11 欲
タロスが言う。
「こんな足手まといがいなければ」
だろうね。
同意見だ。
結局、バカ強いジュドーが勇者の本領を発揮して、ゲリュオンを討ち取った。
ジュドーは流した血を拭いながら、俺のこれは大した怪我じゃないから、などとのたもうた。
自分はアラクラの処置を断り、タロスの手当てに力を尽くすようジュドーは言った。
ジュドーは平たい岩に腰掛け、手持ちの薬を塗りながら、自分で自分に包帯を巻いていった。
鮮やかな手さばき。確かにそれほど重傷ではないようだ。
タロスは敷物の上に横になって、深手を負った腕にアラクラの魔法を受け続けていた。
タロスの額に脂汗が浮いている。
歯を食いしばりながら、タロスは僕を責めた。
「メラがいれば、やられはしなかった。メラほどの術者でなくとも、せめて戦える者がもう一人いれば。なぜこれほどの足手まといを神殿は選んだのだ!」
「なぜと言うならゲリュオンだ。洞窟の試練にあんなモンスターがいるなど、聞いたこともない」
ジュドーがさりげなく話の矛先を変えてくれた。
アラクラが意を汲んで応じた。
「私も聞いたことがありません。アグラの洞窟踏破の証が眠る祠の前には、ランクDのモンスターがいるのは常識ですが。Bクラスのモンスターが中盤にいるなんて前代未聞です」
ほつれた髪を撫で上げながら、アラクラは眉をひそめた。
…そうなの? 僕は正直全然知らなかった。
洞窟の儀式が大嫌いで興味なかったもので。
なぜゲリュオンが来たか。
僕が怖がって怯えたせいなのか。
恐ろしいことが起こるに違いないと確信したから…。
タロスは歯噛みして言った。
「何かがおかしい。そもそもこのパーティーでは戦力不足だ! こんなケガを…何で俺が! 痛てえ!」
「力を入れちゃダメですよ、タロス。傷が開く」
話題はあっという間に戦力不足の件に戻ってしまった。
タロスは、僕の存在がよほど納得いかないのだろう。
アラクラが優しくタロスの肩に触れた。アラクラのまとう紫のローブも血で汚れている。
タロスは僕をにらみながら、黙り込んだ。
僕はうつむいたままそっと立ち上がり、その場を離れた。
いたたまれない。
なにしろ、全部、タロスの言うとおりだから。
タロスが動けるようになるまで休息をとる、とさっきジュドーがお達し済みだ。
僕はパーティーから離れすぎない程度に距離をとった。
タロスの憎しみの視線を避けて。
タロスの恨みの声から逃げて。
謝り倒したいけど、僕の謝罪には何の価値もないことも知っている。
僕を隠してくれるくらいの大きさの岩の影に入る。
膝を抱えて座り込む。
僕がいなくなったと余計な心配はかけないよう、岩陰から足先を出して、ここにいますアピールだけはしておく。
できるだけ邪魔にならないよう、ただ単に存在するだけというあり方は、許してもらえないのだろうか。
ザッザッと岩場を踏む安定した音が近づいて来た。
「気にするな。タロスは怪我が重くてイライラするのをエンジュに当たっているだけだ」
音が止まると同時に急に声をかけられて、ビクッと体が跳ねた。
膝を抱えて座る僕の頭の上から、ジュドーの声が降ってきた。
ジュドーが僕のところに来たのだ。
そう分かっても、すぐには何を言われたのか理解できなかった。
ややあって、ジュドーの言葉の意味をポンコツ脳が認識した。
なぐさめられてる!
チッ
王道め。
なぐさめなんか!
