13 己の弱さこそラスボスだと知ってはいる
タロスは、いろいろぶっ壊しておきながら、自分自身は音速で気持ちを立て直した。
なんて身勝手…!
僕がさまざまな動揺のため固まるうちに、決戦の準備は進んでいった。
準備といっても僕はほぼ待っていただけですが。
…いや、ひとつだけ。
僕はジュドーに呼ばれて、二人で岩陰に行くことになった。
「もう一度だけ顔見せて」
ジュドーが言った。
心臓の音がうるさい中、僕はされるがままに髪をかき分けられた。
ジュドーのまっすぐな視線を恐れて、僕はきつく目を閉じた。
数瞬が過ぎ。
わずかな時間の羞恥プレイで僕は解放された。
体力激減。
ええ。僕は戦うわけじゃないんで問題ないんですけど。
ジュドーは拳を口に当て、やっぱり思案顔。
その間、タロスの腕の傷に、アラクラは入念に魔法をかけ直していた。
あんなことがあった後なのに全然変な空気にならないのは、タロスのキャラクターゆえか。アラクラの人間性ゆえか。
そして、時が経ち。それぞれが覚悟を決めて。
いざ。
「行くぞ!」
ジュドーの掛け声に合わせて、4人の手が岩の扉を押し開いたのだった。
最終試練。
広い洞窟の真ん中にいるのは。
「ディアボロス」
アラクラが真っ青になった。
剛毛に覆われた巨体、頭に二つ乗る大きな巻き角、裂け上がった口から覗く無数の牙、猛禽類のような足と黒羽、腐った水を湛えた目。
どす黒く紫がかったオーラを立ちのぼらせたディアボロス。
「Sランクモンスター…そんな」
アラクラは絶句した。
タロスの喉がゴクリと鳴った。
想像を越えた強さのモンスターがラスボスだった。
その一瞬、僕が思ったことは「やっぱりそうか」
てんで救われない思考…。
僕は全能であるはずなのに、己の弱さゆえに周囲を巻き込んで死に向かおうとしている。
ディアボロスの与える危機感は、度を越えていた。
絶望に満ちていた。
僕は、あっという間にへたり込んだ。
足に力が入らなくなった。
ふと目を上げた。
振り返った黒い瞳が僕を見ていた。
「必ず生きて帰る」
ジュドーが言った。
特別大きな声ではなかった。
しかし、芯のある響きだった。
僕だけではなく、アラクラとタロスまでもがハッとして、息を吹き返したようだった。
「この試練を越えるのは、俺たちだ」
ジュドーの精神力はどうなっているのだ。
ジュドーの妙な冷静さは、タロスとアラクラを勇気づけたようだ。
分かりやすく震えているのは、僕だけだった。
ジュドーは言った。
「よく見てみろ。あのディアボロスは、ディアボロスにしては小ぶりだ。Sランクとは言えない。Sランクマイナスだ」
「そうか?」
「そうだ」
「そうかしら」
「そうだ」
「…何となく言われてみれば」
「そう見えなくもないかしら」
「だろ? 下手したらAランク並みかもしれない。今の俺たちならいける」
ラスボスをディスってる。
ディアボロスの極悪なオーラをものともせず。
な、何様だ…。
ジュドーは至って真剣だ。
タロスとアラクラも真剣だ。
そうか。
これがポジティブ思考ってヤツか…!
タロスのことも理解できなかったけど、ジュドーのこともさっぱりだ。
そうだ。僕こそその思考に便乗しなければいけないのに。
ディアボロス、小っちゃいか…?
…
…
…
慣れ親しんだマイナス思考が邪魔をする。
あいつは小さい、弱い、小さい、弱い…
心で必死に唱える。
ポジティブ思考って、どうかしてる…。
「さあエンジュ、岩陰に隠れて」
ジュドーに言われて僕は這うように大岩の後ろに向かった。
ジュドーは剣を抜いた。
タロスは大斧を右手で持った。
アラクラはワンドを構えた。
××××××××××××!
