7話 青い鷹
ブルーイーグル。
アルモード州の東西の大都市、セントヘイムとテッドフォースを結ぶ急行列車で、セントヘイム駅に停車する唯一の国営鉄道の象徴でもある。
約五十時間をかけて一往復する。
開通当初はセントヘイムで採掘された銀を西方へ運ぶ運輸経路として利用されていたのだが、州の中心に広がるレンバルト砂漠を横断する貴重な手段としてむしろ一般人に喜ばれた。そのため、鉱山が閉山されて二百年が過ぎた今でも現役で州の端から端へと行き来している。
しかし、建設は難航し作業員に死者が出た経歴があり、その怨霊が乗客を砂漠へ引き込むという都市伝説もある。
普通なら利用客が少なくなっていそうだが、砂漠を疾走する姿がまるで青空に同化した鷹のようだと、その雄姿に憧れる者は少なくないという。
太陽が昇ってきたようで、世界は完全に夜の顔を失っていた。多くの人々が街の中を行きかい、雲の犇めく真っ白な空もなかなか明るい。
気温の上がる要素は一つもないはずなのだが、何が作用したのか朝の冷え込みが嘘のように暖かみがあった。
気味が悪いくらいに。
さすが有名急行と言うところか、朝早くにもかかわらず大勢の人が青い鷹を見ようと集まり、ホームはなかなかの賑わいを見せていた。すでにホームで次の発車を待っている青い鷹を数々のフラッシュが照らしつけている。
ただし、実際に乗る人間はあまりいないと思われる。
というのも、最近になってからまるで都市伝説に合わせたかのように列車で妙な事件が発生するようになったのだ。幸い大事には至っていないが、大抵の人は砂漠を迂回して二点間を行き来するようになっているのである。
これに乗るのは、物好きか、よほど急いでいる人だ。
今回もこれに乗り込む人間はあまりいないようで、乗車する人影は疎らだ。
仲の良さそうな老夫婦。小さな鞄を一つ抱える男。ブロンドの女の子と、それより少し年上らしい男の子。紺色の髪の女の子とスーツの男の二人組。…目立つ乗客はこんなところだろうか。
発車時刻が近くなってきたころ、車掌の制服に身を包んだ二人の男が乗降口の前で話し合っている。
年は同じくらいのようで、特に先輩後輩の関係は無いようだ。
「…ホントに利用客減ったなあ」
「まあ実際に妙な事件が起きてるわけだし、躊躇う気持ちは分からんでもないよ」
「俺が子供の時は、これに乗るのが一つの夢みたいになってたんだけどなあ。当日に乗車券が買えるくらいになるなんて」
「…それってさっきの子供二人か?あの二人は個室じゃなかったはずだが」
「個室も空き部屋があるだろ。仕事じゃなかったら俺が使ってる」
「ああ、同感だ。…お、そろそろ時間かな」
腕時計を見た車掌が慌てたように乗り込むとほぼ同時に扉が閉じた。
外の景色が後方へと流れていく。
街並みがしばらく続いたが、その数が少なくなってきた次の瞬間には視界が急に開けた。列車がレンバルト砂漠に入ったのだ。
大地は黄色というより濃い茶色で、断層のような大地の階段が上り下りを繰り返しながら地平線の果てまで続いている。砂漠と言う名を冠してはいるが、その大地は砂漠と言うよりも乾燥地帯と呼んだ方がふさわしい。
曇っていたはずだが、空を覆っていたはずの雲はいつの間にか後方に去り、日が高く輝いていて外の暑さは想像し難い。
フィストは窓枠に頬杖をつき、ぼんやりと外を見ていた。その中に何も見出すことはできないが。
ちらりとユリスを見た。フィストと違って礼儀正しそうな姿勢で長椅子に浅く座り顔だけを窓に向けて外を見ていて、その形からまるで動かない。その様子からは、「嬉しい」は勿論人としての殆どのものが欠けているのではないかという疑念が生まれてくる。
欠落というよりは、初めからそれがなかったのかもしれない。
