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目覚める竜  作者: 半導体
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53話 暁が如き光

 研究服は銃を隠し持っている。

 アーミルはそれが分かっていた。

「もうご存じかな?私はヴェクス。ヴェクス・ラムフィールドという」

 研究服―――ヴェクスは、わざとらしく今更の自己紹介をした。

 アーミルは負傷した箇所を押さえながらも笑いながら向き合っている。

「あんたがここのトップか」

「…名乗られたら名乗り返すのが礼儀だと私は思っていたが」

 まだ銃は出してこない。後ろのフィストがピンチなのは音だけでも分かるが、背中を向けた途端に撃たれて終わりだ。こちらを先に済ませなければ何も出来そうにない。

「あんたは根に持つタイプとみた。覚えられたくないから教えないでおくことにする。…まあ、どうやら教えなくても知っているようだが」

「慎重であり臆病でもある、か。確かにそうかもしれない」

 ヴェクスの言葉はあくまで重い。多数の人間を束ねるのにふさわしい威厳がその声からありありと伝わってきた。今アーミルに押し寄せている衝撃を、恐怖以外のどんな言葉でも言い表せそうにない。

 ヴェクスの視線がアーミルから外れる。その対象が何なのかは、見ずとも分かる。

「君が助けに行かないと、あの子は死ぬぞ」

「……」

 誘っている。背を向けるその時を待っている。

 ならばおめおめと引っかかるわけにもいかない。

「残念だが、あんたの思ってるほどあいつはヤワじゃない。いろんな試練を乗り越えてきた立派な男だ。だから絶対に死なない。俺が保証する」

「大した自信だが」

「それに」

 強く言いだし、ヴェクスの反撃を塞いだ。そして更に続ける。

「あんたは俺を行かせないはずさ」

「…」

 反応はしない。

「まさか敵に背中は見せられないだろう。後ろから―――そう、例えば撃たれたりしたらシャレにならないだろう?」

「おやおや」

 意地悪そうに笑ったヴェクスがその服の右側をめくり上げた。

 銃の入ったホルスターがしっかりと存在を認知できた。

「隙だらけに見えたが、それほど間抜けでもないらしい」

「お褒めにあずかり光栄です」

 わざとらしく礼をしてみせる。

 傷口の痛みはどんどん増していくが、余裕のあるように笑って見せるのは決してやめない。余裕を見せ続けなければ絶対に勝てないとアーミルは思ったからだ。

 ヴェクスの余裕は本物のようで、まだ汗ひとつ見せずにアーミルと対峙している。

「だが、私も引くことのできない理由がある。調べがついているのなら、君も分かるだろう?―――兄ならば」

 そう言った時のヴェクスは闇を一瞬消し、幾分か寂しそうにしている。

 アーミルはそれに同情するでもなく、ただ口の端を釣りあげながら言葉を返す。

「ああ、分かる。そしてこんな方法で解決するべきでないのも分かっている」

 フィストの希望を尊重すべく、アーミルは武力に頼るのをやめてヴェクスが銃を捨てるのを慎重に待っている。まだヴェクスは少し俯いたままそうしようとはしていない。

 顔を上げたヴェクスは、急に余裕のなさそうな顔になった。というより、悲しみを帯びた怒りの表情になっているようだ。

「そんな物は詭弁にすぎない。彼もなんとか平和的に終わらせようとことを進めていた。しかし、ベルトニアは決してその努力を実らせようとはしてくれなかった」


 アーミルは調べがついていた。

 ベルトニア―――オルディアと隣接する、強大な力を持った軍事国家。しかし国自体は平和思想でまとまっていて、軍部は大概被災地の救助活動や犯罪の制圧をこなしている。

 長い間同盟国としてオルディアとは強い結託があったはずなのだが、現王ハーゲンティは即位するや否やその同盟を解いた。何を考えているのかと国内の反発も多少はあったが、やはり相手が軍事国家であることもあってそこまで追及はされなかった。同盟を解いた理由は今も正式には公表されていない。

