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目覚める竜  作者: 半導体
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46話 誕生

「いつもありがとうございます。おかげで助かってます」

 扉の隙間から覗くと、父親が白い服の男と握手をしているところだった。ちょうど取引額の交渉が終わったのだろう、二人の間にある低いテーブルの上には父の持ってきていた何かの木箱―――おそらく今回注文された品―――とお金の入った袋が並んで置いてあった。

 商売がうまくいくのは誰だって嬉しいだろう。今握手を交わしている二人の笑顔にはそれも含まれているはずだが、それ以前の何か大きなもの、奥深いところでの繋がりがその笑顔を本物にしていた。

「お父さん、嬉しそう」

 小さな声だが、ティリアも嬉しそうだ。

「だいぶいい売値なんだろうな。にしても、何の注文だったんだろ」

 もっとよく見ようとアーミルは更に顔を近づける。

 だがあまりに中が気になっていたせいで、二人は少しそちらに注意をやりすぎていた。

 ふいに二人の肩にのしかかる、重い感触。

「そんなところで何やってんだ」

 知らない声だった。だからこそ、一瞬心臓が止まったような錯覚を覚える。

 扉の向こうで笑い合う二人と、対照的に表情の固まる二人。

 極力首を動かさず、流し目で後ろを確認した。

 まず白い服が見えた。少しずつ動かしていくと、次第にその人全てが見えてくる。

 男だ。髪はぼさぼさでやや長め。どちらかと言うとがっちりした体格だが、どうやらアーミルとの年齢差は三、四ほどしかないらしく、その顔はまだ若々しいイメージだ。

 男の表情は冷やかに見えたが、声のトーンは子供に対して少し呆れた時のそれだ。すぐに苦笑しているようなものに綻んだ。

「…まあ、子供におとなしくしてろなんて言う方が無理な話だよな。とりあえずこっちに来な。何か飲み物でも出すよ」

 怒られる訳ではなさそうなのが分かると、二人の背筋からようやく寒気が引いていった。



「まあ、まずはココアでも飲みな」

 顔は笑っていないが、やはり彼も優しそうだ。今のところ二人のこの研究所への印象は良い。

 目の前には湯気を盛んに立てるココアが二つ並んでいる。ティリアが早速飛びつくが、生憎アーミルは猫舌なのでまだ口にはできない。

「俺はバスティール。君らは?」

「俺はアーミル」

「私はティリア」

 自己紹介は短く、簡潔にまとめられていた。二人とも余計に個人情報を教える必要性を感じなかったのもあるが、バスティールの態度がまるで幼児を扱う素振りだったのが気に入らなかったからでもある。

 ただ、実際に幼児なのは事実なのだから文句のつけようもない。

「ココア、おかわりもあるから」

 やはりこの扱われ方はアーミルには釈然としなかった。もしそれが全く飲まれていないアーミルのそれを見た上での発言だったのならそれも癪に障る。

 アーミルの胸中など知らぬといった顔でバスティールもココアを飲み始めた。

「バスティール、ここって何の研究所?どんな研究してるの?」

 好奇心旺盛なティリアが早速会話の糸口を紡ぐ。

 この状況で言えば妥当な質問だが、バスティールはそれに答えるのを嫌がっているようだ。

 数秒ののち、ようやく口を開く。

「人体内における変異化合錬成物とベルテニロ類属の偶発核理論料化剤のホード系第三次飽和エネルギー…の研究」

 言うまでもなく、二人にはまるで内容が理解できなかった。

 アーミルは『ベルテニロ』と『ホード』しか聞き取れなかったが、理解できないことを承知で言ったのだろう、もっと分かりやすく言ってくれと不満の声を漏らしそうなティリアに掌を突きつけてそれを制した。これ以上説明する気はなさそうだ。

