18 始め方が分からない
タロスが僕を好きだとか。
アラクラまで僕のことをきれいだとか。
そんな天地がひっくり返るようなことがあったもんで、僕は逆に確信できた。
メビウス姉さんは実在する。あれは夢じゃない。
だから、メビウス姉さんが言ってたことは、きっと本当なのだ。
僕はメビウス姉さんに会いたい。
今の自分にあるのは、ただそれだけ。
その目標こそ、僕を導く一番のギフトなのかもしれない。
空っぽの僕は、行先を見つけた。
目指すところがあるという幸せを知った。
アグラの洞窟の儀式を成し遂げた僕たちは、回復後、褒賞を与えられた。
神殿の広間に村人たちが集まり、成人の儀の締めくくりの会がもたれた。
僕たち4人は村人たちの前に立ち、金一封と名誉あるアグラ踏破達成者の称号を与えられた。
ゲリュオンとディアボロス討伐のおかげで、かつてないほど盛大な祝福となった。
終会後も、村人たちは熱気をもって若き勇者たちを讃えた。
僕を除く3人に対して、だけど。
曰く、ジュドーの勇気は本物だ。タロスの腕っぷしは大人顔負けだ。アラクラの魔法は見事だ。
3人は大勢の村人に囲まれ、次々に称賛を浴びた。
僕が誰にも注目されないのはいつも通り。
前髪で顔を隠して小さな体をもっと小さくして。
無視されるのは傷つくけど、正直、こういうところで注目される緊張は、もっと耐えがたいものだった。
そういう立場になったことがなかったので、こんなにキツイと知らなかった。僕は目立つ立場に向いてない。自分はふてぶてしい奴だし、なんて思っていたけど、勘違いチキンだった…。
僕は3人から離れた隅っこにいて、何とかしてこの場から立ち去ろうと、気配を消して機会をうかがっていた。
それなのに、ジュドーが余計なことを、いつもの調子で言うのだ。
「エンジュなくして、今回の儀式は達成できなかった」
場が静まり返った。
頼む、やめてくれ。
僕が恥ずかしさにいたたまれなくなっていると、蛇毒に頭をやられた(推定)タロスまで言った。
「エンジュとの出会いは素晴らしいものだった」
本当ヤメテ。
場の困惑が深まる中、トドメはアラクラだ。
「踏破の証を手にしたのは、エンジュよ」
お、おう…
ザワ…ザワ…
村人たちが困っているじゃないか…!!
言っとくけど、僕の方が何百倍も困り果てている。
場の緊張感が極まると、謎のまばらな拍手が起こった。
パチ…パチパチ…
実に微妙な空気が流れた。
これは、僕のせいじゃない!(涙目)
やがて散会。
爺ちゃんと婆ちゃんの家に帰った。
「寄越せ」
「たまには役に立つじゃないか」
がめつい二人が早速報奨金を漁っている。
僕にはどうでもよかった。
「僕、旅に出るから」
「バカげたことを。お前はこれからワシらに恩返しだ」
「どうせ洞窟の儀式も、あの3人にくっついてっただけだろ。何を、その気になって色気づいてるんだい。本当に頭が悪いね」
クソジジイ。クソババア。あばよ。
この瞬間、報奨金は手切れ金にすると決めた。
このクソみたいな村に未練などない。
翌早朝。
ほとんど着の身着のままで僕は歩き出した。
かろうじてフード付きのマントだけ、身につけた。
多少の金と食料を詰めた袋も持った。
大きな隣町を目指すのだ。
すぐに歩き疲れて不安になった。
整備された街道が終わると、不安は大きくなった。
確か、隣の大きな町に行くには、この道をまっすぐ進めばいいはず。
舗装はされていなくても、大勢が行き来する踏み固められた道だ。
路銀も心許ないし、旅の知識もない。
普通、旅立つ場合、どうするものなのか?
普通のやり方がさっぱり分からないので、誰にも「今からいってきます」なんて言ってない。
僕が村を去ったことをまだ誰も知らない。
何か間違った気がするけど、おそらく全部間違ったんだろうけど、修正がきかない。
ちゃんと考えたりなんかして、間違った、なんて確信してはいけない。
だって、僕の確信は危険なのだ。
ぼんやりと、間違ったかな、そんな気もする、くらいに思っておく。
大丈夫。
メビウス姉さんが言っていたんだから。
そう思いながら、疲労に負けそうになる。
大丈夫かな。
ひとりぼっち、モンスターに襲われて、終わるのかな。
さっそく襲われた。
ブラッキーが現れた!
