると説いた。

 二宮尊徳は貧しい農家の子として生まれながら、懸命に勉学と労働に打ち込み、自ら貧困から脱しただけでなく、小田原藩や相馬藩の財政建て直しを依頼されて見事な成功を収めた。

 二宮尊徳の教えは、貧困の苦しみから、「労働をすれば救われる」という予定説ばりの救済思想を持っている点に、注目すべき特徴があった。



・ 伊藤博文による朱子学「尊皇思想」の「天皇教」化


 西欧のキリスト教プロテスタントたちの労働は、「すべて神のため」に行われるものとなっている。

 労働は聖書において説かれる「隣人愛」の実践であり、「神の栄光」を讃える奉仕活動だった。すべて絶対者である「神のため」というのが、彼らの無眼に沸き出でる労働意欲の根源だった。


 明治政府で初代総理大臣になった伊藤博文は、近代ヨーロッパ憲法思想の根幹となっているのがキリスト教だと理解し、そして日本が近代国家になるにも、同じような宗教の力が必要だと考えた。

 伊藤は江戸時代までの封建社会を脱して日本を近代資本主義国家とするために、日本の天皇を、キリストに代わる日本の宗教の根源的存在にしようとした。


 伊藤博文は憲法草案作定のため派遣されたヨーロッパ視察から帰ってきたあと、枢密院での帝国憲法草案審議の場で、

「ヨーロッパにおける憲法は、いずれも歴史の中で作られてきたものであって、どれも一朝一夕にできたものではない。しかるに、我が国ではそうした歴史抜きで憲法を作らなければならない。ゆえに、この憲法を制定するにあたっては、まず我が国の『機軸』を定めなければならない。・・・・・・ヨーロッパにおいて、その『機軸』となったものは宗教である。ところが、日本においては『機軸』となるべき宗教がどこにもない」と発言した。

 そしてさらに続けて伊藤は、

「我が国にありて機軸となすべきは、ひとり天皇あるのみ」

と語り、伊藤は、この日本においては天皇教こそが、近代日本を作るために必要な『機軸』だと訴えた。


 江戸時代、仏教は既に葬式仏教となっていて、伝統的な神道にもキリスト教のような「神学」はなかった。また中国の儒教も、日本では宗教性が抜けてしまっていて、統治上の政治学でしかなかった。

 そこで、伊藤は、江戸幕末に一世を風靡し倒幕のエネルギーとなった「尊皇思想」を、新政府の宗教にすることで、日本を近代化、デモクラシー化してゆこうと考えた。


 その尊皇思想は、元々は朱子学によって生み出された思想だった。


 朱子学では、「天が高く地が低いように、人が生きる社会でも上下の区分がある」という思想を持ち、「将軍の下に幕臣がいるのも、士農工商という身分制度もこの理によって正当化される」と説かれたため、時の統治権力者である江戸幕府によって推奨され、当時の武士階級にとって公式の学問として普及していった。

 しかし朱子学にはまた「尊皇攘夷そんのうじょうい」という思想があって、統治権力者の正統性について、非常に厳しく詮議する学問でもあった。

 そして日本では山崎闇斎やまざきあんさいという朱子学者によって、徳川幕府は本来、天皇が有す日本の統治権を、武力によって簒奪している「えびす」でしかないとみなされるようになり、幕末においては、山崎闇斎の弟子たちからなる「崎門学派」の手で、徳川家を野蛮人の「えびす」として、そのえびすを討ち払い、日本を、天皇を尊ぶ本来の姿に戻さねばならないという「尊王攘夷」の思想が一気に広められ、遂には徳川幕府を打倒するまでになった。


 革命後、天皇は日本の国家元首とされただけでなく、日本人にとって唯一絶対の神となっていった。

 天皇をキリスト教の神と同じようにするというアイデアのもとに行われたことだったが、しかしそのことにより、「現人神あらひとがみ」である天皇から見れば、すべての日本人は皆平等だという「天皇の前の平等」思想が確立され、そしてその天皇の前の平等によって、日本は江戸封建時代までの身分制を打破し、「四民平等」の民主制国家を実現するに至った。


 明治政府がやろうとしたのは、キリスト教の代替物としての宗教を作ることで、ヨーロッパがキリスト教の力によってデモクラシー国家になったように、日本は独自の宗教をもってデモクラシー国家となり、そのために行われたのが、「天皇の神格化」だった。



・ 「天皇教」の創造がもたらした、明治近代革命の奇跡


 明治政府は天皇を神格化し、従来の神道ともまったく性格の異なる「天皇教」と呼ぶべき新しい宗教を創造したが、しかし明治時代の日本は、この天皇教によって、数々の奇跡の近代化を成し遂げることが可能となった。


 小室直樹氏によれば、明治4年に行われた「廃藩置県」一つ取っても、それは、王権神授説が猛威を振るっていた時代のヨーロッパにおいてさえ、とても考えられないような大胆な社会変革だったという。

 絶対王政時代のヨーロッパの国王でさえ、領主たちの土地を取り上げるなど、とてもできないことだった。

 フランスにおいてはフランス革命のときに、領主たちから土地が奪われたが、しかし、そのためにたくさんの血が流され、国内で激しい内乱が巻き起こった。

 ところが日本では、一滴の血も流すことなく、廃藩置県が完了した。




● 天皇教の限界と、日本資本主義の崩壊


 明治時代の日本では、天皇の神格化による「天皇教」の創造によって、それが西欧におけるキリスト教に代わる宗教として、日本の近代化、民主化、および近代資本主義国化への道を切り開いた。

 

 しかし、日本の天皇はキリスト教の神とはまったく違う。

 キリスト教における「ゴッド」とはまさに唯一絶対の万物の創造主で、神は人間の生殺与奪の権の一切を握り、人間などは神の意志一つで簡単に滅ぼされてしまう。

 だが日本人は天皇を、神聖にして侵すべからざる現人神としながら、誰も天皇がその意志一つで国民を地上から消滅させてしまえる力を持っているなどとは思わない。


 どころか、小室直樹氏の『日本教の社会学』という本には、


「戦前、天皇主義者は一人もいなかった」

「戦前日本で忠孝の概念を誰も理解せず、天皇の命令に最も服従しなかったのが右翼と軍隊だった」


という、当時の日本の衝撃の実態が書かれている。


 なぜそのようなことになってしまうのか?しかし天皇を唯一絶対の現人神としながら、その最も忠実な信者を自負する右翼の軍人たちが、天皇の意思や命令に平気で反するというこの矛盾によって、やがて日本の資本主義はおろか、国家そのものが破滅へと追い込まれてゆくこととなる。


















文章を見直しながら、随時修正を加えていきます。

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