神の拳
外へ出てみると、恐ろしくだだっ広く、どこまでも平たんな地面が続いている。総て剥き出しの、岩がちの荒野で、目を楽しませる緑一本、草木すら見当たらなかった。
気温はやや低めで、何となく高地にいる感じがした。
あの電車の窓から見えた、巨大な円錐形の山だけが、風景に唯一つ彩を添える変化で、他には何も目印になるものは一つもなかった。
いや、一つだけ、異様な存在が見えた。
それは遥か先に、地平線から空へ伸びる一本の線で、それを目で追うと、真上に輝く太陽の光に溶け込み、さらに視線を真後ろに動かすと、反対側に同じような線が空を断ち切るように地平線へ続いていた。
まるで空を横断するアーチだ。
あれは、一体なんだろう……。
どうやら地平線と反対側の地平線まで、空を横断するように達しているらしい。
そんなものがどうやって存在しているのか、想像もつかなかった。
気が付くと、あの眼鏡女子も、僕と同じものを注目しているようだった。
「〝リング・ワールド〟……」
ポツリ、と彼女が呟いた。
僕は驚きのあまり、彼女に声を掛けた。
「今、何て言ったの?」
僕の言葉に、彼女はたちまち頬を真っ赤に染め俯いてしまった。
「何でもないです!」
僕は急速に彼女に対し、興味が湧いた。
「もしかして、君、ラリイ・ニーヴンの〝リング・ワールド〟のこと、言ってるの?」
すると彼女は「はっ!」と息を吸い込むようにして、僕を見詰めた。
「あなたも、ニーヴンを読んでいるんですか?」
僕は満面の笑みを浮かべ、頷いた。
「当り前さ! ニーヴンだったら、ほとんど読んでいるよ。合作の小説も含めてね」
僕らの話題に出た「ラリイ・ニーヴン」とは、アメリカのSF作家で「リング・ワールド」という小説が有名だ。
これは地球軌道と同じ半径を持つ巨大なリング状天体を舞台にした小説で、その内側には、地球の三百万倍という途轍もない広大な面積が広がっている。
僕らの見ている空に架かっている〝アーチ〟は、そのリング・ワールドのリボン状の世界を内側から眺めているのだ。あまりの規模の大きさに、完全に一本の線にしか見えない。
XBOXの「ヘイロー」というゲームは、このリングワールドにヒントを得た世界設定で制作されている。
とにかく僕は感激していた。
なぜかっていうと、女の子がSFを読んでいるという事実に興奮していたのだ。僕と同年齢で、普段からSF小説を読んでいるのは、数えるほどいない。女の子の場合、さらに稀少といっていい。
それが「ラリイ・ニーヴン」「リング・ワールド」というキーワードで盛り上がれるのだから、これが嬉しくないはずがない!
だが、ここは本当にラリイ・ニーヴンの描写した、リング・ワールドなのだろうか?
僕はあの、巨大な山を見上げた。
眼鏡女子に向かい、話し掛ける。
「それじゃ、あの山は、もしかして〝神の拳〟と君は思うのかい?」
僕の言葉に、彼女はゆっくりと頷いた。頷きの仕草に、彼女の眼鏡のレンズがキラリと光を反射した。
「ええ、もしも、ここがリング・ワールドだったらね……」
〝神の拳〟とは、リング・ワールドに登場する、巨大な山を指す。
あまりに巨大で、その頂上は大気圏を突き抜け、頂にある火口はオーストラリア大陸ほどもある。小説の中で、あの山は重要な役割を果たすのだが、それは読んでからのお楽しみで、ここではネタバレはやめておこう。
「ねえ、さっきから何を判んないこと喋っているの?」
イラついた乱子の声に、僕は振り向いた。
乱子は腕組みをし、やや顎を上げた格好にして、明らかに不機嫌を絵に描いたような姿勢でいる。
僕は慌てて乱子に向き直って、説明した。
「いや……僕の読んだSF小説にそっくりな世界だなあ、と思ったんだ……」
「はあっ? また、えすえふ~? あんた、正気なの?」
乱子は、SFに全く理解がない。
僕が「宇宙船」とか「ロボット」とか「銀河帝国」とかの、SFタームを口にすると、真底馬鹿にしたような態度に出る。
その時、僕の足元でキョロが「にゃー!」と何かを訴えるような声を上げた。
キョロを見ると、ととと……、と速足で歩き去ると、少し離れた盛り上がった丘の方へ向かった。
乱子はキョロを追い掛けた。
「キョロ! 勝手に行かないで!」
キョロを追い掛けて、乱子は丘を駆け上がった。丘のてっぺんに駆け上がった乱子は、驚いた様子で立ち止まると、こちらを振り向き、両手を口に当て、大きな声で叫んだ。
「ねえ! こっちへ来なよ。凄いよ!」
その場にいた僕らは、乱子の様子に顔を見合わせ、同時に歩き出した。
地面は固く、歩きやすかった。
緩い坂を登ると、不意に視界が開けた。
目の前に広がった景色に、僕と眼鏡女子は顔を見合わせた。
「やっぱり……」
眼鏡女子が呟いた。
僕は大きく頷いた。
「あると思ったよ!」




