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島自治区へと渡りたいならば、その報酬として赤い本――すなわちカムラを差し出せと言ってくるケレントにフレイヴははっきりと「嫌です」と断りを入れた。
「これは……大切な、ものなんです」
本当は物ではない。自分の大切な友人だ。ただでさえ、家族や友人たちをナズーの災厄で失ってしまい――あまつさえ、カムラすらも失ってしまうのは勘弁なのだから。それは絶対に嫌だから。フレイヴは思わず、一歩だけ後ずさった。不安がいっぱいの彼にケレントは「いいの?」と冷笑してくる。
「島に渡りたいんでしょ? 金はあるの? 金」
見たところ、目の前にいる小汚い少年はお金をあまり持っていないように見えた。だからこそ、カムラを差し出せと言っているのだ。その本がただの本ではないことは見抜いている可能性はある。自分たちがこちらの部屋に入ってくる前に会話が聞こえていたのかもしれないから。迂闊だった、と後悔しても遅い。
明らかに一人だけの声ではなかったのだから。だから、ケレントはその赤い本があやしいと見立てたのだろう。そして、憶測はフレイヴの態度を見て確実になっていくことに喜々しているようである。なんて面白そうな本なのだろうか、とにやにやしている。カムラをこちらに寄こせと言わんばかりに、手を見せてきた。
「金ないだろうから、慈悲で言っているのに」
「それでも嫌です」
今更、自分たちの所持金で依頼が達成できるとは限らなかった。それならば、諦めるか。そう思ってフレイヴがドアの方を見るのだが――そちらにはいつの間にか見張り役だろうか。武器を手にした男がこちらに睨みを利かせているではないか。これでは逃げることもままならない。
「考える時間を三分あげようかな」
フレイヴの意思が変わらないと見込んだケレントはそう言い出して、ゆっくりと椅子に着座した。なぜだか知らないが、決める時間を与えてくれた。だが、それは非常に悩ましい選択をしろと言っているのに等しい。いや、最初から悩む気なんてない。カムラは絶対に渡したくないのだから。そう彼女を抱きしめていると、小声で「ページを開いて」と指示を出してくる。カムラはそれ以上のことは言わなかった。何だろうか、と適当にページを開くと――。
『一枚だけ破って、持っていて。あとはあの野郎に差し出しても構わないから。』
これはカムラを信じてもいいのだろうか。しかし、このことで再び悩んでいても仕方がない。悩む時間は着々となくなっていっているのだから。
「残り一分」
ケレントが急かすようにして、そう言ってくる。フレイヴに悩んでいる暇なんてなかった。だからこそ、一枚だけカムラの本のページを破ると――。
「…………」
無言でカムラを差し出した。これにケレントは全部差し出せと言っているかと思っていたのだが――そのようなことは一切言わなかった。むしろ、それだけで満足しているようだ。
フレイヴはカムラの紙切れを見た。そこには『大丈夫だよ。』という文字が浮かび上がっていたのだった。
――本当に大丈夫なのだろうか。