ディアボロスが咆哮を上げた。
戦いの火蓋が切られた。
ジュドーは正面からディアボロスに向かった。
ディアボロスの黒羽がバサリと動き、その体が宙に浮いた。
羽ばたいたまま、ディアボロスは長い腕をジュドーに伸ばしてきた。
三又に分かれた手は鱗状のものに覆われ、固そうだ。
ジュドーが真正面から降り下ろした剣は、三又の指の一本に当たり、ガキンという激しい金属音を鳴らした。
弾かれた剣を巧みに戻し、ジュドーは更に斬り込んだ。
ディアボロスはうるさそうに腕を横なぎにした。
剣が払われたのだが、体ごと持っていかれてジュドーは左手に吹き飛んだ。
ジュドーは岩場をゴロゴロと転がった。
軽量の鎧がベコベコになった。
「敵に速度マイナス補正入りました!」
アラクラの詠唱がひとつ終わった。
ワンドが白く輝き、ディアボロスに光の線を伸ばした。
×××××××××××××××!
ディアボロスが牙だらけの口を大きく開けた。
咆哮とともに超音波が放たれた。
僕は必死に耳をふさいだ。
うるさい!
地が揺れた。
とてもじゃないけど立っていられない。
僕はずっと座っているけど。
×××××××××××××××!
連続だ。
ひどい。
あまりの振動に僕は体を伏せた。
「危ない!」
その声に驚いて、僕は伏せていた体をひねって見上げた。
身を隠していた大岩の先端が僕に向かって崩れ落ちて来るところを見た。
僕は思わず目を閉じた。
頭は真っ白。
固いものが前からガンッとぶつかってきて、僕は低い位置からだけど後頭部を下の岩場にぶつけた。
痛い。
何が起こった。
「敵に防御マイナス補正入りました!」
アラクラの声が遠くから聞こえた。
こんな振動の中でアラクラは詠唱を続けていたのだ。
僕は暗い中にいた。
重いものがのしかかっている。
重いものがゆっくりと持ち上がっていった。
何だ?
「無事か」
僕は目を開けた。
目の前に引きしまった顔があった。
「タロス」
驚いた。
至近距離にタロスがいた。
仰向けにひっくり返る僕の上に、タロスが馬乗りになっているのだ。
これは一体。
タロスの額から頬、そして顎にかけて、一筋の血が流れた。
僕はハッとした。
「タロス、怪我!」
「ああ。平気だ」
僕は必死にタロスの顔の血を手で拭った。
「ごめん! ごめん! 僕をかばったの? ごめん!」
何もできない僕は、懸命にタロスの血を拭いた。
タロスの顔が汚れた。
僕のやることなすこと、どうしてこうなんだ。
何が起こったのか、僕はやっと理解した。
僕の隠れていた岩が崩れたのを見たタロスが、身を呈して僕をかばったのだ。
嘘だろ。
こんなにいい奴だったの、タロス。
タロスは僕に少しも体重をかけずに、右腕を上げた。
不思議そうな顔をして、タロスは僕の顔に手を伸ばしてきた。
「何!?」
僕があたふたするうちに、タロスは僕の前髪をかき分けた。
ゴツゴツした手だけど、器用だった。
デジャブ。
タロスとも前髪のカーテンなしに、至近距離で目を合わせることになってしまった。
僕の頬に朱が上る。
…
一拍の間があって。
タロスはニヤリと笑った。それから、のそりと立ち上がった。
タロスの背から、岩がボトボトと落ちて転がった。
タロスは短髪をガシガシ払って砂利とほこりを落とした。
「後で話がある。覚えておけ」
大斧を持ち直したタロスは、不敵に笑った。
そして、足早にディアボロスに向かい走って行った。
たぶんキャパオーバーで覚えておけない。
僕はよたよたと動き、崩れた岩陰を出て、広場を見た。
ジュドーがディアボロスの足に剣を突き立てていた。
ディアボロスは三又の手で剣を叩いた。
剣は折れ、柄を握ったままのジュドーはまた吹き飛ばされた。
足に剣先を埋めたたままのディアボロスは、追い打ちをかけるようにジュドーを向いた。
「うらあ!」
タロスが駆け寄って大斧を振るった。
ディアボロスの腕に大斧が食い込んだ。
ディアボロスはその腕を振り回した。大斧が振るい落とされた。
タロスは大斧と逆方向に吹き飛ばされた。
丸腰のタロスに向かい、ディアボロスは口を開け、指向性を高めた超音波を放った。
「リフレクト!」
アラクラの魔法防御がタロスを守った。
アラクラは間をおかず、次の呪文詠唱を始めていた。
肩で息をしているのが見えた。
アラクラも限界だ。
僕はハラハラした。
タロスは起き上がり、大斧を拾いに駆け出した。
追いかけて来る超音波に舌打ちをしながら、タロスは大斧を拾った。
タロスは魔法防御壁ごしに、大きな口を開けて超音波を送りだしてくるディアボロスと対峙した。
大斧を持つ右腕の筋肉が硬く張りつめた。
タロスは強い意志をにじませて、ディアボロスを睨みつけている。
タロスの右腕の包帯が真紅に染まった。傷が開いたのだ。
タロスはまったくそれを気にする様子もなく、意識を集中していた。
タロスが動いた。
「うおおおおおおおお!」
タロスは振り被ったかと思うと、大斧を力強く放り投げた。
大斧は魔法防御をすり抜け、高く飛んだ。
大斧はディアボロスの右の黒羽に当たった。
×××××××××××!
