10 強敵あらわる
試練とはこんな簡単なもんじゃないだろう、なんてこと、迂闊に思ってしまったせいだ。
「何だこれは!」
無駄に声のでかいタロスが叫んだ。
「ゲリュオン…どうして」
アラクラが茫然とつぶやいた。
「エンジュ、もっと下がれ! タロス、構えて右方向転回! アラクラ、タロスを援護しろ!」
ジュドーの鋭い声が飛んだ。
誰もが我に返って従った。
洞窟の道が急に開けて、幻想的な広場のような場所に僕たちは辿り着いた。
ヒカリゴケに照らされた広場の真ん中に、そのモンスターはいた。
ゲリュオン。
ゾンビのような黒く溶け落ちた顔、うろこに覆われたトカゲのような体、蝙蝠のような羽、二又の尻尾。
人間の3倍は大きい。
山の奥深くに住むと言われる伝説のモンスターだ。
人里近いところにいるなど聞いたこともない。
落ちくぼんだ眼窩がこちらを向いている。
ゲリュオンが僕たちを見ている。
「攻撃補正、防御補正、速度補正入りました!」
「おらあああ!」
アラクラの詠唱が終わると、タロスは大斧を構え、ゲリュオンの向かって右手側に踏み込んだ。
ゲリュオンは巨体に似合わぬすばやさで、二又の尻尾を振るった。
タロスはすんでのところでかわし、戻ってくるしっぽに斧を振りかざした。
××××!
耳触りなゲリュオンの叫びが耳に届いた。
タロスの大斧は、ゲリュオンの尾をひとつ叩き斬った。
ゲリュオンがタロスに向かって走った。
鋭い鉤爪がタロスを襲った。
「ぬあ!」
タロスは大斧を横手に持ち、その鉤爪を受けたのだが、いかんせん相手が大きい。
ゲリュオンの鉤爪は、立ちふさがる大斧を越えて、タロスの腕に突き刺さっていた。
タロスの二の腕から鮮血があふれた。
「ぐおおおお!」
タロスが叫ぶ。
痛そう。
僕の血の気が引いた。
「こっちだ!」
ジュドーの剣がゲリュオンのわき腹を斬り裂いた。
××××××!
ゲリュオンは叫びながら体を転回し、ジュドーに鉤爪を向けた。
ジュドーは剣で器用に鉤爪を払い、走り続けて距離をとった。
ゲリュオンがジュドーを追った。
膝をついたタロスの元に、アラクラが駆け寄った。
タロスの腕は深く切り裂かれていた。
アラクラが傷に詠唱を始めた。
タロスは苦悶の表情を浮かべている。
あれではとても戦えない。
アラクラは、タロスにつきっきりになるしかない。
アラクラの編み上げた髪がほつれている。アラクラも必死だ。
戦えるのは、もうジュドーしかいない。
ゲリュオンは、これまでのモンスターたちよりも遥かに強い。
恐るべき魔物。
威圧感ハンパない。
圧倒され過ぎて、思っちゃいけないことを思いそうになる。
ジュドーの額から血が滴る。
怖い。
僕は震えた。
声にならない声で繰り返す。
ごめん。
ごめんなさい。
僕が余計なことを考えたせい。
僕がここにいなければ。
ゲリュオンの鉤爪、尻尾が、ジュドーをかすめるだけで切り裂き、傷つけていく。
軽量の鎧では、ゲリュオンの破壊力を防ぎきれない。
ジュドーの全身が赤く染まる。
それでもジュドーは剣を構える。
浅はかな僕の願いが、取り返しのつかない結果をもたらそうとしている。
全部僕のせいだ。
薄っぺらい考えのもと、身に余る力を振りかざした。
クズが表舞台に立ち、上位者と同様にふるまおうとした。
スカスカの中身で。
僕の無駄な立ち回りは、大きな災いを呼んだ。
我が身には到底引き受けられない、重い結果だ。
僕のせいでパーティが全滅する。
くだらない僕という存在のせいで。
クズがやることなど、所詮クソだ。
助けて。
怖いよ。
すぐにでも死ねそうなこの期に及んで、生きているのが怖くなる。
生きて、ものを考えるのが怖い。
死。
生きるのも怖いが、死ぬのも当然怖い。
ねえ、メビウス姉さん。
死んで詫びるべきだろうけど、僕ごときの命で何が償える?
生まれてこなければ良かった。
繰り返し思ってた。
ほらね、やっぱりってことばかり起こる。
今回のことは、起こるべくして起こった結果だ。
何を得ても僕は変われない。
僕のしでかした愚行のツケたる災厄の権化、ゲリュオン。
それでも願う。
願ってしまう。
誰かあの魔物をやっつけて。消し去って。
僕の過ちを、ひとつ残らず無かったことにして。
今も助かろうとしてる。
クソな命があがくことをやめない。
自分だけ救われたい。
ゼロに戻りたい。
苦しみを逃れたい。
存在を許される意義を与えられたい。
どこかから落ちてくる奇跡によって。
ジュドーが振り向く。
こんな時でも。
血で汚れた顔で、僕を見る。
僕の胸が鳴る。これまでの比じゃない。ガツンと鳴る。
ジュドーが笑った。
浅い息が乱れ、僕は一瞬呼吸を忘れる。
そして、ジュドーは再び戦いの中。
僕の心臓はバクバク。信じられない速さで、身体中に響く。
今笑ったよ、あいつ。
あのまなざし。
強靭な光。
汚れた僕を貫く確固たる質量。
僕は思う。
強く思う。
ジュドーは勝つ。