運命の来訪
運命は誰の元にも訪れる。
それが奇跡なのか、偶然の一致か、はたまた何でもないのか。
まるで楳図かずおの「わたしは真吾」みたいな出だしだが、全人類、いや、地球を含む太陽系全域が、破滅の危機に瀕していたことを、誰も知らない。その天文的危機は、誰にも知られることもなく訪れ、誰一人悟ることもなく回避されたからだ。
その朝、前夜の暴風雨が嘘のように晴れて、空は拭ったように雲一つ浮かんでない快晴。僕の家の、小さな庭に植えられている樹木の葉っぱや植え込みは、つやつやと緑色に輝いていた。雨上がり特有の、爽やかな香りが辺りに漂っていた。
今朝はゴミ出しの日だ。ゴミ出しをするのは、この家では僕の役目だ。僕は区指定のゴミ袋を手に提げて、玄関のドアを開いた。
その時、弱々しい、猫の鳴き声を耳にした。
玄関横の植え込みから聞こえる。
そろそろと近づくと、いた! 仔猫だ。
しかも黒猫。
僕はゴミ袋を地面に置くと、植え込みを回り込んで、鳴いている仔猫に近づいた。
にゅ~、にゅ~……と聞こえる、いかにも弱々しい鳴き声を上げ、僕の掌にすっぽり収まりそうな小さな仔猫が、よたよたと細い手足を突っ張らかせて、震えている。
僕は屈みこむと、仔猫を抱え上げた。
小さい……。
両手で持ち上げると、仔猫は僕の顔を見上げ、さらに大きな鳴き声を上げた。見上げたが、まだ目は開かないようだ。雨に打たれたのか、全身ずっぽりと濡れている。
季節は冬ではないが、猫は体毛が濡れると、体温を急速に奪われ、命に危険が及ぶ。
「猫の鳴き声が聞こえたけど……」
背後から母親が顔を出し、ドアの隙間から僕に声を掛けて来た。僕は振り向き、手に載せた仔猫を掲げて見せた。
「うん、こいつだ」
「まあ……」と、母親は声を出さずに口だけ半開きにさせ、笑顔を見せた。
僕の母親は無類の猫好きだ。
いそいそとサンダルを足に履くと、近づいてきた。
僕は母親の顔を見て、尋ねた。
「どうする?」
家で飼うつもりか、という意味を言外に含んでいる。
母親はそれでも、ちょっと躊躇う素振りを見せた。
しかし腹は決まっている。
「寒そうにしているわね……」
と言いながら、僕の手から仔猫を受け取ると、急ぎ足になって洗面所に向かった。僕は玄関から室内履きに履き替え、母親の後を追った。
母親は洗面台の、お湯の栓をひねり、湯が出ると仔猫を洗い出した。仔猫はお湯を掛けられ、抗議の声を上げたが、母親はお構いなしに仔猫の全身を洗い上げた。野良ネコというのは、大抵ノミやダニがくっついているものだから、家で飼う前には清潔にする必要がある。
これはもう、家で飼うことに決まったな!
すっかり洗い終わると、母親はバスタオルでごしごしと仔猫の全身を拭い、それが終わるとドライヤーで乾かし始めた。
作業を続けながら、僕に命じた。
「この仔のミルクを買ってきて! 猫用のミルクよ!」
はいはい……分かってますよ……。
僕は母親の命じるまま、財布をポケットにねじ込むと、家を飛び出した。近くのドラッグストアで必要なものを調達すると、大急ぎで帰宅した。
家に戻ると、母親が仔猫をタオルでくるんで、ドライヤーの熱風を当てていた。温風が気持ちよいのか、仔猫はすっかりくつろいでいる。
戻った僕に、母親は喜色満面の笑みを浮かべて迎えた。
「この仔の眼、珍しいわよ!」
どれどれ、と僕は仔猫の顔を覗きこんだ。
パッチリと見開いた、黒猫の瞳は、金と銀のオッド・アイになっている。
満足そうに母親は呟いた。
「もしかしたら、この仔猫、福猫かもね」
福猫かあ……。
僕は僕を見上げている黒猫の、金と銀の瞳を見詰め返した。
お前は僕にどんな福を運んでくれるのかい?
心の中で訊ねたが、もちろん仔猫は返事をするわけがなかった。
おっと!
肝心な自己紹介を忘れていた!
僕の名前は肝緒拓。
他人からはキモタクと呼ばれている。