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目覚める竜  作者: 半導体
57/62

50話 研究所『壱』

 森の中に、何も変わらずにそれはあった。

 まるでくり抜いたような草原の中に、まるで入道雲を落としたような白さのままで。


 深夜だった。人口の明かりは皆無と思われるそこに白い塊が妖しく浮かび上がっている。ぼやけた輪郭にはフィストもユリスも、アーミルもティリアも見覚えがあった。記憶をたどろうとするだけでいずれも吐き気に似た気分に苛まれた。

 その林と茂みは建物を取り囲むようにそこの周りだけ姿を消している。それはまるで建物を浮かび上がらせているようでもあり、人を寄せ付けないまじないのようでもある。

 目の前、五十メートルほど先には正面の入口が見えている。六人はその茂みの裏に円になって座っていた。アーミルがその中心となり、全員に説明を施している。

「この時間は全員が二階に集まっているはずだ。今なら裏から入ればまず見つかることは無い。…もちろん、確実じゃないけどな」

 誰も反応らしいものを見せない。緊張のせいもあるだろうが、半分は恐怖も占めているだろう。

 建物から深い闇のような瘴気が津波のように押し寄せてその場を圧迫している。特にフィストは、それが以前よりもさらに強くなっているのをひしひしと体で感じていた。そしてフィスト以外も、フィストほどではないしろその影響を受けて多かれ少なかれ恐怖を感じている。

「うーん、それで…」

 アーミルが言葉を詰まらせる。親指の爪を噛んでいる様子から、彼の中で最後の迷いが膨らんでいるのが窺える。

「…三人とも、引き返すなら今だぞ」

「………」

 その問いは聞き飽きた、と言うようにティリアが嫌悪感をあらわにした。それでもアーミルはまだ吹っ切れられないでいるようだ。何かを言おうとしたが、哀しそうに目をそらして暫く黙りこんでいた。

「俺とフィスト、それからダルタが先に様子を見てくる。安全が確認できたら呼びに戻るから、それまではここで待っていてくれ。すぐ戻る」

 それだけ言ってフィストに目配せした。フィストはすっきりしないまま立ち上がり、歩き出したアーミルの後ろについた。それにやや遅れてダルタも立ち上がる。他の三人はまだその場に座ったままで、一応はアーミルに従うつもりであることを主張していた。

「……!」

 だが、急に何か思い出したようにユリスが立ち上がってフィストに駆け寄った。三人のいた位置から見えなくなする寸前のところでフィストが足を止める。

「…ユリス?」

「……フィスト」

 フィストがやや切なげに振り返ると、ユリスはその手に何かを握りしめていた。フィストがそれに気づいたことを確認すると、表情をほころばせてその手を開いた。

 何が握られていたのかちゃんと確認する前に、ユリスはそれをフィストに渡した。ちゃんと見なくとも、フィストにはそれが何なのか良く分かっていた。

「…返すの、遅れちゃったね」

「いや、別に…」

 もらうとすぐに、以前入れていた胸ポケットにおさめた。それを渡しておきたかったのだろうが、ユリスは更に何か言いたげだ。

「…私ね…これ、すごくいいものだと思う」

「…」

「だから…今度また…貸してもらいたいと思ってるんだ」

「…」

 再びこれを貸す。フィストがそれを実行するには、最低限この場面を生き延びて帰ってこなくてはならない。

 このタイミングでユリスが渡してきたのは、それが言いたかったからなのだろう。面と向かって言わないことに対してやや笑みをこぼしつつ、フィストはまた貸すことを約束した。ユリスの笑顔は更に明るいものになった。それも一瞬のことで、その場の緊迫した雰囲気に固い表情に戻ってしまう。

「……じゃあ…気をつけてね。絶対、死なないでね」

 本心ははっきり言っておきたかったようで、結局ユリスははっきりそれを口にしてしまった。その逼迫した心情を理解した上で、フィストはもう一度頷いた。

「アーミル!」

 座っていたティリアも何か想うところがあったのか、フィストを待っていたアーミルに声をかけた。

「……ホントに、すぐ戻ってきてよ?」

「なんだ?俺がいないと不安か?」

「…バカっ!」

 いつになく子供っぽいティリアに、アーミルのみならずダルタやリメールも可笑しそうに笑った。顔を赤くしていたティリアもそれにつられてすぐに笑い始めた。場の雰囲気が僅かだが和む。