…
…
…
クソッ
言いたくないけど、人からなぐさめてもらったのは、生まれて初めてだ。
それは衝撃的な体験で、未知の感触だった。
何かが僕の内側で、ワーッとなった。もうなんて言うか、ワーッとしか言えない。
胸の中と頭の中がザワザワしてぐるぐるして、止まらなくなった。
何かがいっぱい体につまっている。
それが破裂しそうになっている。
溺れそう。
たった一言のジュドーの言葉によって、僕は訳が分からなくなってしまった。
「僕の考えることなんて、クソみたいな、くだらねえオチばかりだ」
僕の口から言葉があふれて落ちた。
かすれた小さな声。
ジュドーに届いているかも分からない。ジュドーに立ち去る気配はなかった。
俯いたまま、僕はあふれる言葉を止められずにいた。
「僕ごときが考えたりしてそれで物事が進んだら、世界が腐って落ちるだけだ。僕のすべては無駄だ。クソだ。ジュドーなら違うんでしょ?」
何を言っているんだろう。
目をこする。
手が濡れる。
「ジュドーなら何でもできるし、物事が上手くいくと思えるんでしょ。上手くいくようにできるんでしょ。僕はもう何も考えたくない。クソみたいなことしか考えられない。ジュドーが全部やって。僕じゃなくて。ジュドーが全部考えて、全部全部ジュドーが上手いことやってよ」
後から後から涙が出てきて、いくら拭っても追いつかない。
しゃくりあげながら、懸命に涙を拭い続けた。
ザリッと音がして、ジュドーが屈み込む気配がした。
膝を抱えて泣く僕のすぐ横で、ジュドーは言った。
「無理だ」
にべもない拒否。
王道ジュドーにさえ切り捨てられる僕。
ガツンと胸に刺さった。
なぐさめを得て心の柔らかいところが剥き出しになっていた分、衝撃も大きい。
息が詰まる。
呼吸が変になり、窒息しそうになる。
僕の耳に届くのは、ジュドーの強い声。
「いいから自分で考えるんだ」
少々間がある。
「代わってやれない。エンジュはエンジュとして考えたらいい」
混乱する。
切り捨てと違うニュアンスを嗅ぎ取って、僕はパンクしそうになる。
さっき受けた衝撃が渦となって勢いを増す。
ズルい僕は、確かめたくて自己否定してみる。
「僕なんかいなきゃいい」
「それは違う」
ジュドーは即答する。
聞きたかった否定を否定する反応に歓喜が弾ける。余計に混乱をきたす。
あまりのことに、僕はつい顔を上げてしまった。
すぐ横にジュドーがいた。
血を拭った跡も生々しく残る顔だけど、黒く艶やかできれいな目が僕を見ていた。
胸がギュッとした。
「エンジュがいてくれて助かっている。俺は、自分のためには戦えない人間だ」
何だよ、クソみたいにかっこいい。
胸がドキドキし続ける。
ジュドーは苦笑いをする。
「誤解するな。さほどいい意味ではない。誰かを助ける動機がなければ、己の命に大した価値を見出せない。自分の命は捨てても未練はない程度にしか思えないと言うことだ」
…何か変な話だ。
ジュドーは膝立ちから、僕の横に腰を下ろした。
あぐらをかいて話し込む体勢だ。
「虚無とともにある。弱き者を助ける時だけ命を得る。俺は何なのだろう。誰かのためにしか生きられない。人の為。それがどうした。俺は何だ」
急に自問を始めたジュドー。
釣り込まれて聞き入って、僕の涙も少し引っ込む。
ジュドーは緩やかに片膝を立て、そこに顎を乗せた。
どこか遠くを見て話すジュドーを、前髪のカーテン越しに僕は見ていた。
「俺の中を巡る答えのない問いと虚無。このパーティーはエンジュがいなければ、すでに全滅していた。何を言わんとするか、もう分かるか?」
ふいに話が僕に来た。
何? 何? 全然ついていけない。
また、ジュドーが僕の目を覗き込んできた。
僕の鼓動がヤバい。
ジュドーが口を開く。
「か弱きエンジュを生かさなければならないという使命が、俺に命を与えている。タロスとアラクラは、守るべき者ではない」
僕はジュドーから目が離せなかった。
