40話 駆けつけた情報屋
何日経ったかなどとイチイチ数えている者はいない。始めのうちは寂しがっていたユリスも、フィストのいない生活に慣れてきたようだ。早く帰ってくることを切望する様子は相変わらずだが。
彼らが帰ってくるまであと二日。アーミルもまたファルの人格は知っているので、フィストがどのようになって帰ってくるか気にしていた。
何か見つけるものがあればよいのだが、ファルのようになっている可能性も否定できない。ユリスのためにも、それだけはあってほしくないと祈るばかりだ。
「紅茶淹れましたよ」
山のような書類に目を通していると、空いていたスペースにカップが置かれた。ユリスに頼まれて以来休みなく調べ物を続けているアーミルに気を遣っているのだろう。
「ああ…ありがとう」
「あまり無茶はしないでくださいね?アーミルさんが倒れたら元も子もないんですから」
「…そうだな」
返事をすると、自身でも項垂れるほど声に疲労が感じられることに気づいた。
リメールの言うとおり、この数日の無茶は相当なものだ。そもそも、国の最高機密に匹敵するほどの情報を集めようとすること自体に危険が付き纏う。ティリアやリメールもいろいろ調べているらしいのだが、簡単に集まるような物ではないのはアーミルがよく分かっている。だからこそ、アーミルがしていることは無謀とも呼べるものなのだ。
「そうだな…少し休もうかな」
大きく伸びをすると、全身が久々の活動に悲鳴を上げる。
「うぐ、痛たた…」
「あらら…湿布出しましょうか?」
「いや、それは大丈夫だけど」
腰を押さえながら立ち上がり、首を回す。鈍った筋肉が伸縮し、わずかながら疲労が抜けていく。それから置かれているカップに手を出そうとしたのだが、唐突に開いた入口の扉の音に遮られた。
「アーミル、ちょっと失礼するよ」
相変わらずの薄着に、袈裟がけの鞄。彼が何者であるか確かめるのは、顔よりもそちらの方が早く済む。
「おう、アレム。どうした、おまえからここに来るなんて」
「仕事を頼んできたのはアーミルだろ」
ぶつぶつ言いながらアーミルの前まで近寄る。心なしか、鞄のふくらみが以前よりも増しているように見える。
「あ、じゃあ…アレムさんの分も紅茶用意しますね」
「あ…いや」
給湯室に急ごうとするリメールをアーミルが止めた。
「リメールは、ちょっとはずしてもらえるかな」
「…?分かりました…?」
すっきりしない様子で頷くと、あとは何も言わずに部屋を出ていった。
「別に聞かれても問題なさそうだけど」
リメールの姿が見えなくなってからアレムが呟く。
「この間頼んだ『情報』のことだろ?あれに関しては、他のみんなをあまり巻き込みたくないからな…」
その心情を察したのか、アレムも頷いてそれ以上追及はしなかった。
「じゃあ、聞かせてもらおうか。わざわざ直接伝えに来るほどの『訪ね人』のこと」
「…アーミル、実は分かってたんじゃない?この『情報』がそういうものだってこと」
「確証がなかった。それにどの道お前に頼むつもりだったんだよ。今丁度俺も訳あって調べ物してるんだが、それ以上に集めるのが困難なものだと思ったからな、今回のそれは」
「…そうだよ。調べてて俺も驚いた」
そう言って鞄をまさぐると、数枚の紙切れがそこに取り出された。
「……すまなかったな、危ない橋をわたらせて」
渡された書類を一通り見終わり、アーミルが再びアレムに視線をやる。
「いや、もともとそういう仕事だしそれはいいんだけど…」
アーミルが書類を読んでいる間暇だったのか、机に積まれていたアーミルの『調べ物』に目を通している。子供には理解しがたいような複雑な言葉が乱列しているが、アレムは仕事の関係で例外となるのだろう。
「これ…調べるの大変じゃない?」
「まあ、な。でも大事な仲間のためだ、投げ出すわけにもいかないよ」
「俺が調べてこようか?『訪ね人』ほど難しくはなさそうだし」
軽はずみな一言だったが、アーミルは言葉を詰まらせた。
「これは…うーん…いや、やめておこう」
「え?でもこれ、素人が調べるのは難しいと思うんだけど」
「…お前はまだ若い。これにはまだ手を出すべきじゃない」
アーミルがなにを考えてそう言ったのかアレムには分からない。ただそれは決して浅はかな判断ではないことだけがはっきりしている。
自分のことを思ってそう言っているのが分かると、異論を唱えることもなくなった。