フィストは、昨日にも増してユリスが被験体だった実験のことが気になっていた。
いったいその実験の果てには何が待っているのか。
人々の希望か、絶望か。
更にそれに加え、ユリスの行く末も気にしていた。
フィストは駅に着く直前、行くあてがあるなら送っていくと彼女に言った。
しかし彼女は、行くあては無い、フィストと一緒に行きたいと言った。
フィストも西へ着いたところで行くあてなど無いのであまり人のことは言えないのだが。
フィストは引っかかりを感じたが、仕方なく彼女も西へ連れて行くことにした。
二人分ともなれば列車の乗車代も座席分しか無かったが、二人ともそれに関しては特に何も思っていない。
母の残像がフィストの目に浮かんできた。昨夜の夢が嫌にはっきり思い出される。
最後に見せた笑顔を思い出すと、切なさがフィストの胸に込み上げてきた。
父も母もないまま、フィストはこの六年を生きてきた。
昔はよく泣いていたのだが、今はもうその現実に涙を見せることもなくなっていた。
忘れかけている親のぬくもりへの憧れがあんな夢を見せた。フィストは自身にそう言い聞かせていた。
しかし、夢の中にはユリスもいた。親のぬくもりへの憧れとは関係ないはずの存在。
会ったばかりの人が夢に出るのは逆によくあるのかもしれないが、母が自身に言った意図に対する納得のいく理由を見つけられずにいる。
深層心理が云々だと強引に理解したつもりでいるのだが、彼女が自分にとって特別な存在であるという思いも捨てられないでいた。
彼女を守らなければならない。
そんな使命感が、僅かだがフィストに生まれていた。
外の段差が高くなり低くなり、時に視界を塞いでは瞬時に後方へと流れていく。
一体自分とユリスはどこに向かっているのか。
そんな不安も、窓の外で遠のいていった。
フィストが頬杖をつきながら外を見ている。違うものを見ている可能性もあるが。
ユリスもフィストと同様の状態だったのだが、足に何かがぶつかる感覚で意識がそちらに行った。
ガラスのような透明感のある小さな玉。
摘みあげて覗くと、外からの光が屈折して見える。風景も車内も複雑に歪み、さらに辺りを見回してみようと横を向く。
広がった女の子の顔がそこに映った。
摘まんでいた手を下ろすと、大きな瞳がまっすぐにユリスを捉えていた。そして無言で、微動だにせず、その玉に意識を集めている。
ユリスと同い年くらいの見た目だが、妙に大人じみた表情をしている。
「…あ、ごめん」
少女の要求を察して持っていた玉を差し出す。
少女はしばらく動かなかったが、二、三歩近づいて掬いあげるように両手を差し出した。だが、その瞳は相変わらずユリスを捉えて離さない。
摘まんでいた指を玉から離す。受け取った手はゆっくりと戻っていったが、なおも少女は固まったようにユリスを見続けていた。
ユリスは対処に困った。もう用事は無いはずのユリスに、何かを求めるような視線を浴びせている。親のやってきそうなものだが、連れ戻しに来ない。
「…えっと、その…」
何か言おうとして口を開く。しかし、言葉がまとまらないうちに瞳の中の雫に気づいた。
頭が下を向き、無表情だったそれの形が一気に崩れた。すすり泣く声が耳に入る。
更に間を置かず、すすり泣く声が確かな泣き声…ようやく幼女らしい振舞いになった。
ユリスにとってそれはどうすればいいか分からない事態だった。ただ、泣き声の節々に聞こえる「死にたくない…」という言葉がユリスの心の奥の何かを大きく揺らした。
ユリスはひとまず自分の席に座らせて落ち着かせることにした。
座った後も少女はしばらく泣き続けた。体を小さくして、何度も目をこすっていた。