「…それじゃ、ちょっと行ってくるよ」

 その機を逃さず、アーミルをはじめ三人はちょっとしたお使いのように気軽な様子で茂みの向こうへと歩いていった。

 その先にあるのは、相変わらずの白。


「……フィスト…」

 ユリスは三人の背中が見えなくなってもずっとその方向を見つめていた。再びその方向から彼らの姿が見えることを待ち望んでいるのだ。それを気持ちばかりが先走ってしまい、そのような行動に表れているのだろう。

 茂みからはみ出しそうなその頭に、ティリアが後ろから手を置く。

「大丈夫だよ、あの三人に限って死ぬなんてありえないって」

 力強い笑顔。

「私たちをここで待たせたのはきっと、連れていくなら少しでも安全を確保しておきたかったからなんだと思う。私たちも無理言ってついてきたんだし、それくらい分かってあげないとね」

 急に寂しそうになった。

「ユリスさん―――待ちましょう」

 リメールの繊細な笑顔。

「お二人は確実に、私たちの身に危険が及ぶことを何よりも恐れています。私たちにも出来ることはあるでしょうが、それ以上に足手まといになることの方が多いのは間違いないです」

 笑顔は崩れなかったが、言うという行為そのものが辛そうな様子だ。

「…そう、だよね」

 ユリスは自分の左胸を押さえ、不安に駆られる自分自身を落ち着かせようとした。

「でも、そうかもしれないけど…ティリアも、リメールも…」

 言葉は、こみあげる感情が一度突っかからせた。やはり落ち着き切れなかったらしい。

「…強がりすぎだよ」

 その場にいた全員の神経が、一瞬凍った。

「危ないのはあの三人にとっても一緒なのに…なんであの三人だけが無理するの?何でティリアもリメールも何も言わないの?」

「……」

「私は…後悔するんじゃないかって思うの。もしあの三人に何かあったら、待ってるだけだった自分を責めると思う。それはずっと…一生引きずる足枷になる」

「……」

「私は行きたい!すぐにでも後を追いかけたい!」

「ユリス」

「ユリスさん」

 子供をなだめる親のような声だ。

「落ち着いて」

 二人の声は重なった。


 ユリスは黙った。それは諦めたからではなく、二人の眼も自分と同じ色をしていることに気づいたからだった。

「…ま、結局」

 ティリアが頭を掻く。

「この中の誰も、ある意味でアーミルを信用してないってことなんだね」




 ダルタが扉の中の様子をうかがっている。扉に鍵がかかっていないのはあまりに不用心に思えたが、彼らにとっては好都合だ。監視カメラらしいものも見当たらない。

 アーミルとフィストは並んで壁に張り付いている。すぐ横でダルタが中を確認するように、二人もあたりに人の気配がないか常に気を配っている。

 必要以上に、その場は静まり返っている。

「…アーミル」

 耐えきれずにフィストが口を開いた。アーミルは建物の表の方を気にしていてフィストの方を見ない。

「嘘つき」

「…分かってたか」

 アーミルが降参したように言った。軽く苦笑いしているようだ。

「分かるよ。嘘つくの下手なんだね。あの三人にばれてるかもよ?」

「…それは…困るなあ…」

 誤魔化すように笑っている。あまり口に出して言うべきではないのかもしれないが、フィストとしてもそこははっきりさせておきたかった。

「……どうせあの三人のところには戻らないんでしょ?」

「ああ。やっぱりあの三人を巻き込むのは嫌だからな。ユリスのことは後でお前が伝えておいてやれ」

 投げやりなアーミルに対し、フィストは逆にある種のおかしさを覚えた。

「さあ、本当にまた会えるかな?」

「次に会うとしたら、全てを片づけた後か、あるいは―――」

「死体になって放り出された時」

 おそらく、ダルタもこの会話を聞いているのだろう。それを態度に全く見せないところは流石と言うべきか。

「…フィストは、俺を責めるか?」

 口には出さなかったが、フィストは心の中でそれを否定した。それはあるべき嘘でもあったし、分かっていて指摘しなかった自分にも気づいていたからだ。

「…大丈夫だよ、僕らは死なない」