「まあ、君たちの未来を潰したくはないからな。すまん、聞かないでくれ」

 そこだけは相手が子供であろうと関係のない、純粋な頼みだ。そしてすぐに話題を変えた時には、もう応対が子供へのそれに戻っていた。

「すぐ帰るのか?」

「いや…一週間ぐらい滞在するらしいよ」

 まだ年相応の振舞いはちゃんと出来ず、不器用にそう呟いた。

 発生する蒸気がやっと減ってきたのを見計らって、アーミルもようやくココアを口に運んだ。

 その甘い味に一瞬は心がとろけそうになったが、そのせいで自分がまだ子供であることを否応なしに再確認させられる。

「そんな嫌そうな顔するな。まあここを探検するのは勝手だが、あまり仕事の邪魔するなよ。あと、立ち入り禁止のところには絶対に入るなよ」

 立ち入り禁止とはすなわち入るなという意味なのだから、あまりこの注意の必要性は無いだろう。念を押す、という意味では確かに有効そうだが。

「分かった。それより、トイレどこ?」

 それをあまり重要なことと受け取らず、アーミルは今の自分にとってより重要なことについて率直に聞いた。

「トイレか。広いから分かるかな…」

 アーミルの急な振りにも嫌な顔一つせずに応対する様は、やはりそれ相応に歳月を重ねてきているのだろう。

「…いいや、俺が連れて行く」

 持っていたカップを置き、バスティールがゆっくりと立ち上がる。掌をひらひらと動かしてアーミルについてくるよう促した。

「あ、私も行く」

 独りになるのが嫌だったのか、ティリアも急いで飲みかけのカップを置いた。


長い廊下に機械的に扉が並んでいる。なるほどこれは迷う、とアーミルは心の中で納得した。

 時折壁に突き当たって曲がることはあっても、どの扉が何なのか、はたして別の場所なのか、それすら証明する材料が無い。一人でうろついたら最後、トイレはおろか元の部屋に戻ることもかなわないだろうと悟った。その意味で、バスティールに頼んだのは正解だったようだ。

 三人の足音が無駄に響き渡る。今のところこの長い廊下に他の人影は存在しない。

 実は無人なんじゃないかとアーミルが疑い始めた辺りで、バスティールの背中に顔がぶつかった。バスティールがいつの間にか足を止めていたのだ。

 扉の前だ。ほんの少し開いているようで、中の会話が僅かに漏れてくる。

「…ここトイレ?」

「シッ」

 何故か怒ったような表情。そんな顔をする理由は自分の中には見当たらなかったが、彼の注意がその扉の向こうに向けられているのは二人にもよく分かった。

 つられるように扉の中へ意識を傾ける。

「―――――たか?」

 その低い声はどこかで聞き覚えがなくもなかったが、印象がまるで違っていた。

 父と握手をしたあの男だ。

「はい。いつでも接続可能です」

 こちらはもっと若々しい声。ただ、あまりにも無機質な声だ。

「そうか。早ければ一週間後に開始するから準備を進めておけ」

 あまりに冷たい声。本当に同一人物なのか、にわかには信じることが出来ない。

「しかし、被験体のストックがありません。一週間で新しく調達するのは難しいと思われます」

「それは大丈夫だ」

「はい?」

 アーミルの聴力もそれがなぜ大丈夫なのかを漏らさず聞き取ろうと待ち構えていた。

「私の部下の一人がもうじき出産予定だそうだ。その子を回そう」

「…しかし、その方には了承を取ったのですか?」

「……その子の実験が後々…人を救うことになるのは保証する」

「その方の名前は…」

「クレアだ」

「そうですか、分かりました」


 自分の耳がおかしいのだと、アーミルは信じたかった。

 そうだ聞き間違いだと勝手に頷き視線を横にずらしたが、おそらく自分と同じであろう表情をした妹と目が合った。

 聞き間違いでは、ない。

 バスティールが歩き出していた。その足取りは見た目にも重々しい。

 自分の体が震えて制御しきれないが何とか音をたてずにそのあとをついて行く。

 ティリアもうまく立ち上がれていないのはアーミルも分かっていたが、手を差し出す余裕などなかった。

 それほど、とてつもないショックだった。

「…クレアさんの子…どうなるんだよ」

 バスティールにそう食ってかかったのは、トイレで二人きりになった直後だった。

 バスティールは何の反応も見せない。それが更に焦りと不安を掻きたてる。

「答えてくれ!あの子はどうなるんだ!」

 怒り。それは明らかな怒りだ。もう自分自身を押さえられない。

「…俺にも、分からん」

 対照的にバスティールは極めて冷静だった。

 次の一言が続いていなければ、アーミルは身長差を考えずに彼の顔を殴りに飛びかかっただろう。

「だが、俺は決してその子を不幸にはさせない。もしそれが危険な実験だとしたら俺が全力で守る」

「―――っ」

 今のアーミルの知識に、続けるのにふさわしい言葉はなかった。殴りかけていたその左拳をゆっくり下ろすと、もう頭の中が城で満たされていく。

「俺だって、ここでどんな実験がされているか全て知っている訳じゃない。一生を棒に振るような実験もあるだろうし、逆になんてことないような小さな実験だってたくさんやってる。その子が必ずしも不幸になるような羽目になるとは限らないだろう」