それでも次第に声が終息に向かっていき、大きな溜息を一つすると完全に泣きやんだ。
無論それまでの間、ユリスは何をすることもできずに少女の横に立っていた。一応は心配そうな顔をして彼女をずっと見ていたのだが。
こんな時にどうすればいいのか。ユリスは、その少ない知識の中を模索した。
「何で泣いたの?」
泣いた原因を取り除くという結論が出た。やや棒読みではあるが、その一言がユリスの精いっぱいの心遣いだった。
少女はうつむいたまま暫く黙っていた。列車独特のリズミカルな震動が沈黙に拍車をかける。
ユリスがもう一度聞き直そうとしたとき、ようやく口を開いた。
「私…死んじゃうの」
ユリスははっとした。
こうもあっさりとそんなことを口に出来るのか。そもそも、なぜ彼女はそんな事を言うのか。
少女は更に続けた。
「この列車で死ぬ…私が見えたの」
「…!」
「私、未来が見えるの、見えてしまう…信じてもらえないだろうけど」
ユリスの中に、そこでどう返したらいいのかという答えは無かった。
あれだけ泣かれてしまうと、ユリスにはあれを嘘と言い切ることが出来ない。
「…名前を教えて?」
ベストな答えが見つからなかったのか、ユリスは咄嗟に名前を聞いた。その質問が意外だったのか、少女が顔をあげてユリスをじっと見つめた。
「…名前?」
いぶかしそうな顔で確認を求めてきた。名前を聞く理由が分からないといった内心が表情に表れている。
「うん、名前」
「…ルフィーネ」
少女…ルフィーネは、まだ目は赤いもののだいぶ落ち着いたようだ。
しかし、名前以降の言葉を発する気配は無い。名前から会話を広げるのはユリスには無理難題なようで、こちらも黙り込んでしまった。
二人とも若干下向きになったままそれ以降の会話を続けられない。
定期的な揺れが時を刻む。
ルフィーネが長椅子から降りた。
「…ありがとう。あと、ごめん」
黙り込んでいたユリスは慌てて首を縦に振る。
それを見たルフィーネは一度にこりと笑うと、列車の後方へ歩き始めた。揺れる車内を重い足取りで歩いて行く。
「きっとあなたには…いいことがあるから」
小さい声だった。ユリスは何と声をかけていいのか分からず、去っていくルフィーネの後頭部をただ見つめていた。
沈黙の中、ルフィーネの姿は後続車両へと消えた。
大事そうに、透き通った玉を持って。
自分には何かが欠けている。
ルフィーネとの会話を通して、ユリスは自身の無力さを痛感していた。
右拳を強く握りしめる。もやもやした胸の奥の何かが、ユリスにそうさせた。
余裕を持って配置された長椅子は殆どが空席になっている。
頬杖をついてうたた寝をする少年、背もたれに体重を任せて寝息を立てる少女のほかには、その二人と距離を置いて席についている男しかいない。身をかがませて小さな鞄の中に手を入れている。
普通ならば財布や本などの入っていそうなものだが、中にはぎっしりと雑巾のような布が詰まっているだけだ。
何かをくるむように押し込められた布の中へ男の手が入っていく。
いくらかあさっていると、突然男の眉が鋭く反応をした。手を引っ張り出してみると人差し指に赤い筋が走っていた。
源泉のように赤い水が湧き出して静かに指を伝う。
それを見つめる男の顔は、終始無表情だった。
あまりにも哀しいほどに。
「あ、そういえば思い出したんだけど」
「何を?」
二人の車掌が話し合っている。
「トレンチコート着た男からお前に伝言頼まれたんだよ」
「…なんて?」
「えーっと…『柵から逃げた羊一匹、盗んだネズミ一匹の確保。詳細は追って報告』…って、どういう意味だ?」
「あー、なるほど…いや、なんでもない。ちょっとバカ騒ぎしないかって誘いだよ」
「へえ…?」
青い鷹は茶色の大空を一直線に駆け抜けていった。