 アーミルは知っていた。ハーゲンティがなぜそんなことをしたのか。


「だから胡散臭い研究であの子を兵器につくりかえて、それで脅しをかけようとしていたってことか」

「…名推理に拍手しよう」

「間違いには気づかなかったのか?これじゃ駄目だって、途中少しも疑問に思わなかったのか?」

 ヴェクスは黙る。吟味するような眼差しをアーミルに向けている。

「もっと他にするべきことがあったはずだ」

「すべては王の―――ハーゲンティ様の為。私は彼と約束をしたのだから」

「その約束のためならどんな犠牲が出てもいいのか?人が死んでもいいのか?」

「…未練がない、とは言わない。犠牲を強いたことに心が痛まなかったわけではない」

 トーンが下がっていた。その部分には後ろめたさを感じているということだ。

「…銃を捨ててくれ。もうその必要はない」

 たたみかける。

「しかし」

「俺は“彼女”の居場所を知っている」

「―――!」

 その言葉でヴェクスの顔から完全に余裕が消え、代わりに驚愕がそこを占拠した。

 何も言わなくなった。

 ヴァクスがゆっくりと天を仰ぐ。

 アーミルはただひたすらに待った。

 やがて、疲れたように口を開いた。

 別人のような変貌とともに。

「…君は全て知っているようだが…まだ分かっていないことはあるか?」

「何が分かっていないか分からない。だからもう一度、確認させてほしい」

「…ああ」

 事前に調べは付いていた。何がきっかけになり、何をしてきたのか。すなわち何をすればこの研究をやめさせられるのかを、アーミルは既に知っていたのだ。

 つまり、“彼女”を見つけ出すこと。

「…もう何年前になるか…ハーゲンティ様が十歳ほどの時だ」

 そして語りだす。






 大広間の中央階段。人よりも遥かに大きいシャンデリアが隅々まで照らしつけている。人の通る赤い道筋は赤いカーペットで印され、豪華絢爛の極みを尽くしている。

 ヴェクスが訪れた時、ハーゲンティはその階段の途中にうずくまってシャンデリアの光を受けられずにいた。それはあまりに暗く、また何かに対する莫大な怒りを伴っている。たとえ十歳いくらかの子供であっても、それは近づくことを躊躇わせるものだった。

 だがヴェクスは声をかけた。それは、ただ単に心配だったから。

 少し前に写真をせがんできたときの、初めて見た子供らしい姿を忘れられずにいたから。

「どうしました?」

 下を向いていた幼顔がゆっくりと上がった。兎のように赤くなった瞳がヴェクスの存在に気づく。その赤い瞳を見て、ヴェクスはやはり大変なことが起きたのだと悟った。

 彼は今まで人前で弱いところを見せたことが無い。転んでも、物をなくしても、父王に叱責を受けた時でさえ、普通の子供なら泣き叫ぶだろうに、毅然とした態度でそれらに立ち向かっていた。

 周りのものは口をそろえて、次期国王として周囲に強く見せるためだろうと言った。

 それが国王としてではなく一人の兄としての強さのためだとヴェクスが理解したのは、彼からその答えを聞いてからだ。

「妹がいなくなった」

 どれだけの間泣き続けているのか、声は完全に嗄れてかなり聞き取りづらいものだった。

 照明は暖房能力を持っていたりすることは無い。階段の途中のそこは体がかじかむほど寒いはずだ。それでも彼はそこで小さくなることを選んだのだ。それほどショックが大きいということだ。

「妹様が…」

 ヴェクスはまたしても驚いてしまう。彼がハーゲンティの妹の存在を知ったのは先日の写真を撮った時だ。それまでフェラートの子はハーゲンティ一人だと信じていて、まだ信じ切れていない。

 王に新たな子が生まれれば、どんな子だろうと少なくとも噂は広がる。知らせはおろか、そんな噂の一つも立っていない。しかし確かに、今まで見たこともなかった少女の姿を先日確認しているのだ。彼の言うことを嘘と割り切ることもできない。

 とにかくヴェクスは、その存在がよく知られているかのように振る舞うことにした。

「どこかへお出かけになられたのでは?」

「そのはずだった。実際に今朝、母とともに出発するのを見送ったばかりだ」

「では…」

「母はいつの間にか帰っていた。なぜかひどくショックを受けているようで声はかけられなかった。僕は妹を呼んだが、いつまでたっても出てこない。いつもは呼んだらすぐに飛んでやってきたのに」

