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目覚める竜  作者: 半導体
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52話 研究所『参』

 右に曲がった。アーミルの背中が一瞬視界から消えるだけで何故だか不安に駆られる。追って曲がればその背中はすぐに目の前に現れた。

 左に曲がった。後ろの足音も気になったが追いつかれることはないだろうとフィストは踏んでいる。無論、転んだりすれば別だが。曲がるたびに転びそうになるのだが、なんとか体のバランスを保って倒れずに済んでいる。

「この先を右に曲がったら目的の部屋だ」

 アーミルが前から叫んだ。目的地、というのはおそらくこの研究所の所長の部屋だろう。そこに彼がいるのか、三人ともただひたすら祈るばかりだ。

 右に曲がる。その先の廊下はあまり長くなく、突き当りに一つだけ扉を有している。飾り気のない姿で、そこが本当に目的地なのか若干疑いたくなってくる。だが他の扉はないのだから、もうそこに飛び込むしかない。

「このっ!」

 扉を蹴破る。そのアーミルに続き、二人も流れ込むように部屋に入り込んだ。



「…なんだと…?」

 確かにその部屋は、目的地で違いなかった。

 置いてある調度品や高価そうな椅子など、所長の部屋らしい雰囲気は誰が見てもよく感じ取れる。

 だが、肝心の彼の姿がそこには無かった。

 驚くほどその部屋は静かだったのだ。

 その静寂がじっくりと三人に染み込んでいった。

「くそ…いないのかよ…!」

 ダルタが悔しそうに拳を握り締めていた。いくら部屋の中を見回してみても、人の姿はおろか生物的な影は何も見当たらない。

 部屋の外から走る音が聞こえる。追手は確実に三人に迫って来ているようだ。

「どうしたもんかな?当てはもう無いんだろ?」

「ああ…部屋の数が多い、どこにいるかの予測はほとんど不可能だ」

 冷静を装って考え事をしているようだが、耳に迫りつつある足音はそんな余裕を持たせたりはしない。結論はなかなか出てこないようだ。

「……」

(―――――…)

「…?」

 焦燥の様子だったフィストの顔がその雰囲気から一瞬で離脱した。催眠術にかかったように切迫した感情が欠落し、追手の迫る廊下へ視線が向けられている。

「…声が…聞こえる…」

「は?声?」

 ダルタが呆けた声を上げるが返事をしない。ダルタの耳には何も聞こえないのだが、フィストは確かにその声を聞いてそれにいざなわれているらしい。現実に意識が残っていないのか、そのまま廊下に出ようとしている。

「おい、危ないぞ!」

 アーミルが肩を掴むとようやく目が覚めたらしく、困惑した様子で辺りを見回した。

「どうした?」

「…聞こえた…どこにいるのか、今聞こえたんだ」

「……それは、お前にレポートを盗ませた『声』か?」

「…うん、そうだ。あれはそれと同じ声だった」

 普通ならば軽くあしらわれるような戯言なのだが、アーミルはその『声』の信憑性をどこかで容認していた。だからこそフィストの言うそれの可能性にかけようと決断する気になったのだろう。

「…よし、案内してくれ」

 フィストもすぐに頷いたのだが、足は動きだすことはなかった。

 その部屋に他の扉は見当たらない。ここから脱出するには、聞こえている足音の集団を通り抜けなければならない。

「ここで籠城戦をしてる時間はないぞ」

 アーミルが言うまでもなく、全員がそれを理解している。障害物が多いので相手の銃弾をかわすことは可能だが、その間に標的に逃げられるかもしれないし、何より資料庫にいる三人にいつ危険が及ぶか分かったものではない。

「……しょうがねぇ」

 呟いたのはダルタだ。

 二人が視線を向けると、懐から新品のナイフを取り出していた。全く汚れの無い刀身が部屋の明かりを反射している。その美しさに、思わず手を差し出してしまいそうだ。

「あいつらをここに誘い込もう。そしたら俺が引きつけておくから、おまえら二人は先に行け」

「……」

 一人では、とは言わない。彼にはそれ相応の実力があることを二人とも分かっているからだ。だが仲間を置いて行くという行動に対する抵抗が二人に訝しげな表情をさせているのだ。

