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15 僕の真実

 僕が石板を手にした時、洞窟は真昼のような光に照らしあげられた。




 目が潰れるかと思った。

 どんな仕組みだ…!


 やがて目が慣れてきた。

 乳白色の空間には誰もいなかった。

 ジュドー、タロス、アラクラ、どこいっちゃった?




 何だかとても寂しくなった。




 僕はあんまり寂しくて、呼んだ。




「メビウス姉さん」




 こんな何でもないようなタイミングで、不意に呼んでしまうとは。




「はあい」




 本当に何でもないことのように、メビウス姉さんは現れた。

 艶やかな黒髪、メリハリボディ、黒いドレス、黒い爪。

 長いまつげに縁取られた紅い瞳。

 

 乳白色の空間において、異様に輪郭がくっきりとして感じられた。

 ああ、メビウス姉さんだー…。


 僕はものすごくホッとした。


「メビウス姉さん、僕をずっと見てたの?」

「見てたよ」

「全部?」

「全部」


 メビウス姉さんは指に髪を絡ませながら笑った。

 僕はくすぐったい気持ちになった。


「一応聞いただけ。知ってるし」

「そう」


 会って話したのは一度だけ。でも、それからずっと僕は、メビウス姉さんに勝手に心で話しかけていた。

 メビウス姉さんは、「見ている」と言ったから。

 なんだかとても、親しい気持ちになっていた。

 気軽に話ができた。


「怖かった。何回も死ぬかと思った」

「でしょうね」

「あいつらも、頼りになりそうで、ならないとこもあるし」

「本当、未熟な子たちばかり」

「やってらんねえよ」

「そうね」


 恥ずかしいくらい甘えた口調になってしまう。

 ジュドーたちのことも、偉そうな言い方してしまった。




 まるで、家に帰って友達の話をしているみたいに。




 そういうのしたことないけど、たぶん、こんな感じ。

 変な感じ。

 急に、ぬるくて苦くて少し甘い塊が胸の奥からこみ上げてきた。

 喉元が甘苦くて、息苦しい。

 訳も分からず涙がこぼれ落ちた。


「メビウス姉さん」

「あら。泣き虫ね」

「メビウス姉さーん…」

「あらあら」


 どうしたことか、ひっくひっくと泣けてきてしまった。

 僕の涙はバカみたいに止まらない。

 甘くて、苦くて。


 気がつくと、わーわー泣いていた。

 立ったまま、大きな口を開けて、上を向いて泣いていた。



 どんだけ泣いてたんだろう。

 次に気がついた時には、メビウス姉さんが前に立って、僕の頭をなでてくれていた。

 びっくりするほど、気持ちよかった。


 とろけるような優しい手に頭を任せながら、僕は問いかけた。



「メビウス姉さん、あなたは何者?」



 メビウス姉さんは手を止めずに僕の頭をなで続けた。


「おとぎ話の好きな泣き虫エンジュ。涙が止まるように、お話でもしようか」

「何?」

「昔々のお話だよ。魔なる大蛇と人間の男との恋から始まる物語」


 メビウス姉さんは、一旦言葉を切った。

 いきなりのおとぎ話。

 何それ。


 まだ少しこぼれる涙をそのままに、僕は耳を傾けた。

 メビウス姉さんは、僕の頭の上あたり、どこか遠くを見る目をして語り始めた。


「あるところに、大いなる魔を秘めた大蛇と勇敢な人間の男がいた。大蛇と男は戦火の最中に出会った。大蛇と男は運命的に恋に落ちた。2人は深く愛しあった。やがて大蛇は子を成した。1人目は自分によく似た女の子。2人目は、男に少しだけ似た男の子だった」


 メビウス姉さんは視線を下げ、僕と目を合わせた。

 紅蓮の瞳は今も優しかった。


「魔と人との融合が果たされ、姉は雑種らしい強さを宿した。その力は純血の魔をしのぐ、強大なものとなった」


 メビウス姉さんは、僕の頭を前から後ろにゆっくりとなで続けた。

 僕の胸がザワザワし始めた。

 この話…。おとぎ話…?


「幼い姉には制御しきれぬ力だ。身内を駆け巡り暴れる力に七転八倒する姉に、母である大蛇は自分を与えた。姉は苦しみのあまり、与えられるままに大蛇を食った」

「食った」

「ああ。食った。姉の身内に溶けた大蛇の力は、姉に制御を与えた。姉の力は鎮まった」

「む。良かった…のかな」

「うむ。うまかった。ところが、大蛇を失った男が狂った。姉を斬って大蛇を腹から取り出そうとした。溶けてるから、無駄なことなのだが」


 僕は眉をひそめた。


「どうなったの」

「食った」

「え」

「姉は男も食った」

「ええー…」

「味はイマイチ」

「…そう」

「姉は完全体となり、比類なき力を手に入れた。純血の魔でもない。人とは当然大きく隔たっている。姉はいるだけで人魔の境界に歪みをもたらす。姉は世界に居所を見失って、彷徨う以外になくなってしまった」