 言い返せなかった時点でアーミルは完全に負けていた。バスティールはそんなアーミルを残し先にトイレを出ていった。

 アーミルの怒りは彼に向けたものではない。おそらくそれは、自身に向けてなのだろう。

 結局は、バスティールの言ったとおりになるよう祈ることしかできないのだから。それがアーミル自身も、痛いほどに分かっていたから。





 三日が過ぎた。

 あまりにも急な知らせだったが、二人はすっかり眠ってしまった父親に伝えることもなく夜の街を駆け抜けていった。もし勝手に外出したことがばれれば稲妻が二人に落とされることだろう。だが、そのリスクを負ってでも二人は外出することを選んだ。

 心の中にあったわだかまりも、その時だけはきれいに忘れられていた。

 バスティールと合流し、そのまま廊下をたどっていく。彼はすぐに近くの扉に入り、それに続いてその部屋に飛び込んだ。

 そこにあった笑顔はそれまでと全く変わらないものだ。見慣れた笑顔が息を切らす兄妹を迎える。

 ベッドの中で体だけを起こしているクレア。最高に幸せそうなのは間違いなく『それ』のせいだろう。

 彼女の腕の中。ふわふわの布の中。

 新しい、命。

「名前は…」

 まだ舌がうまく回らないのは、走った直後だからだけではない。

 あの男の言っていたことなど、今のアーミルにはどうでもよかった。

「この子は男の子だから―――」

 もったいぶったようにクレアが言葉をためる。悪戯っぽい笑顔。

「フィスト」


 良い響きだった。その時の笑顔はとても印象深く、アーミルの記憶にしみ込んでいった。

「クレアさん、おめでとう」

 バスティールも言葉を重ねる。そして赤ちゃん―――フィストの顔をよく見ようとしたのだろう、クレアに近づいたが、その途端にフィストがぐずり始めた。

「えっ…俺、嫌われたかな…?」

 バスティールが苦笑いする。クレアもフィストをあやしつつ、くすくすと笑った。

「アーミル、可愛いね」

「あ、ああ…」

 ティリアが少し切なそうに言ったので、アーミルは今一度『あのこと』を思い出した。それを思うと、どうしても明るい笑顔が曇りがちになってしまう。

 それに気づいたのか、バスティールがアーミルの頭を軽く小突いた。

「言ったろ」

 まだ十六、七歳だろう男の、輝かしい自信と笑顔。

「俺が全力で守るって」

「……」

 もう疑う必要もない。絶対の安心を、その時初めて二人は手にしていた。

 この時が永遠に続いてほしい。この場にいる全員がそう思っただろう。



 その時間を引き裂いたのは、唐突な大地の震え。

「ん?」

 過敏に反応したのはバスティールだ。顔から笑顔が瞬時に消えた。

 より強い揺れと、今度は何かの崩れるような音がした。未知の何かに、驚いたフィストが大声で泣き始める。クレアが宥めるが泣き止む気配はない。

「様子を見てくる」

 耐えかねたバスティールが踵を返した。強張った表情を見る限りでは、やはりただ事ではない。

 扉がやや乱暴に閉められると部屋の中に赤ん坊の泣き声がより一層響き渡り、その不安を何よりストレートに表していた。言いようのない胸騒ぎが四人の中で共有されている。

「大丈夫よ…たまにあることだもの」

 忘れていた芝居の台詞の如くクレアが言ったが、それが嘘であるのは火を見るよりも明らかだ。安心させようとした心遣いは二人にとっても有難いものなのだが、生憎二人はそれほど素直な性格に育ってはいない。

 三度揺れた。今度は震えというより、地響きといった方が適切だ。立っているとバランスを保てないので、その場にしゃがみこんだ。

 このままじっとしていると、何か取り返しのつかない事態になるのではないかという不安が二人を襲っていた。


 何もしないでこの部屋で震えているのは、年相応の対処として最もふさわしいだろう。余計なことに首を突っ込んで自ら危険に立ち向かっていくには、それなりの力と経験が必要不可欠だ。そのどちらも満たさない彼らがここで働いても、足手まといになるのは間違いないだろう。

 それでも、何もせず他人のふりをするのは二人には我慢できなかった。

 揺れの中で立ち上がったのは決して単なる強がりによるものではない。

「俺も行く」

 それに驚いたのはやはりクレアだ。行ったら危険という予想は、その反応により確信へと変わった。

「駄目よ、きっとすぐ収まるから、ここで大人しく…」

「私も一緒に。アーミルを一人で行かせるわけないでしょ」

 ティリアもアーミルに同意する。こんなところだけ兄妹なんだな、とアーミルは心の中で笑った。

「クレアさん、ごめんなさい」

 その一言が、せっかく心配してくれたクレアに対するせめてものお詫びだった。一瞬後には、もう扉が思い切り開かれていた。

「ちょっと、待ちなさ…」

 クレアが手を伸ばしたが、フィストを抱いてベッドの中にいるクレアに二人の勢いを止める力は無かった。

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