ディアボロスは宙から地に落ちた。
ドーンという激しい地鳴りがした。
タロスは揺れに耐えかねて膝をついた。
そこに、ディアボロスの横殴りが見舞った。
タロスの大きな体が軽々と飛ばされ、洞窟の壁に激突した。
タロスは崩れ落ち、動かなくなった。
僕は震えた。今すぐ駆け寄りたい。でも、僕にはできない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…。
長剣を折られたジュドーは、短剣を握った。
ジュドーの軽量の鎧はベコベコにへこんだり割れたりしている。
ジュドーも体中、あちこちから出血している。血だらけ…。
そんな体で、大きなディアボロスに対して、あんなに短い剣で。
負けてしまうのではないかという思いが、一瞬、僕の心をよぎった。
僕は必死に首を振った。
確信してはならない。
負けを確信してしまった瞬間に、みんなを巻き込んですべてが終わる。
ジュドー、タロス、アラクラ。生まれて初めて共に歩けた人たち。
僕はディアボロスと戦えない代わりに、必死に自分の頬を打った。
我が身に慣れた不幸を呼び寄せてしまう。
それではダメだ。
頬がジンジンした。
指先が冷たい。
呼吸がおかしくなっている。
すでにキャパオーバーで考える力を失いそう。
失った方がいい気もする。
メビウス姉さんを呼ぶのは今か。
まだか。
その判断もつかない。
助けて。
呼んでいいものなのか。
助けを願った瞬間に、負けるという確信が生まれてしまうってことはないのか。
僕はすっかり混乱してしまった。
おかしな力を授かったせいで、「助けて」と天に願うことも許されなくなってしまった。
僕はどうしたらいい。
ふと気付くと、ジュドーが僕を見ていた。
混乱に溺れてしまい前後不覚に陥った僕に、ジュドーの視線が伸びてきていた。
こんな死闘の最中に、という思いが僕の中に生まれた。
それは、水中の藁のように、僕の思考の方向性を導いた。
ジュドーが見ている。
僕の視界はクリアになり、僕はすがるように必死にジュドーを見た。
突然、ジュドーの口が動いた。
呼べ。
僕はハッとした。
もう一度、目を凝らした。
俺を呼べ。
見えた。聞こえた。
確かにそう言った。
すがりついていいなら。それが許されるのなら。
混乱に垂らされた糸に、僕は必死に手を伸ばした。
「助けて、助けて! ジュドー!」
僕は、声を張り上げた。
目からブワッと涙が出てきた。
堪えていたものが、あふれ出してきた。
涙も言葉も止まらなくなった。
「怖い! もうヤダ! ジュドー助けて! 助けて! 助けて! 助けて!」
胸に詰まっていたすべてが放出されていった。
助けて、助けて。
それは、いつから仕舞いこまれていたものなのか。
助けて、助けて。
とてつもない量の叫びだ。
僕は必死に叫び続けた。
ジュドーの目の色が変わっていく。
僕の叫びが変えていく。
ジュドーの黒い瞳は爛々と輝きを増す。
もともと印象的な目が獣のような激しさを頂く。
笑みを含んだ口元が動く。
任せろ
ジュドーの動きが変わった。
尋常じゃない速さで駆けた。
ディアボロスは、地に落ちてからも腕を振り回していた。
ジュドーはその腕を軽々と飛び越した。
ジュドーはディアボロスの剛毛を左手で掴み、右手で短剣を突き立てながら、イノシシのように直線的にその背中を駆け上った。
ディアボロスは背中のジュドーを追い払おうと、身をよじって暴れた。
ジュドーはディアボロスの背中に短剣を突き刺し、離れようとはしなかった。
あいつ、頭がおかしい。
なんだこれ。
どうしてそんなに強くなる。
僕は、呆気にとられた。
ジュドーはそのまま、ディアボロスの頭の上まで上った。
そして。
ジュドーはディアボロスの天頂、巻角の真ん中に、短剣を叩き込んだのだった。