神鯨
日本列島が見えて来るまで、さらに一時間くらいかかった。
高度十万メートルほどの高さで、ゼネラル・プロダクツ船殻の宇宙船は、日本列島に近づいた。この高さでは、列島の細かなところは見分けがつかず、ほとんど僕らが教科書で目にした日本地図そのものだった。
「地図そっくりね」
乱子が素直な感想を述べた。
操縦室から八咫烏が質問して来た。
「どこへ向かいますか?」
八咫烏の質問に、乱子が叫んだ。
「もちろん、東京に決まってるじゃない!」
メイド三人組がスマホを取り出した。
「スマホ、使えるかな?」
八咫烏がそれに答えた。
「あなたがたの携帯端末は、お互い連絡がとれるよう調整しておきました。ですから電話を掛けたり、メールをやり取りすることは可能です。それと電源も、パペッティア特製の電池に換装しておきましたから、これ以降、一切充電する必要はありません。それに本船のメイン・コンピューターに接続可能ですので、様々な情報を呼び出すことが出来ます」
メイド三人組と、奈美代、麗華、乱子たちは、八咫烏の言葉に、自分のスマホ、タブレットを操作することに夢中になっていた。
メイドたちと、他の三人たちはお互いの電話番号、メルアドなどを交換し合った。これでお互い、スマホで連絡しあえるようになったが、これ必要か?
その間、宇宙船は徐々に高度を下げていった。しかしその速度はあまりに遅すぎ、僕はじりじりとした。
「なあ、八咫烏。もっと早く到着できないのかい?」
八咫烏は冷静に答えた。
「これ以上速度を上げると、リングワールドの管理者に、脅威と判断されるかもしれません。あなたの本に書かれているでしょう?」
リングワールドの原作に、地上へ高速度で接近すると、隕石と勘違いされ攻撃されるシーンがある。八咫烏はそれを恐れているのだろう。
麗華が僕に囁いた。
「ねえ、あそこにある着陸艇、使えないかな?」
僕は麗華の顔を見上げた。
端正な顔立ちの麗華は、何か悪戯を計画しているように、薄笑いを浮かべている。ちらっと着陸艇を見やると、軽く頷いた。
「あたし、あれを操縦できそうなんだ。一足早く、着陸艇で接近できれば……」
僕は操縦に専念している八咫烏を注視した。どうやらこっちの話は聞いていなさそうだ。麗華は床の転送プレートを指さした。
「幸い、あの転送プレートの使い方は判ってるから、素早くやれば八咫烏には手出しできないよ」
麗華の提案は、僕のじりじりとした焦燥感にぴったりとフィットしていた。
僕は大きく頷いた。
「やろうぜ!」
「そうこなくちゃ!」
ニヤッと笑った麗華は、大股で床の六角形をした転送プレートに進んだ。僕は慌てて麗華の後を追った。
麗華の足が、プレートに乗った。
何も起きない。
茫然と、麗華と僕はプレートの上で顔を見合わせていた。
八咫烏が一つ目の首をこちらにねじ向け、声を掛けて来た。
「あなた方の幼稚な作戦が、わたしに判らないと思っているのですか? 転送プレートは、こちらでどうにでも操作できるのですよ」
麗華は「ちっ!」と舌打ちし、苦り切った。
「こんなノロノロ運転じゃ、向こうに着くまでいつまでかかるか、判らないよ!」
八咫烏は麗華の機嫌を取るような口調で、話を続けた。
「まあ聞きなさい。あなたに着陸艇を使わせないとは言いません。麗華さんが着陸艇を使用する機会は、かならず設けますから」
「いつだよ? いつ、あたしが着陸艇を操縦できるんだ?」
八咫烏の答えは、意外なものだった。
「そう長くはありません。実は、このようなものを探査体が見つけたのです」
八咫烏の言葉が終わると、船殻に再び映像が現れた。
今度は広大な海の真ん中に、何か船のようなものが浮かんでいる。進んでいるのか、白い航跡を残していた。
「お船ね!」
双子が両目をいっぱいに見開き、高い声で叫んだ。
船には違いないだろうが、どうにも見慣れた形ではなかった。紡錘形の船体に、後部から盛んに水飛沫が上がっている。しかしその水飛沫の形が妙で、普通の船のように、単純な航跡ではなかった。
ざばん! と船体の尾部から三角形の鰭のようなものが持ち上がり、盛大に海面を叩いた。その鰭のようなものを何度も海面に打ち付け、眼前の船は推進しているようだった。
乱子が疑わし気な声を上げた。
「あれ、鯨じゃないの?」
その通りだった。
海面を突き進んでいるのは、巨大な鯨だった。ただ普通の鯨と違い、背にごてごてと様々な機械が取り付けられ、甲板のような構造も確認できる。まるでタンカーと、シロナガスクジラのハーフのような形だった。
「ロークァル・マル……」
奈美代が茫然と呟いた。
僕は反射的に、奈美代に問い返していた。
「何だって?」
奈美代は僕に真正面に向かい合い、静かな熱意という口調で話し掛けて来た。
「T・J・バスという作家の小説で〝神鯨〟というSFがあるのよ。それに出てくるのが、ロークァル・マルというサイボーグの鯨。あの鯨は人間の食料の確保のため、海洋を移動しながら魚や、甲殻類を収穫するの」
「へええ」
僕は生憎「神鯨」という作品を読んだことがない。ふと気が付き、奈美代に尋ねた。
「それじゃ、君は〝神鯨〟というSFを読んだことがあるのか?」
奈美代は勝ち誇ったような笑顔になり、タブレットを翳して見せた。
「もちろん! 古本屋で見つけた時は、我が目を疑ったわ。何しろ初版が1978年だし、買ったときはボロボロだったから、真っ先に〝自炊〟して、この中に取り込んだくらいよ」
SFマニア同士が出会うと「あの本、読んだか?」という確認作業が始まる。当然、相手が読んでいない本を、自分が読んでいると、物凄い優越感を感じるのだ。
僕は「神鯨」を読んでいない……。
奈美代は読んでいる……。
ちょっと悔しい……いやいやいや、そうじゃなくて肝心なのは、つまりあの鯨は、奈美代が読破した「神鯨」という作品からこの世界に出現した、ということだ。
え?
奈美代にも僕と同じ妄想パワーがある?