 それに気づいたのか、ダルタはいつになく真面目な表情をあらわにした。

「いいか、そいつと因果で結ばれてんのはお前ら二人だ。俺はそれに関して手を出すことはできない。今まで引きずってた怨讐…いや、決意を!自分たちの手で結実させるんだ」

 何を言いたいのかよく分かっていた。

 ダルタには標的を打ち取る個人的理由がない。だがフィストとアーミルにはそれがある。後悔を残さないためにも、二人に任せようというわけだ。

「別に殺しにかかるわけじゃないさ」

「そうかい、それは何より。雑魚は俺に任せて、思う存分語り合ってこい」


 三人が大きな机の影に隠れる。同時に、扉から幾つか足音が部屋に踏み込んできた。

 およそ八人…やや面倒くさい数だ。ダルタが煙幕を準備し、二人は外に向かって駆け出す姿勢をしている。

「…ダルタ」

 フィストだ。

「どした?心配なら不要だぜ」

「…何ていうか、あつかましいお願いなんだけど…」

「?」

「出来るなら…誰も、殺さないでほしい」

「……」

 どういった考えでそう言うのか。

 彼らは確実に殺意を持って襲いかかってきているだろう。そんな彼らを殺してほしくないという願いも、フィストが言うならばダルタにも理解できた。

「…努力はしよう。お前の過去に報いる意味でな」

 バスティールや、ルフィーネのこと。おそらく話で聞いただけのギースや、彼の犠牲になったこの研究所の人々のことも。フィストは誰であろうとも、もう死者を出したくない…そう願っている。

 人が死ぬことの重さを、誰よりも理解している。

「じゃあ、ご武運を」

「お互いにな」

 ダルタが小さな玉を机の向こう側に放り投げる。そこから煙が噴出し、部屋が真っ白く染まった。

「行くぞ!」

「ダルタ、あとはお願い!」

 アーミルが駆け出し、フィストもそれに続いた。煙の薄い扉の外が視界にかろうじて確認できる。

 煙で混乱している八人は、一気に飛び出した二人には気づかなかったようだ。

 あまり時間を置かず、煙幕が次第に薄らいでいく。

「……誰も殺すな、か。難しいこと言ってくれるじゃねぇか」

 ダルタが机の上に仁王立ちしていた。

 八人の視線はそれに釘付けになり、外に駆けて行った二人のことは完全に見逃される形となった。

「よかったなお前ら、あいつが優しいやつでよ」

「……!殺せ!」

 はっとした一人が弾糾し、全員が一斉に銃を構えた。

 銃弾が放たれると同時に、ダルタの姿が机の上から消えた。





 大量の紙束を取り出しては机に持って行き、一つ一つ目を通してから戻す。この単純で面倒な作業は、三人分の労力を持ってしても終わる兆しが一向に見えてこない。まだ調べていない紙の詰まった棚は百にも及ぶ数があるだろう。

初めて見るような単語の羅列、おぞましい挿絵に何度も声を上げそうになっては慌てて口を塞いでいた。


 調べる紙束が三組目を迎えた辺りでユリスの手が止まった。

(―――――…)

「え?…なに?」

 思わず聞き返す。返答はなく、ただ同じフレーズだけが繰り返される。

「…なに?何を言ってるの?」

 なおも再生される、聞き覚えのある声。

「…ひょっとして…クレア?」

 自分を逃がし、フィストと巡り合わせた声だ。ただし、今回のそれはずいぶんと焦りを感じさせる。聞くだけで胸騒ぎがする。

「ユリスさん?」

 その異変に気づいたリメールが声を掛けてきたが、ユリスには届いていない。

「呼んでる…行かなきゃ」

 持っていた紙束を床に落とした。足元に紙が山となって広がる。それをひょいと乗り越えると、扉へと一直線に歩み始めた。

「ユリス、ちょっとどこ行くの!」

 ティリアの呼びかけにも全く反応せず、糸に引かれるマリオネットのようにその姿は外へ消えた。

「もう、ユリスは何をやってるの?」

「怒るのは後にして、早く呼び戻しましょう」

 またしても言いつけを守れないことをこの場にいないアーミルに詫びつつ、二人は追って外に飛び出した。ユリスはその時にもう廊下を走りだしていた。

「ユリス、危ないよ!早く戻ろう!」

 危険と無視を承知で叫んだが、ユリスは案外いつもの調子で振り返った。

「ごめん、出来ないよ。私が行かなきゃいけないの。取り返しがつかなくなるの」

「取り返し…って」

 その言い回しに、ティリアも押さえつけていた不安を膨らまし始めてしまう。

「それ…どういう意味?」

 驚いた様子で聞いたが、こちらは無視された。

 少し泣きそうな声だったのは、怖いからだろうか。それでもユリスは決して足を止めない。彼女のつま先はまっすぐ前を向いている。

「しょうがないなぁ…」

 ティリアが頭を掻いた。しかしその笑みからは嬉々とした感情すら見てとれる。

「やっぱ行くしかないか」






 フィストは階段を駆け下りていた。つまりは地下に入ったことになる。一度に何段飛ばしたか分からないくらい勢いよく、濁流のように駆け下りた。嫌に長く感じる。

 フィストは立ち止まった。少し遅れてアーミルも追い付いて止まる。二人とも肩で息をして足には震えが生じていた。が、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 長い廊下には扉が一つもなく、巨大な直方体に閉じ込められたと錯覚するほどだ。定期的に蛍光灯が並んではいるが、その光量はあまりにも頼りない。