ジュドーも僕から目を逸らさなかった。
「魔物を切り裂きながら、怯えるエンジュを見る。そのたびに、腹の底から力と…が湧いてくる。生まれて初めての感触だ。細胞が騒ぐ」
何が湧くのか。そこだけ聞こえなかった。
そんなの関係ないくらいに、ジュドーの言葉に身も心もゾワゾワして止まらなかった。
これは何だ。
今、何が起こっているんだろう。
ジュドーは包帯の巻かれた自分の左手に視線を落とした。
「進んで死ぬ気はないが、生きることに執着もない。痛みにも強い。そんな俺だ。強いパーティーならば、俺はうっかり死んでいた。そして、俺が死ねば、まあ、きっと、今回の試練は失敗していただろう」
ジュドーは硬そうな黒髪を前からかき上げた。
そして、妙にすっきりした顔で笑った。
「俺は今、自分史上最強を自覚している。そして、生きる実感を知った。俺はかつてなく、考えることに忙しい」
「…何を考えて」
「それ、聞くか。まあいい。いろいろだが、…主に欲望について」
ジュドーがからかうような色を乗せて、うつむきがちな僕をチラリと見た。
僕はすでにパンク状態。
混乱の中、言葉を絞り出す。
「どうかしてる」
「だろ? 人間なんて屈託の塊だ。俺は俺の考えでいっぱいだから、エンジュはエンジュで自分の思うとおりに考えてたらいい」
「そんな」
「神の配剤とはこのことか。神殿は何もかも見越していたのか。俺とエンジュは何なんだろう。うまい表現は到底見つかりそうにはないが」
ジュドーは膝に手をかけ、立ち上がった。
軽量の鎧がガチャリと鳴る。
ジュドーはタロスとアラクラのいる方向に視線を向けて言った。
「俺はほとんど最初からこのパーティーに納得している。今回の試練を超えられるとしたら、間違いなく俺たちだ」
ジュドーは視線を下に向けた。
見上げる僕と目が合った。
「エンジュは好きなように考えて、好きなだけ恐れて、そして、俺を見ていたらいい」
考えることを放棄させてもらえなかった。
恐れていいと言われた。頼っていいということなのか。
溺れているのか、ここはすくいあげられた陸地なのか。
混乱から脱せない僕は必死に尋ねた。
「ジュドーを信じさせてくれるの?」
「誰のことも簡単に信じてはいけない。だから、エンジュはそのままでいい」
「そんな。そのままって。何だかよく分からない。どうしたらいいか分からない。僕はもう考えたくない。タロスが大怪我したのは、だって僕のせいなのに」
「罰でもほしいのか?」
ドキッとした。
罰ばかり与えられる人生だったから。
もしかして、しでかしたことに対しての罰を受けていないから、不安だったのだろうか。
僕が固まっていると、何を思ったのか。ジュドーはきっかり三拍置いて動いた。
ジュドーはもう一度、片膝をついた。
僕の真正面。
ジュドーは平静な顔つきで、僕に手を伸ばしてきた。
包帯の巻かれた左手。さっき自分の髪をかき上げた手だ。その手が僕の額から、僕の頭の形に沿うように、髪をかき分けて差し込まれた。
触れられて全身に鳥肌が立った。
顔を覆っていた薄茶色の髪が、大きな手にさらわれて、後方に流れた。
僕の顔は守りを失って、ヒカリゴケの光に直に照らされた。
隠していたかった汚い素顔を暴かれて、背筋に冷感が走った。
前髪のカーテンなしに、驚くほど間近で、ジュドーと対面した。
ジュドーが小さく目を見張った。
そんな表情にも、信じられないくらいドキドキした。
ジュドーがゆるゆると手を引いた。
僕の前髪はサラサラと元に戻った。
僕が愕然として動けずにいるうちに、ジュドーは立ち上がっていた。
「俺は、考えることに、忙しい」
ジュドーは包帯を巻いた左拳を口に当て、わずかに目を閉じた。
すぐに目を開けて、ジュドーは立ち去った。
僕は茫然としたまま、遠ざかっていくジュドーの足音を聞いていた。
胸のドキドキは、なかなか止まなかった。
ポンコツな僕の存在を許したのは、変わった動機をもつ救世主。
メビウス姉さん、世の中、上手くできてる。