火星
腹がくちくなると、外の景色に注意が戻った。
相変わらず、一望の海が果てしなく広がっているだけだ。
「まだ日本列島にはつかないのか?」
呟くと、トコトコと足音が聞こえ、八咫烏が近づいてきた。
「もうすぐです。ですが、いきなり直行するのは用心が足りませんね。念のため、探査体⦅ドローン⦆を飛ばしていますので、付近の映像を確認してください」
まったくパペッティア人というのは、石橋を叩いても渡らない奴らだ!
「この映像を見なさい」
八咫烏が鳥のような声を上げると、船殻の壁に、出し抜けに映像が映し出された。
海の上に、巨大な円柱が突き出している。円柱の端からは、盛大に白い飛沫を上げ、滝が海面に降り注いでいる。八咫烏が説明を始めた。
「これは火星の地図です。ご存知のように、太陽系の惑星の一つで、低い大気を再現するため、成層圏まで達する巨大な円柱上に造られています。ですが、探査体を近づけてみますと……」
画面が切り替わり、どこか地球の砂漠のような場面になった。さらに画面がズームすると、奇妙な動物にまたがった、緑色の皮膚をした生物が見えて来た。
その生き物は、上半身に四本の腕を持ち、がっしりとした足で乗り物の生き物を御している。生き物の顔には、恐ろし気な牙が突き出していた。
緑色の生き物は集団で移動していて、手に手に剣だの、弓矢だの、古典的な武器を持っていた。
どうやら戦争をしているようで、別の集団が緑色の生き物に追いかけられている。
こっちは半裸の、肌が赤っぽい色をした明らかに人間と判る集団で、この赤色の集団も武器を使って緑色の生き物を攻撃していた。
ただし赤い皮膚の集団は、少しばかり近代的で、ライフルのようなものを手に持ち、銃撃で緑色の集団に対抗していた。
「緑色人だわ……戦っているのは赤色人ね」
奈美代がうっとりと呟いた。
八咫烏が質問をした。
「この生物に心当たりがあるのですか?」
僕は答えた。
「ああ。明らかにエドガー・ライス・バローズの〝火星シリーズ〟に出てくる種族だ」
八咫烏は疑わし気な声を上げた。
「わたしの知識によりますと、太陽系の火星には、あのような生物は棲息していないはずです」
E・R・バローズは「ターザン」で有名な小説家だが、作家としての一歩を踏み出したのは「火星のプリンセス」という火星シリーズの一作目だった。
火星に地球人そっくりの赤色人とか、真っ白なゴリラ、十本足の馬が棲息しているという設定で、今から考えればあり得ない話だが、それでも「血沸き肉躍る」という表現がぴったりなエンターティメント作品だ。
もちろん、僕は火星シリーズを愛読している。SFファンとして初歩の必須読書として有名だからだ。
奈美代もまた、火星シリーズを読んでいるのだろう。だから一目見ただけで、あれが緑色人だと見抜いたのだ。
八咫烏は同意したように、言葉を発した。
「なるほど。このリングワールドには、他にもキモタクさんが愛読した小説の世界が再現されているようですね。それでは地球の地図へ向かいましょう」
僕は慌てて八咫烏に声を掛けた。
「火星へ行かないのか?」
八咫烏は一本の首をヒョイっと僕に向け、話し掛けた。
「なぜその必要があるのですか? わたしたちの目的地は、地球の地図に存在する、日本列島のはずでは」
これにはまいった。
僕は不承不承、頷いた。
「判ったよ。さあ、さっさとリングワールドの日本へ行こうじゃないか!」