「…」

「父に聞いた。妹はどこにいるか知らないかと。言葉を濁した。もっと強く聞いた。そしたら…」

 記憶の再来。そこで言葉が切れたのは、その後に続く最悪の言葉を思い返しているからだろう。再び涙を溢れさせた後、さらに語勢を強めて一気に言った。

「外出先で攫われたと!ベルトニアのものに拉致されたと!そう言った!同時に…妹のことは忘れろと!」

 再び顔が伏せられた。実の妹が目の前から突然いなくなった悲しみ…ヴェクスには想像がつかないほどの苦痛だろう。ましてそれを背負うのはどんな大人でもない、成人の半分しか生きていないこの少年なのだ。胸の張り裂けそうな思いに違いない。

 この涙は、次期国王であったとしても、それ以前に人間として当然の反応だった。

 その一言は、その子が次期国王だからではない。苦しむ一人の少年を救ってやりたい、その一心だった。

「私も、微力ながらお手伝いします」

「…ヴェクス…」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔がヴェクスを見る。

「ベルトニアは平和思想の国ですから、隣国、それも同盟国の人間を拉致するとは何か余程の理由があるのでしょう。しかし同時に、そこは世界有数の軍事国家でもあります。もしこちらの話を聞き入れてもらえなければ、我々は成す術がなくなってしまいます。…しかし拉致は誰もが認める非人道的行為、道はあるはずです」

「…とりあえずハーゲンティ様はベルトニアに直接要求してください。拉致した人間をすぐに返還するようにと。もしそれが上手くいかなかった時のために、私がベルトニアを超える戦力を準備いたします。もしあちらが交渉に応じなかった時は、その戦力を提示し、もっと強く揺さぶりを掛けるのです」

「…しかし、ベルトニアの戦力を超えることなど…」

「一つだけ―――心当たりがあります。ハーゲンティ様も聞いたことがあるのではないでしょうか。『人工の人ホムンクルス』を利用して生きた兵器を創りだす秘術の話」

「…まさか『生物錬成』のことか?しかし、それはただの都市伝説では…」

「いいえ、そうとも言い切れないのです。私の研究の一部で、科学の力だけでは解明できない事実が幾つか発見されています。それこそ錬金術の一部…ひいては『生物錬成』に繋がっていると、私は確信します」

 その自信に満ちた説得に、ハーゲンティはようやく希望を見出したようだ。

「成功までどれだけの日数を要するかは分かりません。数年…いえ、数十年かかるかもしれません。それでも、ハーゲンティ様は戦い続けることができますか?」

「…ああ勿論、妹のためなら。王位を継いだら、セントヘイムの近くの研究所も使用できるようにしておく」

「ハーゲンティ様…」

「だから…ヴェクスも僕を支えてくれ。妹と会えるその日まで」

「ええ、約束します」






「私の中でハーゲンティ様はまだ子供。妹様のせいで時間が止まってしまった。私は、そんなハーゲンティ様を助けたい、その一心で研究を続けてきた。諦めたらハーゲンティ様を裏切ることになると我が身に言い聞かせ、人命を賭した実験をも心を鬼にして断行した。…笑いたければ笑ってくれ、その方が私も楽だ」

 長く語って疲れたのか、ヴェクスの疲労の色はだいぶ濃くなってきていた。

「…本当にバカだな、あんたは」

「そうか…。君が妹様の行方を知っているのなら―――もう研究の必要もないのだな。多くのキメラを創りだし、ユリスやフィストを殺そうと暗躍するのも、そしてあの子も…」

 生きる支えを失った…文字通りのそんな表情が、ヴェクスの闇を払拭していく。

「そうだ、もうこれ以上罪を重ねる必要はない。鬼になる時は過ぎたんだ…さあ」

 アーミルがそっと催促すると、ヴェクスは服の右側に手を入れて銃を取り出した。アーミルは一瞬緊張したが、ヴェクスはその銃を遥か後ろに投げ捨てた。カシャン、と気持ちいいほどの音がして遠くへと滑って行く。

 アーミルはそれを確認すると見計らったかのように後ろを向き、フィストの安否を確認した。無事かどうかは不安だったが、二人の戦闘は行われておらず、何故かユリスが加わって何かを話している。

「よかった…フィスト」

 アーミルが安心し、一歩足をそちらに出す。


「―――だが」

 ヴェクスの最後の闇。

「後始末は私自身がつける」

 はっとして振り返った。ヴェクスが銃を構えているがその狙いはアーミルではない。彼の服の左側にもホルスターが装備されていたことに、アーミルはその時になって気づいた。

(しまった―――こいつ銃を二丁持って―――!)