たったの一匹だし、猫くらいの大きさだ。この辺に出るのはこの程度の魔物だ。
道の真ん中にいて、赤い目でこちらを見ている。
僕の力を測っているみたいだ。
怖かった。
村の中にいれば、魔物はやってこない。
僕は戦ったことなどない。
一人で村を出たのは無謀だったか。
僕にできることといえば、ひとつ。
僕はもつれる足で木に登った。
逃げるんだ。
激しく息が切れた。
グギャーという声が聞こえ、逃げた僕にブラッキーが襲いかかってきているのが分かった。
僕は木の枝をつかみ、うろに足をかけて、必死によじ登った。
下を見るのは恐ろしかった。
ただ上を目指した。
「いやあ!」
足に熱感が走った。
ギャアギャアわめくブラッキーが木を上り、僕のすねを爪でひっかいたのだと分かった。
僕は軽くパニックだ。
「いやいやいや!」
必死で足元をばたつかせた。
何かを足の裏で踏んだ感触がした。
気持ち悪くて足を引っ込めて思わず下を見た。
ブラッキーが木の下に落ちていた。
赤い目が僕を見上げた。
ゾッとして体が凍りついた。
助けて。
喉の奥に無音の悲鳴が張り付いた。
次の瞬間、ブラッキーが真っ二つに斬り裂かれた。
「エンジュ!」
僕の考えはすべて正解だ。
ほら、来た。
やっと来た…。
「ジュドー」
かすれた声しか出なかった。
珍しく焦った顔のジュドーが剣を鞘に収め、息を切らして木を見上げて言った。
「無事か?」
メビウス姉さんが言ってたから。
「怪我はないか?」
あの剣は僕から離れない、と。
「…った」
「エンジュどうした」
「…怖かった」
僕は泣いた。
死にそうで怖かった。
もっと早く来いよとジュドーに腹が立った。
恐怖のあまり、ジュドーが来たことに今までまったく気づかなかった。
必ずジュドーは来ると確信してはいても、いつ来るかなんて、考えもしなかった。
「怖かったー…」
「ああ。もう大丈夫だ」
僕はズルズルと木から降りた。
地に着いた足に力が入らなかった。
へたり込む僕の腕をジュドーが引き上げた。
僕はよたよたと立ち上がった。
「怪我をしているな。あっちの岩が座れる。行けるか?」
恐怖でいろいろ麻痺った僕は、信じられないほど素直にワガママだった。
なれなれしくジュドーに支えられて、平気で手当てをせがんだ。
「あちこち痛いよ」
「分かってる」
ジュドーは持参の布袋から傷薬を取り出した。
大したことない僕の足の傷に、ジュドーは手早く薬を塗っていった。
「いてっ」
「しみるか。我慢してくれ」
「怖かった」
「ああ」
「怖かった!」
「だろうな」
僕の頭はどうかしてしまった。
ワガママを言うと見捨てられると恐れながら、ひどい八つ当たりを止められなかった。
腕の手当てを受けながら泣く僕を前に、ジュドーはため息をついた。
そのため息の重さに、僕はハッとした。
やり過ぎた。
安心してまた調子に乗ってしまったのだ。
僕の胸に恐怖が満ちた。
ジュドーは僕から手を離して、ひじを膝につけて両手を組んだ。
ジュドーはうつむいてもう一度深いため息をついた。
僕は恐怖で固まった。
ジュドーが言った。
「エンジュ」
静かな怒気を孕んだ声だ。
僕は怒られることには敏感だ。
いつだってすぐに、しまった本気の怒りを買った、と分かる。
僕の体が冷えていった。
ジュドーがうつむいた姿勢から、鋭い視線だけ投げて寄越した。
体がビクンと小さく跳ねた。
ジュドーの怒りは恐ろしかった。
視線に刺されて僕の心臓は縮み上がった。
「二度とするな」
視線に混ざる怒りに握りつぶされるようだった。
ただ恐怖。
甘えてはならない。
調子に乗ってはならない。
ワガママなど論外。
僕は懸命に首を横に振った。
もうしません。
もうしません。
もうしません。
ちゃんと声になっていたか分からない。
必死に繰り返した。
そんな僕の様子をどう見たのか。
ジュドーは急に苦いものを口にしたような顔をした。
「クソッ」
ジュドーは吐き捨てるように言って、おもむろに立ち上がった。
ワンステップ。
ジュドーは一番近くにあった木にローキックを食らわした。
僕といると、ジュドーはどんどん王道勇者じゃなくなっていく。
それでもジュドーは僕から離れないことを、僕は知っているんだ。