 地下なので外の光はあまり入ってこない。蛍光灯の明かりも僅かで、白いであろう廊下はむしろ黒に近い色をしている。所々で、まさしくホタルのようにと持っている幾つかの明かりのおかげで何とか物の形状は把握できる。

 人が二人。アーミルを超える長身の研究服と、その半分にも満たないほど小さな女の子。暗闇の中で、研究服の眼鏡と女の子の首飾りが僅かな光を反射させて光っている。

 女の子はいたって無表情だ。その視線は氷のように冷たく、槍のように二人の体を貫いていた。

 圧倒される威圧感と流れ出る瘴気。三人を追いかけていた研究員たちとは比べ物にならない『闇』がそこに存在している。

「…そうか、君たちが上で騒いでいた侵入者か…」

 口を開いたのは研究服の方だ。

「何をしにきた、というのは愚問だな」

「よく分かっているようで」

 アーミルが薄ら笑いを見せながら言い返した。

「だが残念だ…実に残念。来るのが僅かながら遅かったらしい」

「……」

「最終実験が完了したよ、たった今」

 まるでそれを憂いているような口調だ。だが、発せられる言葉はその真逆を示していた。

「君たちでその成果を試す」

 目つきが変わる。

 本物の闇。

 とっさに二人も身構える。それと同時に、女の子が一歩、前に出た。




 二人が確認できたのは、それぞれが自身に感じた痛みだけだった。今の一瞬に何が起きてどうなったのか、分かることは何もない。痛みを覚えた部位を抑えると、その手がすぐに自分の紅蓮へと色を変えた。

 確か、女の子が右手を突きつけていた。間は数十メートルもあるだろうが、その掌から閃光が走って消えた。それだけだった。

 結果、光の筋は時間をかけずに二人に飛来し、正体不明の痛みが発生したのだ。

「…ぁぐ…」

 女の子の表情に変化は全く無い。一気に苦痛に表情を歪ませて膝を折るフィストとは対照的だ。

 感情が無い、と言えばよく表せているかもしれない。


 女の子の片足が軽く地を蹴る。僅かでも屈んだ様子はなかったのだが、その姿は瞬時に消え、フィストの目の前に現れていた。腕を振りかぶっている。

「―――っ!」

 叩きつけるような殺気からとっさに後ろに飛ぶ。直後、女の子の指が腹につき立てられる。

 そこを中心に体が後方数メートルにわたって吹き飛ばされた。跳んでいたおかげである程度ダメージは軽減できたようだが、体には亀裂の入ったような激痛が残っている。

「フィス…!」

 ト、は音にならなかった。指を突き立てた姿勢から空中で反転し、その勢いのまま回し蹴りをアーミルに繰り出してきたのだ。とっさに腕で受け止めるが、体が一気にスピードを持って研究服の方へ引っ張られていく。両足でブレーキをかけると、研究服とうまく対峙できるような位置で静止した。

「何だあの子は…!?」

 どうやら彼女は先にフィストに狙いをつけたらしく、アーミルを一瞥してからフィストの方にゆっくり歩き出した。

 鬼神のようなオーラを纏いながら。

「…くっ」

 すぐにフィストを守りに行こうと一瞬は考えたが、それはすぐに諦めざるを得なくなった。

 彼のすぐ後ろにも、敵がもう一人いるのだ。

 すでにダメージが溜まり始めているが、決して臆さないように立ち上がって彼と向かい合った。


 勢いを殺す間もなく、体が壁に叩きつけられる。明らかに年下の、しかもほっそりとした女の子。その子の指一本でフィストは壁まで吹き飛ばされたのだ。身をもって体験しても信じることは容易には出来ない。

「あの子は……」

 このままではまずいと思い、懐に手を入れる。銃の握りが指に触った。反撃を、と考えていたのだが、その手はすぐに止まった。

 もう片方の手で腹を押さえながら前を見ると、研究服と向き合うアーミル、その手前でフィストを凝視しながら近づいてくる女の子が映った。

 その殺気。

 体が覚えていた。

 それは『あの時』のユリスのそれ。

 それよりもさらに強力になって。

 今度はフィストに向けられていて。

 恐ろしさが押しつぶそうと迫ってきていて。


 フィストは、ユリスの実験の成果が彼女なのだと確信した。

 それと同時に、出しかけていた銃を再び懐に納めた。

 そろそろオチが見えてきてしまっているのでは、と不安を感じてきている今日この頃。

 それに加え、次に長編を書くならこれの続編にするか新作にするか、などと考え込んでいます。まあこの物語をちゃんと終わらせることが先決ですが。

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