 しかし、もう遅すぎた。




 フィストは壁に追い詰められていた。

 まるで動きが見えない。フィストは銃をしまいこんで全く反撃をしていないのだが、女の子はそんなことお構いなしでフィストに連撃を叩きこんでくる。左腕に二発、右足に一発、右耳に一発。それぞれあの閃光が掠めていった跡がある。中でも右足のものはほぼ中心を捉えていて、とめどなく血が流れていた。

 一歩ずつ、決して急がずにフィストに近づいてくる。慈悲とか残忍とか、そんなジャンル分け出来る存在ではない。

 それは、誇り高き竜の如く。


「……」

 ほんの一瞬だが、先ほどとは違う声が頭に聞こえた気がした。

「…あのさ、君」

 フィストは彼女を兵器としてはとらえなかった。ユリスが『そう』であったように、その子もまた人間であるはずなのだ。フィストはそうだと確認していた。ならば彼女を殺すことはフィストの望むところではない。

 だから、声をかけた。

「名前、何ていうの?」

 何がそうさせたのかは分からない。そんな状況でないのは確かなのだが、しかしフィストは、はっきりとした自分の意思でその質問をしていた。

 他愛もない質問だ。だからこそその場にはそぐわない。

 女の子は足を止めた。考えているのか、そんなことを聞く真意を探っているのか。

「あなたもうすぐ死ぬ。知っても仕方がない」

 フィストはその時にようやく彼女の肉声を聞いた。可愛らしく幼い声だったが、それは事務的で、見た目の年齢と話し方は全く合わない。そんなことをフィストは気にしていないようだが。

「君は多分…人間だ、兵器じゃない。だから、君にも親がいるはずなんだ。ならその人たちが、君に名前を付けたはず」

「関係ない」

 短く言った後、掌を向ける。

 次は右腕だろうか、左足だろうか、それとも直接心臓を狙ってくるか。そんなことよりも、フィストはまだ名前が気になっていた。時間稼ぎとか言う理由も結果的にはあるのだろうが、フィストになおも質問させたのは一体何なのだろうか。

「関係なくなんか、ないよ。君の名前にも、ちゃんと意味がある。つけてくれた人の思いが」

「……」

「そんな名前をさ、一人でも多くの人に知ってもらえるのって幸せなことなんじゃないかな」

「つけた人の思い…幸せ…?」

「だから知っておきたいんだ、君の名前を。たとえもうすぐ死ぬとしても」

 フィストは言っているうちに、まるでこの子に告白しているようだと恥ずかしくなって僅かに笑った。

「……」

 言おうか迷っているらしく、手を突き出した姿勢のまま固まっている。


「リュナ」

 それはその子の声ではなかった。もう少し成長した、そして息の切れた声だった。

 フィストは驚きを隠せなかった。いるはずのない人間が、そこにいた。

「それが、この子の名前」

「ユリス…!なんで…」

 だがユリスはフィストの質問に答えず、フィストの前に立ってリュナと向かい合った。

「ユリス」

 リュナが名前を呼んだ。呼ばれたユリスは嬉しそうに微笑む。

「…まだ覚えててくれたんだ」

「当たり前。あなたいい人」

 リュナは上げていた手を下した。しかし、フィストを殺そうとしているのに変わりはないようだ。

「そこどいて。後ろの人殺す」

 脅しをかけているのではなく、機械的な単なる『お願い』だ。勿論ユリスは動かない。

「…やっぱり、私と一緒…私もそうだった…物事の善悪が分からなくて、ただ喋るだけの生きた兵器に仕立て上げられた…」

 ユリスが俯く。同じ境遇の人間の存在を憂いている。

「ユリス、どいて」

「もう十分だから、これ以上犠牲を増やさないで。もう人が苦しむのは見たくない…」

 泣いているのだろうか。後ろから見ているフィストには分からない。しかしリュナの様子に変化はなく、まだフィストを殺すという思想に揺らぎはない。

「ユリス、あなた殺したくない」

「…殺したくない?」

 その一言にフィストが反応した。

 今の一言は紛れもない『リュナの意思』だ。

 すなわち、リュナにはまだ人間の心が残っているということ。

 ユリスが叫んだ。

「…ルフィーネ、リュナを助けて!人に戻してあげて!」

「…!」

 その叫びでもその場は何も変わっていないようにも見えた。変わったと言えるのは、ユリスが俯いたまま両手で顔を覆いあからさまに泣き出したことだ。声はこもっているが、幼い泣き声が流れてくる。