 僕はすっかり話に引き込まれた。

 涙は完全に止まっていた。

 メビウス姉さんは、僕の頭をなでる手を止めた。


「弟は姉とは違った。魔と人との要素がせめぎ合って、生死をさまよう虚弱ぶり。弟ときたら一命こそ取り留めたものの、混ざり合わぬものを重ね置くような有様で、アンバランスこの上ないのだ」

「あー…」

「人に似た弟は、正しくは弟とも言えない。両性具有、成長曲線を辿れぬ体」

「へ?」

「中途半端でどっちつかず。姉も姉だが、弟も地に根を張れない曖昧な存在」

「……うわー…」


 僕は何ともいたたまれない気持ちになった。

 妙な感じ。

 ねえ、この話って…。


 僕が複雑な気持ちになる中、メビウス姉さんは今度は僕の頬をなでた。


「彷徨ううちに、姉は同胞に会いたくなった。この世の何者とも折り合えぬ自分にとって、たった一人、つながっている者。血を分ける者。…同じ孤独を生きる者。自分を知ってほしくなったのかもしれない」


 紅蓮の瞳が、ひたと僕を見つめた。

 深い紅色。

 湿度のある重いまなざし。


 生まれて初めて向けられた情感に炙られて僕の胸が焼け焦げた。

 ジリジリじわじわと、居ても立っても居られないのに、とても動けやしない。



 これは。



「エンジュ」



 メビウス姉さんが、呟くように呼んだ。

 小さな声にも関わらず、それは雷鳴のように僕の全身を貫いた。




 これは。僕が死ぬほど欲しくて欲しくて、決して手に入らないと諦めていたもの。




 その直感に、僕は打ちのめされた。

 要はやっぱり混乱した。


 そんなわけあるかクソ野郎という悪態が浮かび、焦がれて望んでむしゃぶりつきたい衝動が湧き、噛み付いて引き裂きたい怒りに駆られて。


 認識できたのはそこまで。

 あとは怒涛の激情に翻弄されて、茫然とするだけ。




 僕の頬に添えられたメビウス姉さんの手のぬくもり。それだけは確かな感触だった。




 僕の中の奥深いところが震えた。

 震えて止まらなかった。




 ただそのまま。

 どれほどの時が経ったのか。




 メビウス姉さんの手が僕の頬を離れ、赤い唇が開いた。



「さて、長居をした。私は行かねば」

「メビウス姉さん!? 嘘だろ。行かないで」

「そういうわけにはいかない」

「ちょ、え、じゃあ、メビウス姉さんを追っかけてもいい?」

「それは一興」

「でも、だめだ。…僕何もできない」


 うつむく僕に、メビウス姉さんは軽やかに言った。


「剣を手に入れただろう」

「剣?」

「エンジュといるだけで、どこまでも戦う強い剣だ」



 僕の脳裏に、黒く輝く瞳が浮かぶ。

 戦いの間、何度も僕を振り向いた瞳だ。



「あれはエンジュから離れまい」

「ええ? そうなの? よく分からない。でも、それだけでメビウス姉さんにたどり着くの?」

「エンジュ。3日間の力は、本当に私が与えたものだと思うか?」

「どういうこと?」

「おとぎ話だが。姉と弟。よく見ると、顔の造作も似ている二人だ。虚弱な弟は、大蛇の力を少しも受け継いでいないのだろうか。エンジュはどう考える?」

「僕がどう考えるか…」


 混乱する。

 僕の体は凍りつき、頭の中はバタバタ状態。体は熱に浮かされていて。

 パニックの僕を尻目に、メビウス姉さんは長い髪をかき上げた。

 

「悪い予感だけでディアボロスを呼ぶ力だ。空恐ろしいこと」


 メビウス姉さんは人差し指を伸ばし、凍りつく僕の鼻先をちょんとつついた。


「いよいよ子ども時代が終わる。聖にも邪にもなり、強者にも弱者にもなり、クズにも宝にもなり、男にも女にもなる。さて、どの道を行くのか」


 パニック上乗せ。

 何。

 どえらいことを言われている気がする。


 メビウス姉さんは、名残惜しむようにゆっくりと人差し指を離した。

 黒い爪が僕から遠ざかっていく。


「過ぎた力は身を滅ぼす。地の底にあり天を恨む念で膨れた者が、在ると知るは余りにも破壊的。適度に爆発しながら歩くがよかろう」


 メビウス姉さん。

 まだ、話したいことがたくさんある。


「私は楽しかった。エンジュ、縁があればまた逢おう」













 メビウス姉さんは、乳白色の空間に溶けるように消えていった。













 どうしてこんなにあっさり行くの。

 何もかも急過ぎて。


 僕の胸にはあふれそうなたくさんの思いがあって。

 何もかも形にならないうちに。














 伝えたいあなたは、もういない。













 世界はもう一度、もう一段階、白く輝いて、僕は視界を失った。

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