 笑顔に力を込める。

「お前も言うようになったな…少しは成長した、ってことかな」

「……ちょっと違う気が…」

「おい二人とも、そろそろおしゃべりは終わりにしようぜ」

 ダルタが手で合図を送った。二人も表情を引き締め直す。

 音を一切立てず、三人は扉の内側に滑り込んだ。



 その廊下は依然として何も変わっていなかった。誰もいないと思えるほど静かで、雲の内側とも見られるほど白く、無個性な扉が一定の間隔でどこまでも続いている。

 ここで狂気に満ちた実験が繰り返し行われ、そして十三年前にはギースの悲劇もあった。そのはずだが、その無機質な空間からそんな禍々しいものは何一つ感じられない。あるのは、まさしくただの廊下だ。

 アーミルは黙々と歩いて行く。時々立ち止まっては何かを思い出すように考え込み、暫くしてからまた歩き始める、といったことを繰り返していた。廊下は左右に分かれ、もしくは脇に階段を備え、何かに引き寄せられるように二人は進んでいく。

 右に伸びる廊下を曲がると、すぐ目の前に突き当たりの窓が映った。そこは廊下というよりただのくぼみに近く、横に扉を一つ有して何とか廊下の名を保とうとしていた。

 アーミルが暫くぶりに二人に振りかえる。

「ここは…倉庫のはずだ。この中で二十分ほど隠れる」

「一応理由を聞いておこうか」

 訝しげにダルタが聞く。

「今の時間は所員全員を集めて二階でミーティングをしている、はずだ。出歩く危険は減るが、ミーティングが終わらないと目当ての人物に会えない。で、ミーティングが終わるまでは待たなきゃいけない。出歩くよりも、ここで隠れたほうが安心できるだろ?」

「…なるほど」

 思ったほど面白い内容で無かったからか、ダルタは興味を失ったように低い声で返答した。

「……ヴェクス…」

 黙って二人のやり取りを聞いていたフィストだが、彼はどうしても『目当ての人物』の顔が頭に浮かんだままそれを忘れられないでいた。

 会ったこともないはずなのに、その顔は分かる。

 かつての母の上司、ユリスの因縁の相手、この研究所の所長。情報は嫌というほど彼のもとへ伝わってきていた。

 情報の限りでは、到底話を聞いてくれる人物とは思えなかった。それでもフィストはなるべく穏便に事を進めることを願っているので、彼の説得を試みようとしていた。説得に応じてくれれば、それほど速く、かつ報われる道は他にない。

「…人を殺しに来たわけじゃない、か…」

 自分がファルに言った言葉がよみがえる。

 そしてフィストは、それが自分の妄想であることに気づかされた。

 躊躇していたのか、アーミルはようやく二人に背を向けてゆっくりとドアノブを回した。


 小さな部屋に、木箱が幾つか積み重ねられている。黒っぽく変色しているものもあれば、若干空いた隙間から刺激のある薬品臭を漂わすものもある。危険なのは一目瞭然なので、三人はそれらにぶつからないよう慎重に奥へと進んでいく。

「…二十分か…短いようで長いな」

「この部屋なら、ミーティングが終わったらそれっぽい音が聞こえると思う。それまではあまり動かない方がいいだろうな」

「……」

 それから三人は黙った。この場にふさわしい話題は三人とも生憎持ち合わせていない。それぞれ何も話す気になれず、最高の静寂がそこを支配している。

 早朝の裏路地、深夜の樹海、そんなものはこの場には遠く及ばないほど賑やかだ。

 無生物、人工的、邪悪…このどれか一つが欠けてもこの静寂を創りだすことは不可能だ。全てが揃ったここは、まさしく完璧と称する他ない。


 時が歩みを鈍らせる。今まで宇宙の歩んできた時が凝縮してそこを流れているようだ。


 沈黙。









 アーミルが小さく咳払いした。


 沈黙。












 フィストが溜息をついた。


 沈黙。













 ダルタが腕を動かすと、服の擦れる音がした。


 また、沈黙。











 二十分とは、あまりにも長い時間だった。

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