 フィスト、ユリス、リュナ。ほんの一瞬、フィストはこの三人の間を光球が通り抜けたように見えた。

 母親のように優しい光。

 それが彼らの気に留まることは殆ど無かった。




 その場を沈黙が流れる。ユリスのすすり泣きが響く。

「ユリス」

 フィストの声ではない。

「…ありがとう」

 ユリスが顔を覆う手を下した。

 目の前に、リュナが立っていた。何の表情の変化もなく言葉も相変わらず事務的だが、明らかな差があった。

 リュナがフィストに向き直り、じっと見つめる。

「ごめん」

 ぽつり、と言った。

「リュナ…!」

 歓喜の声をあげ、ユリスがリュナを抱きしめた。

「よかった…ホントによかった…!」

 ユリスの涙は止まらない。様子を見ていたフィストがふうと溜息をついた。

 一つの終焉。フィストには、この瞬間がついさっきまで遥か彼方にあるように感じられていた。それが彼の元までやってくるのに、さほど時間はかからなかった。

「終わった…んだよね」

 返答はないが、その様子はすなわち肯定を示している。

「……」

「…ねえ、フィスト」

「?」

 泣きじゃくったような笑顔が真っ赤になりながらフィストに向けられていた。

「リュナのことだけど…」

「ああ、そのことなら大丈夫だよ。殺すつもりは元から無いし」

「…それでね、私…リュナを……連れて帰りたいの」

「……」

 ユリスが言うには、リュナもまた今までここで育てられてきた身であり、これからもここにい続けるのは彼女にとって良策とは言えない。かといってここを出るにしても、どこにも行く当てがないのだそうだ。

 殆どユリスの予想から話しているらしいのでフィストはリュナにもその確認を取ったが、それで殆ど間違いはないようだ。

 どちらかと言うとユリスの希望が強く全面に出ている要求だったが、今言い並べられたことも間違ってはいない。実際にユリスはフィストに会わなければどこに行くつもりだったということもなかったのだから、リュナにもそれが当てはまるのだろう。

「…僕は別にいいよ。アーミル達はどう言うか分からないけど」

「……!っありがとう…!」

 不安そうにしていた表情から、再び満面の笑みへ。止まりかけていた涙が再び流れ始め、またもリュナを強く抱きしめた。それもまた、フィストにとって微笑ましい光景だ。

「…こっちは一件落着かな。あとはアーミルが―――」

 研究服と対峙するアーミルの方をそれとなく見た。

 そして気づく。

 気づいてからの行動はすぐだった。すぐに体を飛び出させ、まだユリスに抱きつかれているリュナの前に立ち塞がった。





 銃声。




 左胸を直撃した。







 リュナに狙いを定めていたのだろうが、発射の直前にフィストがその前に飛び出した。おかげで弾はフィストの、それもちょうど心臓のあたりをうまく抉った。

「―――――っ!」

 言葉にならないユリスの叫び。ヴェクスは銃を下に落とすと、脱力したように膝をついた。間髪を入れずにアーミルがその胸ぐらを掴み上げる。

「テメェ!後始末ってのはそういうことじゃねえだろうが!」

 ヴェクスは何も言わない。きっと心の中では身の全てを持って懺悔しているだろうが、アーミルにはどうしても許せなかった。

「フィスト!しっかりしてフィスト!」

 ユリスが倒れたフィストを抱き起こして名前を呼んでいる。そしてそれをリュナが釈然としない様子で見ている。アーミルもヴェクスを放り出しフィストに駆け寄った。

 着ている服の左胸部には、一つの穴が空けられていた。



「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ユリスの叫びが、波のように広がっていった。

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