「…ま、頑張ってな。なんか相談があればのるよ」
「ああ…」
情報料を取り出し、アレムの手に握らせる。かなり無理があったらしいのでその金額は普段よりも多くなっていた。アレムはそれに関して特に喜びもせず、ただアーミルの事を心配していた。
「……あのさ…」
手に金を握ったままアレムが立ち尽くしている。何かをアーミルに言おうとしているようだが、かなり迷っているようだ。
「ん?まだ何かあるのか?」
「…これは…話しておこうか迷ったんだけど……」
「……そうか」
彼の持ってきた別の『情報』。聞き終わったアーミルは、横のカップに口をつけた。
「いや…ひょっとしたら関係ないかもしれないけど…知った時は怖かった…入っちゃいけない領域に踏み込んだような気がして…」
「それで俺に話しておきたくなった、そういうことか」
アレムは何も言わない。おそらくは本人も自覚していなかった程の図星なのだろう。
「…ごめん…なんか俺…」
「気にするなよ。それで少しでも気が楽になったんならそれで充分だ。ほら、追加の金」
一度しまった財布を再び取り出して口を開く。だが、それをアレムの方から止めた。
「いいよ、金なんて!俺が勝手に教えただけだし、アーミルには関係ないことだしさ」
落ち込んでいるように見えるのは、自分の知ったことの大きさを痛感しているからだろう。アレムがまだフィストほどの歳の少年だということを、アーミルは改めて思い返していた。
「アレム…情報屋という仕事は、いつも自分の持つ情報に翻弄されるものだ」
「…アーミル?」
「一流の情報屋ってのは、そんな撹乱に負けずにそいつらを操らなきゃならない。アレムは、そんな情報屋になるんだろ?」
その小さな頭を撫でる。いつもの彼なら恥ずかしがって嫌がっただろうが、今はただされるがままになってそれを受け入れている。
「…ホントにありがとう」
「ああ、頑張れよ。金持って行け」
改めて数枚の硬貨を取り出すと、アレムはまだ申し訳ないような様子でそれを受け取った。
「アーミル…俺、頑張るよ。また次もよろしくな」
事務所を出る時に、そんなことを言い残していった。
「あのう、アーミルさん…」
隣の部屋からリメールが顔をのぞかせていた。アレムが帰った後も暫く声をかけなかったので、そろそろ気になってきていたのだろう。
ただ、その行動は控えるべきだったのかもしれない。
「…リメールか……」
困憊しきった顔をしている。単なる疲労ではなく、何かに押し悩んでいることも加わっているようだ。
「大丈夫ですか?顔、真っ青ですよ?」
「…ああ、大丈夫だ」
明らかな嘘だ。体調を誤魔化すかのように近くの書類を手にとっているが、それに目を通しているわけではない。そんな余裕はないと口で言わずとも、持っていた手がすぐに机に落ちたことではっきりとリメールに伝わった。
「何があったんですか?」
「何があったと思う?」
リメールは渋い顔をしたが、アーミルがアレムから聞いたことは全く分からないので言葉にはしない。
すると、アーミルが急に辺りを気にし始めた。
「あー…ティリアとユリスは?」
二人がこの部屋にいないことを気にしているらしい。もしくは、いないことを再確認しているとも考えられる。
「ユリスさんはまだ寝てます。ティリアさんは…ちょっと市場まで、とだけ聞いてますよ」
「そうか」
何に納得したのか、やや安心したような笑みも浮かべつつ溜息をついた。一人で話を進めているので、リメールには何が納得できるのかまるで分からない。
「アーミルさん、本当に何があったんですか?茶化さないで教えてください」
「……まあ、他に誰もいないならいいか…」
ぼそりとそんなことを言ったものだから、逆にリメールの方が後込みしてしまった。
「な…なんでしょう」
「まあ座りな。少し落ち着いておいたほうがいい」
自分も落ち着こうとしたのか、横のカップを手に取る。湯気も全く立っていないのでもう冷めきってしまっているのだろう。新しい紅茶を、と言いかけたリメールは、諭すようなアーミルの笑顔に求められるまま自分の席に着いてしまった。
「……」
もうリメールからは何も言えない。言えるような雰囲気ではないのだ。
「大事な話だ。本当に冷静に聞いてほしい」
カップを置き、手を机の上で組んでいる。思い悩んでいるときのアーミルの癖だ。
「…ついさっきアレムから聞いた話だ」
その口が、重々しく開いた。